小待宵草(こまつよいぐさ)
♪まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよいは月もでぬそうな
宵待草 竹下 夢二
本当は、宵待草ではなくて待宵草
夢二の勘違いか
語呂も響きもいいので故意にかえたのか
こういう論争はとても楽しい
ナイーブな絵を書く彼
あえて宵待草にしたと思いたい
この待宵草と月見草とは違うんですね
月見草は白
太宰治もこの花を月見草と思って書いた
「おや、月見草」
そう言って、短い指でもって、
路傍の一箇所をゆびさした。
さっと、バスは過ぎてゆき、
私の目には、いま、
ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、
花弁もあざやかに消えず残った。
3778米の冨士の山と、
立派に対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、
金剛力草とでも言いたいくらい、
けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
冨士には、月見草がよく似合う。
「富嶽百景」より
夕方の散歩でこの花を見かけたら、太宰や夢二のことふっと思い出してみてください
今日の私の小さな幸せ
「眉山」見てきました。
眉山も阿波踊りも松嶋菜々子さんもみ~んな宮本信子さんのための小道具!
すごい女優さんです。
感動します!!
で、僕は、夢二は、意図的に 宵待草 にしたのだと思います。
そして、音と、どこがタイミングか、を考えると、このように思います。で、少し僕の考えを書かせてください。
まず、この歌のテーマは、 待 です。ですから、この 待 という言葉を聞き手の耳に、どのタイミングで響かせるか、ということを考えると、二行目の冒頭では、早すぎます。聞き手は、気分的に聞く準備が出来ていない可能性があります。
また、準備が出来ていても、この 待 は、冒頭では、逆に強すぎて、歌のイメージの控えめに待ちわびる気持ちを表すには、適切ではないように思います。
で、二行目のひとテンポ置いた後の、この位置が、この言葉を聞き手に聞かせるタイミングとして、もっとも効果的な位置だと思います。
あとは、多くの人が指摘している通り、発音として、歌の流れの発音として、宵待草の方が発音しやすいと思います。
で、僕の考えは、間違っているかもしれませんが、僕は、クラシック音楽が好きでよく聞いているのですが、クラシック音楽の作曲家は、常にこのようなことをやっていると感じています。
彼らには、常に、曲の中で、核心部分として、聞き手に、特に聞かせたい 音や音形 があると思います。そして、その音や音形を、どのタイミングで聞き手に聞かせるか、ということに物凄い努力をしているように感じます。
で、このようなことを考えると、この歌で、待という言葉を聞き手の耳に響かせる位置としては、夢二が選んだ位置が最上のように思われます。
では、失礼しました。
そうですか・・・
宮本信子さんさすがですね。
あの阿波踊りも松嶋奈々子も宮本信子の小道具になってしまうのですね。
今のNHKの連続テレビでも女将として大活躍されていますね。
と思っていましたが意図的でしたね。
この写真も、独特の雰囲気があってtamiさんの物語の中へ
引き込まれそうな気がします。
「眉山」の評判はいいですね。
皆さん「お薦めです!」って言ってきます。
最近、邦画が頑張っていますよね。
私も時々見るようになりました。
「眉山」は、DVDが出てから、買うか借りるかして、見ようと
思っています。今から楽しみです。
こんばんは~。
うれぴいです、そう言っていただいて。
夕日の逆光で撮ってみました。
少し手振れ気味。(笑)
明日は、お天気もよさそうなので、出かけてきます。
あのお勧めのスポットに。
でも、望遠レンズがないので、手前の花をはっきりと遠くをぼかすっていうのができそうにありません。
きっと、その近くの道路に咲いている野の花を写して来るでしょう。(笑)
コメントを残してくださってありがとうございます。
Toshi Takayamaさんのご意見、しっかり読ませていただきました。
「待」を最初に持ってこなかった。
なるほど・・・・。
口ずさめば、口ずさむほど、恋しい気持ちが伝わってきますね。
音楽、文章、絵・・・
五感に訴えるものは、やはり工夫がいりますね。
その工夫をひらめき、才能と人は言うのではないかと思います。
一期一会のToshi Takayamaさんとの出会いかもわかりませんが、ありがとうございました。
こんばんは。
もう、お体大丈夫ですか?
よかったですね、いい先生に出会えて。
毎朝、主人公より、草笛光子と宮本信子の演技に魅了されています。(笑)
眉山、宮本信子が美しいです。いい女です。
かっこいいです。
さだまさしの原作なんですね。
後半のクライマックスは圧巻でしたよ。
映画で見なくてもDVDでも十分楽しめると思います。(笑)
こんばんは。
例のマイシアター室でごらんになるのですね。
いいですね~。
私も、前は洋画ばかり見ていました。
でも、昨年は、邦画も数本見ました。
昨年見た「フラガール」は特によかったですね。
眉山はDVDで十分だと思います。
今、テレビで「博士の愛した数式」やってますね。
ごらんになっていますか?(笑)
写真、ほめてくださってありがとうございます。
嬉しいです。
また、失礼して、もう少し補足させていただきますと、夢二という人は、確かに才能豊かな人だったと思いますが、同時に、多分、僕の想像ですが、よく練習とか試行錯誤をしてみる人だったと思います。
NHKの番組に 美の壺 という番組があるのですが、この番組で夢二を取り上げたことがあるのですが、それによると、専門家がいろいろと分析をすると、夢二の絵は、かなりいろいろなことを綿密に計算して描かれている、ということです。
ですので、夢二は、豊かな感性を持ち、そして非常に研究熱心で、いろいろと計算をする人だったと思います。そういう意味でも、僕は、待宵草を宵待草にしたのは、計画的だったように思います。
では、失礼しました。
で、昨晩は、録画しているにも関わらず、気になるテレビを横目で見ながら書きましたので、少しまとまりの悪い文章を書いてしまったかもしれません。で、今朝は、それを少し補いたいと思い、書かせていただいております。
で、確かに、恋しい気持ちが伝わってくる歌だと思います。この歌を読むと、竹久夢二の絵の世界の雰囲気を感じます。僕は、夢二の絵は、物凄く好きな絵という訳ではありませんが、でも、好きである、と言えると思います。
また、五感に訴えるもの、確かにそうだと思います。よく考えてみれば、人間の世界でやっていることは、昔も今も、人間が作品を作って人間が鑑賞する、ということです。ですから、昔の人たちがやっていること、昔の人たちがやっている工夫、を見ると、自分たちが、それについて学びたい、ということがたくさん含まれているように思います。
夢二の絵も、一つには、うっとりして見る、という見方も楽しいですが、彼がどのようにして、彼の意図を効果的に表現したか、をよく見るのも、ある意味で楽しい見方のように思います。
では、余計だったかもしれませんが、2回も余計に書き込みを書いてしまいましたので、一期一会にならなかったかもしれません。tamiさんは大分の方ですか。僕は、九州は行ったことがないので、遠距離会話になりましたね。
では、失礼しました。