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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

「キャリア教育」といわなくても…

2010年11月18日 23時38分02秒 | 大学
青少年センターの職員の方から、いただいた質問。
「キャリア教育ということを考える、とはどのような意味でしょうか。
最近、協会ではキャリアコンサルタント、キャリアカウンセラーの資格をもつ者を積極的に採用したり、また職員にそのような資格をとらせるような動きがあります。
キャリアは仕事だけでなく、その人の生き方にかかわる問題だと思います。なので、雇用だけでなく余暇的な取組をしている協会にもかかわるのでしょう。この業界は、青年の家時代から、青少年の社会教育へシフトし、それらが融合するような形に変化していっているのでしょうか。
 青少年だけでなく、生き方という問題は一生考え続ける問題ですよね。」

 ちょうど、キャリア教育について、考えていた時だった。そんなこともあって講義の時に、発達障害者のキャリア教育という意味も含めて、NPO法人の方に来ていただいて、その事業について紹介していただいた。その方は、中途障害で声を失って、そこから自分自身のことを考え直して、そして、福祉の活動に入ったこと、その中で、社会性に課題となっている発達障害の人たちの就労支援活動を行っていったこと、そして、現在のNPOのプログラム活動の内容をつくってきたこと、そしてその内容などを語ってくれました。

講義にむけてのメモ-障害のある人とキャリア教育
いろいろな視点
1.障害のある人の進路・就労・社会参加
2.障害をもつこと-中途障害の世界
3.ライフステージということ-青年、成人、衰えなど
4.その人だけではなく家族と、家族をつくる事も含めて…

玄田さんのキャリア教育について最後のまとめとして紹介しました。この部分は、従来の進路指導や進路学習と違わないのでは…なぜキャリア教育と英語で言わないといけないんだという高校の先生からの指摘に関連して書かれたもの…。
 
「今は誰もが一つの会社にずっと働き続けるという時代ではなくなりました。将来を考えると常に絶対というわけではありません。だとすれば、次の一歩だけでなく、人生という長い道のりをどうやって歩いていけばいいのか、そのために必要な知恵や経験を誰もが身につけることを目的としてキャリア教育が求められるようになったのです。
 キャリア教育というと、自分の職業適性を早くみつけるための教育であるようにわれることもありますが、そうではないのです。何が自分に本当は向いているかなど、すぐにわかるものではありません。それこそ、さまざまな希望や失望をくりかえしながら、一生かけて見つめていくものです。
ただ、人生という長い道のりをどうやって生きていくかを考えるのがキャリア教育だとして、誰がそんなことを教えられるのでしょうか。こうやって生きていくのが正解などということは誰にもわからないのです。そこにキャリア教育のむずかしさがあります。
 こうやって生きていけば、ぜったい大丈夫ということは誰にも言えない一方で、多くの人がキャリアについて語れることがあります。何十年と生きていれば、少なくとも一度や二度は大きな失敗や挫折を経験しているものです。その時点では「自分はもう駄目かも知れない」という思いをしたこともあるでしょう。ただ、その人が今ここにいるという事実は、駄目だったのではなく、何とかしてその試練をくぐり抜けてきたということでもあるのです。
 人生という長い道のり、誰もが必ず途中で迷ったり悩んだりします。その時にどうすればいいのか、そんな困難をくぐり抜けてきた人が、生きるための知恵としていろんな形でその経験を若い世代に伝えていく。それが本当のキャリア教育です。そんなキャリア教育こそ、若い世代が希望を自分の力で育んでいくことを後押しする力になるのです。」(玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)pp.193-196)