遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(324) 小説 川の流れの中の子猫(2) 他 茶の湯

2020-12-13 12:31:10 | 日記
          茶の湯(2020.12.2日作)


   茶の湯の元祖とも言える「利休」
   その孫 宗旦は言っている
   茶は侘びを重んじる だが
   世間の俗物は 形だけは "侘びの茶 " に大金を費やし
   珍奇の茶碗などに田園の風景などを見て
   これを風流などと言うーーこれは
   如何なものか
   また 禅家 夢想国師は言う
   栂尾の明恵上人 建仁寺の開山 栄西禅師も茶を愛好されたが
   それは疲れを取り 眠気を醒まして 修行に励む為だった
   今日の茶を持て成す様子は 常軌を逸している
   修行の為でもない 勉学の為でもない
   ーー世の中の金の浪費である

   茶の湯とは 只 湯を沸かし 茶をたてて
  呑むばかりなるものと知るべしーー利休

   底ひなき 心の内を汲みてこそ 
   お茶の湯なりとは知られたりけりーー秀吉

   「侘び」とは 不自由を不自由とせず 
   不足を不足とせず 不調を不調と思わぬ心ーー鈴木大拙



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          川の流れの中の子猫(2)

 母は全裸のまま背後縛りに両手を縛られ、布団の上に転がされていた。その口にはタオルが噛まされていた。
 父はそんな母の前に仁王立ちになり、これも体に何一つ付けないままで鍵穴から覗き込む京子の眼の前に、醜い性器を晒していた。
 上半身は見えなかった。だが、手には黒革の父がいつも愛用しているベルトがしっかりと握られているのが見て取れた。と思う間もなかった。父がそのベルトを振り上げる様子が部分的とはいえ、はっきりと京子の眼に映った。続いて鋭く空気を切り裂く音と共にベルトが振り下ろされ、それが全裸の母の背中を打った。母はタオルを口に噛まされたまま悲鳴を上げて体をよじった。
 父はだが、容赦はなかった。ベルトで打たれ、その痛みに体をくねらす母の裸体目がけてさらに何度も何度も、同じようにベルトを打ち下ろした。
 母の白い肉体には既に幾筋もの赤い線が走ってた。その上に更に、父がベルトを打ち下ろす度に赤い線が重なった。中には既に血を滲ませているものさえあった。
 父が振り下ろすベルトの勢いはなおも止まる事がなかった。まるで母を憎悪しているかのような趣さえが感じ取れた。
 京子はただ、息を呑んで見守っている事より外に出来なかった。全身が思わぬ光景がもたらす恐怖に硬直し、動く事も出来なかった。
 そのうちに獣のような呻き声を上げながら、父の打ち下ろすベルトの痛みにのた打ち回っていた母が声も上げなくなった。その反応も鈍くり、微かに身を振るわせるだけになったと思った時、父は今度は手にしていたベルトを放して母の体の上に覆い被さっていった。
 父はまるで仮死状態とでも言えるような母を犯した。

