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ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

逢坂剛『鏡影劇場』新潮社、2020年9月

2020年12月30日 11時41分31秒 | 

新聞の書評かなにかでみて、図書館で予約したら届いたので、読んでみた。

古文書の解読作業と同時に、現代の人間模様が鏡影像のように進展する。それが、入れ子状になっていて、並行していくが、それもまた、作者の包み紙に入れられているという手の込んだ、ビブリオもの。ドイツ浪漫派のホフマン(知らんけど、判事で音楽家で小説家)の身上報告書を素材に、その解説があり、その翻訳と解説をする人とそれを読む人たちの物語。

フィヒテのドイツ国民につぐ、ゲーテ・・・・カスパル・ハウザーの話も出てきた(これはどうでもいいことだけど・・)

フォイエルバッハというドイツの法学者がカスパー・ハウザーのことを書いたようだ。「カスパル・ハウザーはホフマンの死後数年たって、どこからどもなくニュルンベルクに現れた、謎の若者だ。」/ほとんど話せず、出自もはっきりしないため、いかさま師なのか沙詐欺師なのか、それとも精神疾患の患者なのかと、議論が沸騰した。/あるいは、どこか高貴の家に生まれながら、事情があって捨てられた子供ではないか、などとさまざまな説が飛び交った。/その時間に関わったのが、確かフォイエルバッハだった、と記憶する。(p.493)

新潮社のHPでは次のような・・・。図書館から受け取った時には、結末袋綴じは開かれていて、ちょっと舌打ちしてしまった。

マドリードの古本屋で手に入れた古楽譜の裏には、十九世紀の文豪ホフマンの行動が事細かに綴られていた。筆者不明の報告書の解読を進めるうちに、現代の日本にまで繋がる奇妙な因縁が浮かび上がる。二重三重の仕掛けが読者を迷宮に誘う、これは逢坂版『薔薇の名前』か? 渾身の大作一五〇〇枚、結末部分は袋綴じ仕様!


岡田尊司『自閉症スペクトラム症』幻冬舎文庫、2020年

2020年12月03日 22時52分39秒 | 

岡田尊司『自閉症スペクトラム症』をよんだ。

おもしろかったのは、「自閉症の歴史」(pp.33-37)

ASDの診断概念の原型はオーストリアのウィーンでのこと。医師ゲオルク・フランクルと心理学者のアンニ・ヴァイスが検討していったのがこの原型。1938年、ナチスのオーストリア侵攻による政権掌握により、この治療教育診療所が変質。フランクルとヴァイスの二人はユダヤ人であったため、アメリカに逃れる。彼らを支援したのが、オーストリア出身で先にアメリカに渡ったレオ・カナー、その研究が小児自閉症論文として、1943年に発表されたのだった。フランクルとヴァイスがウィーンを去った後、その診療所で頭角を現したのが、ハンス・アスペルガーで、1938年の講演で「自閉的精神病質」の概念を提唱。フランクとヴァイスが心理社会的要因を強調したのに対して、何地本で心理社会的要因に蓋をして遺伝的要因を強調したのがアスペルガーということになる。

もう一点、治療に関しての岡田の見解。主体性を重視するもの(第8章 回復例が教えてくれるもの)。これは、カウフマン夫妻の子どもへの取り組み(ちょっと?もあるけど)。


首藤瓜於『指し手の顔 脳男Ⅱ』(上下)講談社、2007年

2020年11月20日 22時38分13秒 | 

図書館から借りていた首藤瓜於『指し手の顔 脳男Ⅱ』(上下)を読み終えた。これは、江戸川乱歩賞を取った『脳男』の次作目ということだろう。この本読んだことがあったかもしれないと思ったり、いいやブレインバレイとごっちゃになっているのかもと思ったりしながら、読み終わったのだった。精神科医が登場するし、頭が賢くしかも動きがはやい、しかし、感情がないような・・・そんな人たちが出てくる。

「典型的な自閉症だった。その年齢になるまで施設で育ったらしいのだが、そこでは心理学的な治療ばかりで薬物を使った治療はいっさい行われなかったらしい。云々」といった会話がでてくるので、やはり商売柄読まなくてはいけない。しかし、このような描き方でいいのかどうかは、議論が分かれるところだろう。

 


歌川たいじ『バケモンの涙』光文社、2020年

2020年10月10日 21時33分41秒 | 

ポン菓子製造機の話だということでつい購入した。はじめは、風呂につかりながら読んでいた。読んでいて、これまでであった大阪のおばちゃんセンセのことを想起したりしていた。中盤から、そう、北九州の戸畑に行く決意をするところくらいから、本気で読み始めてしまった。最後は、「バケモンの涙」だった。やっぱりセンセやな。原点やな。

