遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(440) 小説 私は居ない(完) 他 試される

2023-03-26 12:57:17 | つぶやき
           試される(2023.3.11日作)


 ゴマの一粒一粒は 小さくても
 数が多く集まれば 
 豊富な 栄養素 となる
 一円は 一円の価値しかなくても
 十枚集まれば 十円の価値を持つ
 千枚詰まれば 千円
 大きな木は 太く高くても
 中が空洞 中身が無ければ
 なんの役にも立たない
 小さなものを侮るな
 大きなものにひれ伏すな
 物みな 総て それぞれには
 各自の持った個性がある
 各々 持ったその個性 どう活かす ?
 人の叡智が試される



           ーーーーーーーーーーーーーーー





           私は居ない(完)




  私は返す言葉もなく、ただ、
「そうですか」
 と言うより仕方がなかった。
 それにしても、この老人の言葉といい、〆香と名乗る女の言葉、川万の元女将の言葉、そして伯父の言葉、それぞれが口にする言葉がどうしてこうも違うのだ。
 それぞれが口にする言葉にはそれぞれ類似があったが、それでいて何処かが微妙に違っていた。
 老人の語る芸者は元女将の言った芸者とよく似ていたが、それでも幾つかの点で違っていた。むしろ、〆香と名乗る女の言葉と相通じるものがあったが、その違いもまた明白だった。現に〆香と名乗る女は私の眼の前に存在する。死んではいない。
 更に私が不思議に思ったのは、〆香と名乗る女の言った住所がこの場所と一致したという事だった。一致していながら、此処には〆香と名乗る女の言った高木という家は、昔から存在しなかったという。そして老人は物心付いた子供の頃から此処に居る、と言った。
 老人と〆香と名乗った女の間には、それ程の年齢差はなかった。兄妹とも言える程の差でしかない。高木姓の一家が越した後に老人一家が此処に越して来たとは、とても考えられなかった。
 とすると・・・・、女は住所を間違えていたという事か ?
 思い当たる事はそれ以外には考えられなかった。
 私はようやく自分の気持ちを納得させると、
「お忙しいところ、お仕事のお邪魔をして申し訳ありませんでした」
 と、片時も仕事の手を休めない老人に丁寧に礼を言ってその家を後にした。
 私の頭の中は空っぽだった。先程来た道を後戻りしながら私は、いったい、これはどうなっているんだ、と改めて思い直さざるを得なかった。
 おそらく、初めから何かが狂っていたのに違いない。
 歯車が嚙み合わないままに奇妙な事実だけが存在する。そして、真実は何処にもない。
 否、真実は存在する。総てが真実なのかも知れない。ただ、何処かで何かが違っているのだ。何かが ?
 私という存在は確かに今、此処にこうして居る。
 それは紛れもない事実であり、真実だ。訪ねた四人の口にする言葉はそれぞれ違っていても、私が現に此処にこうして居る、この事実、真実だけは何処の誰にも覆しようがない。覆す事は出来ない。
 とすると、生前、冗談好きだった母は、亡くなる直前に於いてまでもなお、私を担いで、からかっていたのだろうか。
 実際には母は、真実の母だったのか ?
 そう考えると私は、なんとなく、気持ちが明るくなって来て、或いは、それもあり得ない事ではない、と思えて来た。
 最早、自身の出自の探求は諦めて東京へ帰ろうという思いと共に私は、銚子駅に向かい歩き始めていた。
 どの方角が駅へ向かう道なのか、分からないままに闇雲にそれらしいと思われる方角へ歩きながら、流しのタクシーを探したがその姿は皆目見当たらなかった。
 眼の前にバスの停留所の立て札が見えて来た。
 市役所方面と書かれた文字が眼に入った。
 市役所という言葉が無意識の裡に私の意識の中で反芻されていた。
 そうだ、市役所へ行って聞いてみようか ? 何か分かるかも知れない。
 一度は収めた好奇心が再び頭をもたげていた。
 十五分程待ってバスは来た。
 市役所では、六十歳に近いと思われる白髪の薄くなった係りの男性が相手をしてくれた。
「高木 ? ✕✕町二丁目十四番地の高木 ? うーん、現在は村山家になってんなあ。昔しからずっと村山家だなあ」
 老眼鏡の係員は独り言を言ってから、
「高木なんつうのはね(無)えですねえ」
 と私を見詰めて言った。
「三十年ぐれえめえ(前)に東京深川で芸者をしていた〆香・・・ねえ。ちょっと、それだけじゃあ、分かんねえですねえ。あに(何)かはっきりした手掛かりになるような物があるどいいんだけどなあ」
「番地だけじゃ、駄目ですか ?」
「うん、その番地には昔から高木っつう家はなかったですよ」
 老係員は私を諭すかのように言った。
 私はまた、此処でも疲労感を覚えていた。
 またしても堂々巡りが始まっている。
「そうですか。いろいろ有難う御座いました。お手数を掛けて申し訳御座いませんでした」
 私は礼を言って市役所を出た。
 市役所の前には二、三台のタクシーが停車していた。
 そのうちの一台に乗って私は駅に向かった。
 上り犬吠号に乗り込んた時には、既に黄昏れの気配が漂い始めていた。
 列車が動き出すと私は座席に身体を持たせ掛けて眼をつぶった。
 疲れた、と思わず溜め息が出た。
 総てが徒労だったという気がした。
 それでも私には失望感はなかった。
 あの、〆香と名乗った女は番地を間違えて覚えていたのだ、と改めて思った。
 しかし、それももう、どうでもいいように思えた。私は現に此処にこうしている。それだけで何故か満足感に満たされた。  
 ふと、私は無心のまま、列車の軽い振動に身を任せている中で思い浮かべていた。
 かつて観た黒沢明監督の「羅生門」という映画だった。
 芥川龍之介の短編小説「藪の中」を原作とするこの映画が描いていたのが、自分が今度、経験したのと全く同じような出来事だった。
 ある一つの出来事を巡って語る四人の証言がそれぞれに異なっているのを映像化した作品で、日本最初のヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作品だった。
 その中で黒沢明監督が描いていたものは・・・・ ? 
 真実とは ? 真実とは一体 何か ? 
 真実は何処にあるのか・・・・?
 人とは、人間とは ? ・・・・・
 この世界を見る人間の眼は、一人一人の眼には同じように見えている事柄、物も、それぞれが心の中、胸の中で受け止めるその物への印象、思いはそれぞれに、異なって見えているに違いないのだ。異なった印象、異なった思い出、この世界は人間一人一人の数だけ存在するに違いない。
 この世界は一つだ。
 だが、一つであって一つではない。
 人間の数だけ存在する。
 そして私は今、此処に居る
             