 京子は父と母の関係の理解に苦しんだ。幼い頃にはそれが当然の父と母の姿だと思っていたものが、その出来事と共に、何処か、世間の並みの家庭に於ける父と母の関係ではないのではないか、という疑いを抱くようになっていた。
 母は、京子の知る限り、口数の少ない人だった。物静かな人で、普段、父との間で口争いをするような事もなかった。常に傲慢とも思えるような父の態度に対しても従順とも言えるような立場に身を置いていた。それが何故なのか無論、京子の考えの及ぶところではなかった。
 父には一人の妹がいた。京子にとっては叔母に当る人だった。叔母は現在でも必ず、月に一、二度は京子の家を訪ねて来た。
 もともと京子の家は代々、父の家系のもので、古い歴史を持っていた。父は一介の製薬会社の販売部長にしか過ぎなかったが、過去には二代に渡って政治家を生んだ地方では名の通った名家だった。第二次世界大戦前までの祖父の時代が繁栄の最後で、この祖父が戦争と共に家系の繁栄に止めを刺した。祖父は戦前の満州に渡り山師のような仕事をしていて、日本の敗戦と共にその満州で死んだ。
 父は妹と二人だけの兄妹だった。京子にとっての祖母は、祖父の山師的性格に苦しめられ、孤独を囲って、その孤独を慰めるために、特に男の子の父を溺愛した。祖父の亡くなった後は、家柄の誇りだけを胸に厭世観を募らせて世間を軽蔑しながら、名家としての財産を食い潰して戦後の混乱を生き抜いた。
 京子には祖父母の記憶はなかった。写真で見る祖父は何処か剣呑さを感じさせる傲慢さを身に付けているように思えた。祖母はなかなかの美形だったが、やはり京子には素直に受け入れられないような何かがその写真の奥に透けて見えた。
 父のたった一人の妹、叔母が結婚したのは、祖母が死んだ後の事だった。それまでは父夫婦と同じ屋根の下に住んでいた。広い家で叔母のいる場所に不自由する事はなかった。
 母はおそらく、結婚してこの家に来て以来、間もなくして気付いたのに違いなかった。それが何時からの事なのかは、知り得ない事ではあったが。
 現在も叔母は来ると必ず父の書斎へ向かった。そして、長い時間、出て来なかった。その間、父の書斎の鍵は掛けられていた。幼い頃の父に溺愛されていた頃の京子でさえ、入って行く事が出来なかった。そして、そんな時の叔母は、父の書斎から出て来ると母に挨拶もせずにそそくさと帰って行った。叔母が帰った後から書斎を出て来た父の眼も異様に血走っているように見えた。
 母はそういう時、概して不機嫌だった。幼い京子にさえも苛立った様子と不機嫌さを露骨に見せた。京子はそんな母の前では張り詰めた厳しいものを感じて何時も静かにしていた。
 京子は今、漸くにして、あの異常な父と母の姿を眼にした事により、これまでの幼い頃の自分の身に起こっていた事などと共に、この家庭内の異様な雰囲気を理解し得たように思っていた。


          二

 
 京子はあの日以来、一際、無口な娘になった。父とも母とも笑顔で言葉を交わす事がなくなった。幼い頃はあれ程好きだった父には、肩に触れられる事さえも恐れて常に身を引いていた。
 父と母はそれぞれに、それぞれの流儀で京子の変化を受け止めていた。



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           桂蓮様

           コメント 有難う御座いました
           養老猛さんの本をお読みとの事
           わたくしは生憎 この人の書いた物には
           眼を通していませんのでなんとも言えませんが 
           何処の国の人にであれ見下すような姿勢は
           決して許されるものではありません
           アフリカ アジア 欧米 そのような
           地域の順位制が世界には
           出来てしまっているように思えます
           「黒人」という言葉もわたくしは嫌いです
           せめて黒色人種ぐらいには呼んで欲しいものです
           或いは「アフリカ系の人」とでも

           もう雪ですか お話しを伺うと改めて
           アメリカの大きさが実感出来ます
           日本では暖冬で部屋の中では長袖シャツ一枚でも
           少しの間なら我慢が出来ます
           バレー頑張って下さい 何事によらず
           身に付けるまでには努力が必要なんですね
           いつの日にかそのお姿の拝見出来る事を
           楽しみにしております

           コロナ対策 再読させて戴きました
           実際 何時になったら収まるものやら
           うんざりです
           こういう時こそ 何処の国に於いても
           有能な指導者が必要ですよね 


           takeziisan様

           何時も有難う御座います
           今回も楽しくブログ 拝見させて戴きました
           相変わらずの美しいお写真 富士山 並木道
           いいですね
           はがきの木 名前を始めて知りました 「はがき」の
           語源は知っていましたが
           喫茶店 懐かしいです この記事で
           新宿をうろつき廻っていた頃を改めて
           懐かしく思い出します 「喫茶店の片隅で」
           松島詩子 勿論 知っています
           高英男 「雪の降る町を」
           ブログで聞き比べましたが わたくしには
           やはり高英男ですね そうですね
           「えり子とともに」人気番組でした
           えり子を演じた阿里道子が後の
           「君の名は」の真知子ですね 
           今回も充分 楽しませて戴きました
           有難う御座います 来週をまた
           楽しみにしております