帯には次のように記されている。はずいので最後の5文字は削った。

日本は未曾有の食糧難に襲われていた。橘トシ子19歳。大阪の旧家のいとはんは、国民学校の教師となるが、栄養不足で命を落とす子どもたちを何とか助けたいと願う中、少ない燃料で大量の穀物を食べられるポン菓子の存在を知る。一念発起、ポン菓子製造機を作ろうと使命感に燃え、製鉄所のある北九州に女ひとり乗り込み、工場を立ち上げるために奮闘するトシ子。子どもたちを飢えから救い、復員した人々にポン菓子売りの職を与えた、実在の女性の苦難を乗り越えていく姿に迫る、○○○○○。

実話なのだとおもってググってみたら、「日本初のポン菓子製造機を作った人吉村利子さん」ということで、著者のインタビュー記事があった。ポン菓子の話はまた別の所でしたいが、しかし、こんな本当の話があったとは・・・。


『ビブリオ古書店の事件手帖Ⅱ 扉子と空白のとき』2020年7月 メディアワークス

2020年09月21日 14時48分07秒 | 

Kindleではじめて、本を読んだ。これまで、紙の本でないと読書はできないと思っていたのだった。しかし、本の処分にも手がかかるので、気軽によんでみたいものは、電子書籍で読むことにした。風呂でスマホをもって読むスタイル。

これまで、このシリーズは、文庫でよんできた。スピンオフ以外は読んだと思う。とはいえ、それは、ブックオフ行きだったので、今回はKindleにした。主題は、横溝正史。古書店主の栞子は、これま相方だった「俺」は結婚していた。「俺」は、どうも本を読むのが苦手のよう(読みの障害:学習障害があるようにも想像している。でも、栞子さんの本のストーリーの解説を聞くことで本の世界の深まりを理解している)。

この本は、ある本・小説を中心に置いた架空の物語であり、その意味で二重構造の小説入門である。こんかいは、戦後、復員ものの推理小説か横溝正史が中心となる。その未発掘だった小説『雪割草』、それとよく知られた『獄門島』をはさんで、再度『雪割草』のその後編となる展開。

一カ所だけ障害関係の記述があったので栞をつけておいたのだが、しかし、Kindleの栞の操作方法がわからず、どこの箇所だったか見返すことができない。まあいいよ。『ビブリオ古書店の事件手帖』の公式サイトには以下の紹介がある。

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ビブリア古書堂に舞い込んだ新たな相談事。それは、この世に存在していないはずの本――横溝正史の幻の作品が何者かに盗まれたという奇妙なものだった。
どこか様子がおかしい女店主と訪れたのは、元華族に連なる旧家の邸宅。老いた女主の死をきっかけに忽然と消えた古書。その謎に迫るうち、半世紀以上絡み合う一家の因縁が浮かび上がる。
深まる疑念と迷宮入りする事件。ほどけなかった糸は、長い時を超え、やがて事の真相を紡ぎ始める――。


二宮敦『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』新潮社、2016年

2020年09月13日 10時38分24秒 | 

二宮敦『最後の秘境 東京芸大 天才たちのカオスな日常』があったので、手に取って読んでしまった。以前、読んだことのある感覚は残っていたのだが、それでもおもしろいので読んでしまった。物忘れが厳しくなっています。認知にきているのかな。目もかすむし、二度目のほうがある程度、昔読んだ感覚があるので、目がかすんでも読み飛ばしにストレスがないのがいいのかもしれない。いずれにしても、眼科に行かなければと思っている。

ブログを点検してみても、この本のことは書いていないので、紹介しておこう。ようすぐに、東京芸術大学の学生さんたちのインタビューでそ「芸才の大学の日常が綴られているということだ。執筆のきっかけとなったのが、作者の妻がこの大学の学生で時々素っ頓狂なことをすることだった。目次は次の通り

不思議の国に密入国/才能だけでは入れない/好きと嫌い/天才たちの頭の中/時間は平等に流れない/音楽で一番大事なこと/大仏、ピアス、自由の女神/楽器の一部になる/人生が作品になる/先端と本質/古典は生きている/「ダメ人間製造大学」?/「藝祭」は爆発だ!/美と音の化学反応