                  


                完
                                                    




          ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
          
                                



           takeziisan様


           有難う御座います
          ブログ 今回もへーえ なる程 そうか そうだった
          拝見しながら心の裡で呟いていました
           ジャガイモ植え付け 拝見する限り カチンコチンの土
          なる程と納得する思いです それに小石も多いように見えますが ?
          それに雑草 なる程 これでは大変だ          
          納得です       
          わたくしの居る地方の土は良いですよ 黒々としていて如何にも柔らかそう
          車で畑道を通る時などしみじみ良い土だなあ と見惚れています
           方言 微妙に違いますが それでも共通点は多いです
          狭いニッポン そんなに急いで何処へ行く でしょうか
           仰げば尊し こちらでは送る側が 蛍の光り 送られる側が 仰げば尊し でした
          オルガンの音 懐かしく思い出します
           ある愛の詩 人の命のはかなさ もろさ
          最後 主人公が思い出の場所で亡くなった人を偲ぶ        
          切ない場面ですね
           愛とは決して後悔しないこと 
          有名なセリフですね
           セキレイ 以前にはわが家の近くでも眼にしましたが
          今は見られなくなりました それだけ都市化が進み
          自然が失われているという事でしょうか     
           色とりどりの花々 楽しませて貰いました
          昨日 公園の側の道を自転車で通った時 雨に濡れた桜の花びらが
          顔に散り掛かって来ました
          花の命は短くて あっという間に時は過ぎて逝きます
           今回もブログ記事共々 有難う御座いました







遺す言葉(439) 小説 私は居ない(13) 他 生きるのだ

2023-03-19 13:13:03 | つぶやき
          生きるのだ(2023.2.8日作)


 生きるのだ
 生きねばならない
 わが人生を 自身の為に
 他人がなんだ  
 社会がなんだ
 年齢がなんだ
 わたしはわたしの為に
 今 この時 この瞬間を
 生きる 生きるのだ 
 今 この時 この瞬間は
 誰のものでもない 
 誰の為のものでもない
 総ては自身のもの 自身の為のもの
 やがて訪れる 最期の時 その時には
 人が人として この世を生きた
 わが人生に悔いなし
 笑顔で言うため その為に 
 自身の人生 自身の時
 今 この時 この瞬間を 精一杯
 生きる 生きるのだ
 生きねばならない
 未来は見ない
 過去は捨てた
 今 この時 この瞬間を
 精一杯 生きる 
 
     
  
     人生は一日一日の積み重ね  
     今日の日 一日一日をより良く生きる





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           私は居ない(13)





