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遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉260 新宿物語5 ナイフ2 純愛 他 人間の品性

2019-09-14 15:37:19 | つぶやき
          人間の品性(2018.7.7日作)

   実業家 あるいは 政治家 政治を治める者たちは
   機を見るに敏である必要がある しかし その根底には
   節操がなければならない
   無節操の機敏 その機敏は卑しさ 下品さだけが眼に付いて
   見苦しいものになる
   ある国の実業家が ある国の政治家に寄り添い
   満面 笑みを浮かべている姿を 映像で眼にした時
   そんな事を考えた
   あの実業家は あの横暴とも言える権力者におもねり
   上手く取り入って 笑顔を振り撒いているが 恐らく 状況が一変すれば
   手の裏を返したように 離れてゆくに違いない なぜかふと
   そんな気がした その姿 笑顔には 品性のなさ 卑しさだけが
   その人物の本質でもあるかのように 滲み出ていて
   下品さだけしか 見る事が出来なかった
   無論 これはわたしの勝手な見方 思い込みである しかし
   人間の本質は その表情 その顔 その行動に 無意識的 かつ
   的確 如実に 表れるものだ


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 (10)

 箪笥の抽斗が半分、開けたままになっていた。
 小さな鏡台の上の、由美子の化粧道具がすべてなくなっていた。
 ハンガーに吊るし、壁に掛けてあったブラウスもスカートもなかった。
 押入れを開けてみた。
 スーツケースとボストンバッグがなかった。由美子が故郷の博多を出る時に持って来たものだった。
「この二つを持って出て来たの」
 由美子は寂しさとも、はにかみとも、懐かしさともつかない表情に微笑を交えて、説明してくれたものだった。
 普段、二人が貴重品を入れておいた小箪笥からは、由美子の存在を証明する一切のものが持ち去られていた。
 印鑑、健康保険証、預金通帳などだった。
 その中で、まるで置き去りにされでもしたかのように、俊一の預金通帳と印鑑、そして、ナイフの入った木箱だけがポツンとした感じで残されていた。
 俊一は預金通帳と木箱を手に取った。
 いっそのこと、この預金通帳も木箱も持っていってくれればよかったのに、と思った。そうすれば、由美子を憎む事も出来るだろうに・・・・・、由美子の純情さに思わず嗚咽を漏らした。
 俊一はようやく気を取り直して、管理人の部屋を訪ねた。真夜中に近い時間にドアをノックされて、管理人は明らかに不機嫌だった。
「何か用ですか ?」
 半分開けたドアを押さえたまま、七十歳がらみの男の管理人は怒ったような口調で言った。
「二階の六号室の者ですけど、何か言づけのようなものは聞いていませんか」
 管理人夫婦は、由美子と俊一が結婚しているものと思い込んでいたらしかった。二人が一緒に暮らすようになっても苦情は言わなかった。
「別に、何も聞いていないけど、何かあったの ?」
 探るような眼で聞いた。
「いえ、別に何もないんですけど」
 あとは曖昧に言葉をにごして、逃げるようにしてその場を離れた。
 階段を上がり、再び部屋へ戻ると、膝を抱えて座り込んだ。
 由美子が、近くに居る事だけは間違いないようだった。
 何処かに隠れて、俺の行動を探っていたんだろうか ?
 今は何処にいるんだろう ?
 布団や台所用品などが残されている事を考えると、そんなに遠くへ行ってしまったとは思えなかった。
 それとも、身の周りの物だけを持って、厭な思い出を振り払うように、記憶も届かない、遠い所へ行ってしまったんだろうか ?
 手を伸ばせばいつでも由美子に触れる事の出来た日常が、一瞬の間に失われた思いの喪失感だけが脳裡を駆け巡った。未だ、由美子の存在感が濃密に残る部屋の中で悲しみは一層深く、心に沁みて来るようだった。
 俊一は絶望を抱え込んだまま、しばらくは身じろぎもせずに頭を垂れ、悲しみの淵に沈んでいた。それからふと、思い付いたように立ち上がった。胸の中には、母親へのやり場のない怒りが煮えたぎっていた。その怒りに押されるように俊一は、母親への憎悪と共に荒々しく部屋を出ると、ドアの鍵もかけないままに、階段を下りて行った。
 外へ出ると近くの公衆電話へ向かった。
 父が出る事はないだろう事は分かっていた。
 予想通り、母親が受話器を取った。
「はい、奈木で御座います」
 母の落ち着いた、丁寧な言葉遣いの返事が返って来た。奈木医院にとっては、夜中の電話は珍しい事ではなかった。
「お母さんは、あいつに何を言ったんだよお。なんだって、余計な事をしたんだよお」
 俊一は前後の見境もなく、突然、母親に食って掛かった。
「誰 !」
 母は一瞬、息子の荒い言葉に息を呑んだふうであったが、すぐに俊一の声と理解して言った。
「俊ちゃん ? あなた、俊ちゃんなのね ?」
 先ほどの落ち着いた声とは違って、切迫感に満ちていた。
「そうだよ。なんだってお母さんは、余計な事をしたんだよ。俺たちがどうしょうと、俺たちの勝手だろう。余計な事をしないでくれよ。あいつが居なくなっちゃったんだぞ。どうしてくれるんだよ」
「今、何処から掛けているの。あなたのお部屋なの ?」
「何処からだっていいだろう。お母さんは、あいつに何を言ったんだよお。何をしたんだよお」
「何を言ってるんだか、分からないわよ、お母さん。いったい、何を言ってるの ?」
「知らっぱくれるなよ。あいつがちゃんと言ったんだぞ。俺と別れなければ、何度でも来て邪魔をしてやるって」
「お母さん、そんな事は知らないわよ。それより、あなた、帰ってらっしゃい。あなたは騙されているのよ」
「あいつを何処へ追っ払ったんだよお。あいつは何処へ行くって言ったんだよお」
「そんな事、お母さんが知る訳ないでしょう。あの人とは一度、会ったきりなんだもの」
「いいか、あいつにもしもの事があったら、俺は死んでやるからな」
「俊ちゃん。もしもし、俊ちゃん、ばかな・・・・・・」
 俊一はそれ以上、必死な様子で叫ぶ母の声を聞いていなかった。投付けるように受話器を戻すとボックスを出た。また、新たな怒りが込み上げて来て、思いっきりズックの靴で地面を蹴とばした。