この見出しだけだとなにもわからない。想像できるのは「ダメ人間製造大学」くらいかな。大いなる無駄、というか度量の深い文化というか、自由というか・・・もともとは良妻賢母の伝統を受け継ぐ中堅の女子大学につとめるものとしては、このような世界があることを女子学生さんたちにも触れてほしい。とはいえ、この東京藝術大学も、美校と音校とはまったく別の日常生活原理が働いているという。美校の自由さに対して、音校は徒弟的な関係、教員と学生の人間関係の在り方がかなり違うし、学生の日常生活も異なっている。「音楽」は「楽」でもないような、東京芸術大学の音楽を出た人たちと接すことがあるが、ちょっとめんどくさい。

しかし、本書は、美術にせよ音楽にせよ、それぞれが突き詰められ、それらが統合され、新しい世界をつくっていくその種とその土壌、いってみればカオスなのだが、それがこの大学にあることの一端を示している。

2014年のインタビューだから、5年以上たっているが、この人たちはいまはどうなっているか?また、コロナ禍のなかで、いま、東京藝術大学に従前のカオスはあるのか? 国立大学法人化されて第3期も2021年度でおわろうとしている。教養や文化を軽視する政治家が、お友達優遇の政権を継承しようとしている今日、それに抗して、忖度なしに本音で人間性を研ぎ澄まそうという芸術のありようを見据えて、人間性の解放とそれをはぐくむ土壌が広がることを願ってやまない。

 

 


別府哲『自閉スペクトラム症児者の心の理解』全障研出版部、2019年

2020年08月10日 16時51分15秒 | 

 ビデオのデジタル化などをやりに、奈良にきて、ついつい時間があるものだから、院生の机の上にあった『自閉スペクトラム症児者の心の理解』をよんでしまった。エピソードが面白い!
 実践や体験からASDのある人たちの心の動き6.と個性豊かな特徴を丁寧に描いてある。「出会いなおし」やら、「直観的心理化」「命題的心理化」なども、そうなんだとおもったりした。最近、特別支援教育の実務的な本をみて、ちょっと辟易しているところだったので、やっぱ、子どもは面白いやと思わせてもらえて、感謝!
 若い学生さんによんでもらいたい。「おもしろいなぁ」とおもえる教育者に育ってほしい。内容・目次は次の通り。

はじめに
1.自閉症スペクトラム症児者の心を探る
2.一緒に笑いあえる「人」の存在に気づく
3.心の支えとなる人
4.楽しい世界と出会う
5.楽しく振り返ることができる生活
6.ユニークな心の理解
7.直観的心理化のユニークさ
8.子ども同士の共有体験をつくる
9.異質・共同の集団づくり
10.多様な感情を共に経験した歴史をもつ仲間
11.激しい問題行動を考える
12.ふれあうこと、安心できること
13.身体感覚としてわかり合えた経験をつくること
おわりに


額賀澪『拝啓 本が売れません』を読む

2020年08月02日 00時02分31秒 | 
チンタラしていたら8月になってしまった! 暑くなった。コロナの感染は拡大する一方、そして、あと2週間、前期の講義は続く。
「本が売れない」ということで、図書館でつい、額賀澪『拝啓 本が売れません』(KKベストセラーズ、2018年)を借りて、風呂に入りながらよんでいた。
章立ては次の通り。

序章 ゆとり世代の新人作家として
第一章 平成生まれのゆとり作家と、編集者の関係
第二章 とある敏腕編集者と、電車の行き先表示
第三章 スーパー書店員と、勝ち目のある喧嘩
第四章 Webコンサルタントと、ファンの育て方
第五章 映像プロデューサーと、野望へのボーダーライン
第六章 「恋するブックカバーのつくり手」と、楽しい仕事
終章  平成生まれのゆとり作家の行き着く先
『拝啓、本が売れません』をここまで読んでくださった方へ

特別付録 小説『風に恋う』(仮)

1990年生まれの著者が、松本清張賞などを受賞して、小説家を生業としていくのだが、しかし、出版不況で、「本が売れません」…。どうしたらということで、編集者ともども突撃取材にいく。
『君の名は。』などを編集したラノベの敏腕編集者にキャラを立たせることをいわれ、職人みたいな書店員さんには「面白い本」をと、Webコンサルタントには公式サイトの制作をいわれ、そして映像プロデューサーには30万部くらい売れるベストセラーでないと企画が通せないと…。そして、規格からはずれたものを提案するブックカバーの作り手からは、奥行きのある表紙を作りたいねといわれ、そして、このインタビューの間に書いていた長編小説がクリスマスの日にできあがる。この本を売るために、これまでインタビューしてきたことをいかして、そして、ついには他の出版社からでるこの長編小説の序章そのままをこの本の特別付録でつけるという…。
一石二鳥も三鳥もという著者の試みは、「本が売れない」状況にどのような波紋をもらたしたのか。この試みをしている間に、著者の知っている本屋が3軒つぶれたという、はたしてこの世の中は本に対して冷たいままだったのか。とはいえ、こうして、公共図書館にこの本が入り、それを、「本が売れない」といって学術書を出せない事態に陥っているおっさんが、だまされて手に取るのだから、動かなかったというわけでもあるまい。