「ちょっとお伺いしたいんですが。此処は二丁目十四番地でしょうか」
 私は聞いた。
 男はその時、初めて、興味を見せたかのような表情で私の顔を見詰めたが、それでも言葉はなかった。
 私は老人の耳には言葉の意味が届いていないのだろうかと思い、もう一度ゆっくりした口調で、赤銅色に日焼けした皺の深い顔を見詰めながら聞いた。
「二丁目十四番地は此処でしょうか」
 すると男は、まるで私の視線を避けるかのように仕事の手元に視線を移しながら、
「そうだ。此処は二丁目十四番地だあ」 
 と、ぶっきら棒に言った。
「そうですか。有難う御座います。それで、改めてお聞きしたいんですが、昔、此処に高木さんという名前の御家族は住んでいなかったでしょうか」
 老人は私の言葉を聞いて考える様子もなかった。
「高木 ? 高木なんて居ねえだ」
 と言って、体の前に広げた仕事に手を戻した。
 大きな丸桶の中には殻の着いたままの牡蠣がいっぱいに入っていた。
 老人の男は牡蠣をむく仕事をしていた。
「昔、東京の深川で芸者をしていた方の家ですけど」
 私はなんとなく、老人の記憶に頼り無さにも似た感じを持って、念を押すようにして聞いた。
「芸者 ?」
 男はその言葉にふと興味をそそられたように私の方を振り返ると、好奇心に満ちた視線を私に向けた。
「はい」
 私は初めてこの時、なんらかの手応えを得た気持ちになって、急かれるような思いで答えていた。
「芸者なら、おらあえ(家)の妹も芸者ばしてだだあ」
 と、男はすぐに自分の手元に視線を戻してぶっきら棒に言った。
 男の思い掛けない言葉に私は胸を突かれたような思いがした。
 男の如何にも不愛想な応対にも係わらず、自分が一歩、真実に足を踏み入れたような気がして、軽い興奮にも似た感情を意識していた。
 しかし、それもまた、束の間だった。私の頭の中にはすぐに、郷里にはもう誰も居ません、と言った〆香と名乗った女の言葉が甦っていた。
 とすると・・・・。
 その芸者というのはまた、別の人か ?
 しかし、あの女の口にした住所と此処は一致する。
 どういう事なのだ ?
 結局、私の混乱は収まらなくて、
「お宅の妹さんも芸者をなさっていたんですか」
 と、聞くより仕方がなかった。
「ああ」
 男は、武骨な手で牡蠣をむく仕事を続けながら言った。
「高木さんという名字の方で、昔、二丁目十四番地に住んでいて、東京で芸者をしていたという人は知りませんか」
「そんなものは知んねえ。俺あ、ガキ(子供)の頃がらずっと此処さ居っだあ」
 男の口調は相変わらず不愛想だった。
「お宅の妹さんは何処で芸者をしていたんですか ?」
 私は、しつこい質問で不愛想な男の機嫌を損ねないようにと気遣いながら、静かに聞いた。
「何処でが知んねえ」
 男は仕事の手を休める事なく、いとも軽々と次から次へと硬い牡蠣の殻をむいていった。
「その妹さんていう方は、今もお元気なんですか」
 手早い男の作業に見入りながら私は聞いた。
「今は居ねえ。死んじまった。ずっと昔に死んじまった」
 なんらの感傷も見せずに老人は言った。
 だが、私はその言葉と共に、産後の肥立ちが悪くて死んだ、と言った川万の元女将の言葉を思い出していた。
「なんで亡くなったんですか。病気か何か・・・ ?」
「ああ、女将さんの話しでは胸ば患って死んだつうこった」
 老人の言葉は相変わらず他人事のように乾いていた。
「芸者をしていた時にですか !」
 自身を納得させるかのように私は言っていた。
「ああ、妹は十五の時に芸者に 出て、それっきり、え(家)さけえら(帰)ねがった。けえって来た時には、はあ(もう)、へえ(灰)になってだだあ」
 私はこの時、川万の元女将の言葉を大方、真実と受け止めていた。
 病気とお産の違いはあっても、言う事が一致している。
 という事は、〆香と名乗ったあの女の言葉は・・・・・?
「いつ頃、亡くなったんでしょう」
 私は疑問を抱いたまま聞いた。
「戦争め(前)えだ」
 老人は言った。
「実は、この二丁目で、やはり戦前に芸者に出ていて亡くなった女の方がいるんですよね。それで、その芸者さんの身元を調べてみたいと思って、今日、お伺いした訳なんです。お宅の妹さんの芸者の時の名前はなんと言ったのか御存知ですか」
「なめえ(名前)までは分がんねえ」
「妹さんには、お子さんはいらっしゃったんでしょうか」
「子供なんぞはいねえ。妹は芸者だった」 
「わたしが今日、知りたいと思って訪ねて来た女の方は、芸者をしていたんですが、産後の肥立ちが悪くて亡くなっているんですよ」
「産後の肥立ちが悪くて ?」
 老人は突き返すように言ってから、そんな事には関係ないとでも言うように、
「妹は肺病で死んだんだ」
 と、投げ捨てるように言った。
 後は取り付く島もない様子だった。