 母がアパートを訪ねて来るであろう事は、おおよそ察しが付いた。電話で母が叫んだ声が、それを物語っていた。
 俊一はその日まで木箱に入れ、大切に箪笥の中に仕舞ったままで置いたナイフを初めて、ブルゾンの内ポケットに入れ、外出した。預金通帳と印鑑も同じように別の内ポケットに納めた。母と顔を合わせるのを避けるためだった。無論、僅かばかりの現金の入った財布は持っている。再び、部屋へ戻る事があるのかどうかは、自分でも分からなかった。夜中に一切の準備を済ませ、夜が明けたらいつでも出られるようにしていた。明け方近くに四十分ほど疲労感に引き込まれるようにうたた寝をした。
 夜が明け、午前七時になると部屋を出た。勤めは欠勤したままだった。仕事先に気を配るだけのゆとりはなかった。
 昨日と同じように駅の売店でソバを食べ、新宿へ向かった。いつもなら、仕事から帰る時間帯であった。
 ハンバーガーショップはまだ、開いていなかった。
 コマ劇場前の広場へ向かった。
 夜を明かしたと思われる若いアベックが何組か、例のように噴水を囲むコンクリートの縁に腰を下ろしていた。                      
 夜の遅い街は朝も遅かった。シャッターを降ろしたままの建物の建ち並ぶ通りからは、昨夜の賑わいと華やかさは見えて来なかった。 
 俊一は噴水の傍へ歩み寄ると、なるべく、アベック達とは距離を置くようにしてコンクリートの縁に腰を下ろした。
 何も見えて来ない事は昨日と同じだった。由美子への思いだけが、頭を離れなかった。
 午前十時にハンバーガショップが開店になると、昨日、店の様子を窺っていた街路樹の陰へ行った。
 由美子の勤務時間は午前十一時からだった。あるいは、由美子が店へ入るかも知れないという、微かな望みだけに期待をかけていた。
 正午になっても、由美子は姿を見せなかった。
 俊一はようやく諦める気になって、その場を離れた。
 その日も、結局、徒労の一日に終わった。終日、街の中を歩き廻り、人込みの中にその姿を探しても、由美子を見つけ出す事は出来なかった。
 由美子は、新宿という街の繁華街の雑踏の中にかき消されていた。
 午後十一時過ぎになって、さすがに巨大な繁華街にも人通りの希薄さが見えて来た。俊一自身も途端に疲労感を覚えて、体を横たえる場所が欲しくなった。
 一度は帰る事を諦めかけていた、由美子と二人でいた部屋だったが、色濃い疲労感と共に、再び帰る気になった。もし、母親が訪ねて来たとしても、こんな時間までいる事はないだろうとは想像出来た。
 アパートに着いた時には午前零時を廻っていた。いつもはこの時間、灯りの消えているはずの管理人室に灯りが点いていた。俊一が些かの不審と共に、二階への階段を上がろうとした時、管理人が声を掛けて来た。
「ああ、ちょっと。今日ね、あんたのおふくろさんだって人が訪ねて来たよ。長い時間、待っていたんだけど、あんたが帰って来ないもんで九時頃帰って行ったよ」
 一瞬、緊張したが、俊一自身、おおよそ、予想した事ではあった。俊一は息を呑み込むようにして聞いた。
「何時頃ですか」
「朝の十一時頃だったかな。車で来たよ」
 俊一は、やはり、と思った。同時に、顔を合わせなくて済んだ事に安堵した。