安田徳太郎と山下徳治-『ゾルゲをたすけた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』(青土社、2020年)

2020年07月29日 14時18分13秒 | 
安田三代記の『ゾルゲをたすけた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』(青土社、2020年)をようやく読み終わった。はじめは、どうなることやらと思ったが、第二次世界大戦前後の京都や東京での諸々が書かれて、おわりの方では面白くなってきた(時々、話がそれるので読みづらいが)。いろんな人がでてくる。気になっている人では、太田典礼(武雄 安田徳太郎の親友、京都の天野橋立の出身、旧制三高で安田の1年下、九州帝国大学医学部をでて京大病院で産婦人科を専攻、p.237-238)、また最近日本国憲法の制定の際の重要な人物となった鈴木義男(当時、弁護士で、ゾルゲ事件でつかまった安田徳太郎の弁護人となるが、あまりしっかりした弁護をしなかった。それがよかったのかどうなのか、尾崎秀実との対比で考えさせられる.p.265-267)などがいる。しかし、教育史としては、やはり山下徳治と安田徳太郎のところが興味深い。その部分だけ、備忘録として記しておきたい。

 昭和5年9月26日、秋田雨雀と山下徳治がプロレタリア科学研究所関西支部記念講演会に出席するために、京都に来た。秋田曰く「山下君は篤実な人で、たえず学問の話をしている」と。安田家だけに泊まり、徳太郎と話をする。そこで徳太郎は、上京の決心をすることになる。山下の家の近く、東京府豊多摩軍中野町に手頃な借家をみつけた。山下がみつけてくれた日本橋の優生病院に勤めた(昭和5年10月7日)。
 ここに出ている山下徳治は、明治25年に鹿児島に生まれた鹿児島師範学校を大正8年(1919)年に卒業し、,同士の西田小学校に勤めたが、同郷の先輩小原国芳にその才能を認められて、小原が主事をしていた成城小学校に招かれた。ところが、生徒の母親とスキャンダルを起こして、成城小学校にいられなくなり、大正11年その母子を連れてドイツのマールブルク大学のパウロ・ナトルプ教授のもとに留学し、ペスタロッチを研究した。ナトルプは新カント派の哲学者であったが、社会主義に対する関心を隠さなかった。それで山下は時代にソビエトの教育に関心をもつようになり、昭和2年ソビエトの教育の視察に行った。帰国後は自由学園に移り、再びソビエトの教育の視察に行き、その結果をもとにして、「新興教育」を唱えた。それは、唯物史観による教育があった。ここに山下が秋田、徳太郎と結びつく接点があった。
 山下をスカウトした小原は、広島高等師範を経て、京都帝国大学文学部で教育哲学を学び、大正8年に東京牛込にあった成城小学校の主事になった。しかし彼は、明治時代には軍関係の学校への予備門として非常に有名だった成城学校がこの時代には落ちぶれているのを慨嘆して、その再生を企て、当時原野であった東京吹田多摩郡・・の土地に、小田原急行電鉄の線路が敷かれ、やがて小田原まで延伸されることを見越して40万坪の土地を買い、将来小学校、中学校、旧制高等学校とつらなる成城学園をつくることを計画し、整然たる区画整理をした。それで駅名だけでなく。やがてこの周辺一体は町名までも成城になり、後に東京の高級住宅のひとつとなった。後に小原は玉川学園を作り、戦後玉川大学学長になった。つまり、小原先生は教育哲学者であり、スカウトの名人であり、ディベロッパーである稀有の人物だった。(pp.141-142)

ある時の夏私達は、先に述べた山下徳治さん夫婦に招かれて、千葉県の飯岡にいったことがある。山下徳治さんの夫妻が夏のバンガローを借りたのだろう。・・・山下さんの家の朝食は、ドイツにいたせいか、パンにバターにベーコン、コーヒーであって、私達の家では普通の、ご飯に味噌汁とか、関西風のお茶漬けとかと違うので、うらやましかった記憶がある。云々 P.180



安田一郎『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』青土社、2020年

2020年07月04日 21時59分43秒 | 
いろいろあっての安田徳太郎。学生時代から探ってみたい人だった。医者だが、山本宣治とは親戚関係。京都大学医学部で無産診療所運動と関わる。何度も検挙されながらも、小林多喜二の拷問死体を検分し、ゾルゲ事件で有罪判決を受けた。エロスの芸術を論じたり、また、フロイトの紹介者でもあった。
安田一郎『ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち』をよんでいる。実は、著者の安田一郎は安田徳太郎の息子、その原稿を受け継いだのが編者安田宏であり、一郎の息子という。これは三代の安田家のはじまりの話でもある。
それをよんでいるのだが、あまりまとまって読ませると言う本ではないので、少々難渋している。ところどころに面白いことが書いてあるので、備忘録としてつけておく。

p.84-85 明治天皇崩御
京都府立第二中学校時代の安田徳太郎の日記
「9月26日(木)夕方六時より月見の宴会。昨年のような豆餅に月がこうこうと照らし、その光でスキヤキと昔の野営のことも思い出される。終わりに、校長は無礼なる谷本博士は、おまえたちがなぐっても、殺しても、我が輩は退学させないと。なぐれ」。これは、京都帝大の谷本という教授博士が、乃木将軍の殉死は売名行為だと論表したことにたいして、京都府立二中の校長が憤慨して、「殺してしまえ」とか「殴りに行け」と月見の宴のときに、生徒を先導したことを指す。日記のその先をみても、この件については、何も書いていないので、殺しに行ったり、殴りに行ったりした生徒はいなかったようである。云々」

これは、京都帝国大学文学部の教育学の初代教授・谷本富のことである。この谷本、京都帝国大学の総長に沢柳がくると、なっとらんということで、「罷免」されてしまう。これは、京都大学の教育学の「悲劇(喜劇)」のはじまり、これは沢柳事件として有名だが。

ずっとあと、安田徳太郎は、山下徳治(成城で教壇にたちつつ、プロレタリア教育運動を担う)が京大をやめたときに、東京にくるように誘ったとある(山下の京都時代?ではあるが)。

なかにし礼『我が人生に悔いなしー時代の証言者として』河出書房新社.2019.6.

2020年06月16日 10時31分53秒 | 
なかにし礼『我が人生に悔いなしー時代の証言者として』 を読んだ。題名は作詞家とは思えない陳腐さ、とはいえ、読んでみると、癌末期の石原裕次郎に作詞したもの、この歌をうたって昭和の大スター石原裕次郎は死んでいったのだから、作者としては思い入れのある言葉だったのだろう。とはいえ、読んだぼく自身は、昨年亡くなった藤井進先生の聞き取りをしていたときに、これまで歩んでこられた道の骨子を書かれていて、そこに「我が人生に悔いなし」と書かれていたこととを思い浮かんで、別の思い入れがこの標題にはあったのだった。阿久悠の文章や阿久悠についての重松清の評伝を読んでいたので、なかにし礼も小説をかいているし、作詞家なので、期待してよんだのだが、、、。骨子は以下。

第1章・時代の証言者として
満州での出生、引き揚げ、大学進学と挫折、 シャンソン 訳詩から作詩家への道、小説家として、『長崎ぶらぶら節』(直木賞)
第2章二十歳のころ
お茶の水界隈
出発前夜
霊感力
あとがき

二、三の興味深いところ
1)1990年代三木稔との交友関係 平成に入っての創作オペラ、音楽は三木稔。「ワカヒメ 」「静と義経」の創作など。
2)なかにしは『天皇と日本国憲法 反戦と帝王のための文化論』(河出文庫)を著しているいること。満州と引き上げ、凄惨な戦後体験がそれを書かせているのだろう。読んでないけど・・・。
3)第2章は、どうも観念的であたまにはいってこない。20歳が分岐点という説らしいのだが、、とはいえ、「霊感力」のところでは、「20歳で天啓を受ける」との説で、パウロ・コエーリョ『アルケミスト(錬金術)』(山川ら訳・角川文庫)にそって、話をしている。「光」がキーワードで、enlightenment(啓発)、光をあてて目覚めさせる行為、というところで、キリスト教や糸賀一雄のことをふと思った。糸賀は、この子らが放つ「異質の光」をとらえることを語っている(高谷『異質の光』大月書店)。なかにしは「見逃すか見逃さないかが運命の分かれ道」と書いている。これを「霊感力」ということでまとめることには異を唱えたいが、なにか通じるものがある。