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             桂蓮様


              有難う御座います
             お身体 あまり快調ではない御様子
             どうぞ お大事になさって下さい
              年齢を重ねるに従って 一年が若い時の一年とは全く赴きを異にして来て 
             衰えが確実に認識されるようになります
             悲しい事ですが これが人の生きるという事の現実ですね
             バレーなどはそれに 抗する為の格好の素材ではないでしょうか
             頑張って下さい
              「正しく立つ」 再読させて戴き 改めて良い言葉の並んでいる事を
             実感しました
              一週間 二週間 三週間 やがて習慣化する
             正にその通りです そして その時に初めて本物になる
             身体で覚える 知識の基本です 世の中にはハーツウものが         
             満ち満ち 溢れている それを読んで知った気になる 会得したと思っている
             いい気なものです アメリカの詩人も言っています
             「後ろ足で立つ犬は長続きしない」
             ハーツウで得た知識など 結局 それと同じです
             知るという事 身体で覚える 無意識の世界に属する事です
             体が 意識が 無我のうちに働く 動く その時      
             初めて知ったという事が出来る 本物の知識を身に付けたという事になる
             この御文章を拝見して 改めて認識を深くしました
             有難う御座いました
             どうぞ くれぐれも御身体 御健康にはお気を付け下さいませ




               takeziisan様


                有難う御座います
               ただお礼の気持ちだけで書いていますこの文章を
               御丁寧にお扱下さって感謝申し上げます
               どうぞお断り戴く必要は御座いませんので
               今後とも宜しくお願い致します
                美しい富士の写真 気持ちの洗われるような景色です
               以前にも書きましたが河口湖へ旅行をした時のホテルの窓から
               間近に見た富士山の姿を改めて思い出しました         
               それにしても美しい写真の数々です
               気持ちの安らぎを覚えます
                屋号  地方ではみな屋号で呼び合いますね
               わたくしの里でもそうでした でも 電話帳など
               勿論 ありませんでした 平成七年という事で納得です
                ウエストサイド物語 公開当時 大反響を呼びました
               わたくしは評判につられて映画館ですぐに観ました
               ダンスシーンに圧倒されました
               チャキリス ナタリーウッドは勿論ですが
               何故か当時 初めて眼にした リタ モレノが強く印象に残りました
               以来 リタ モレノはわたくしの記憶に残る俳優の一人になりました
               懐かしい話しです
                レンギョウ 当時 ホテル大谷に行く前の道に見事に咲いていた
               レンギョウの鮮やかな黄を思い浮かべます
               ホテルで行われた行事と共に 若かりし頃の懐かしい思い出です
                ミモザと言うと「ミモザ館」というフランス映画の題名がすぐに思い浮かぶのですが
               映画そのものは観ていません
                スイミングの効果 列挙を拝見するとわたくしなど         
               これに金を掛ける必要があるのか などと思ってしまいます
               わたくしの居た里は銚子とは少し離れた東京寄りの
               九十九里浜に近い場所でしたので夏などはよく海に行き
               荒波にもまれて泳いでいました ですから
               近くに川もあった事と交えて泳ぎは自然と身に付いたものになり
               水泳を習うなどと言う事が無駄な事のように思えて来てしまうのです              
               今は勿論 泳ぐ事はしませんが 健康維持の為に体を動かす事だけは
               毎日 欠かさず実行しています
               お陰様で今のところ 不調なところは何処にもありません
               五 六年前 健診で見つかった大腸がんも三十センチ程
               大腸を切除して今はなんらの問題もありません
               至って健康です
                今回もブログ いろいろ楽しませて戴きました
               有難う御座いました

















遺す言葉(438) 小説 私は居ない(12) 他 惑わされるな

2023-03-12 12:47:42 | つぶやき
          惑わされるな(2023.3.1日作)


 人が 尊敬に値するかどうか
 決めるのは 人が残した 業績ではない
 その人がどう生きたか 一人の人間としての
 生き方 生き様(よう) その生き方 生き様によって
 決定される 
 悪徳 非道の下に築いた城 財宝 業績 名声など 
 評価の対象には なり得ない
 人が人として 人の道をどれだけ 真摯に生きたか
 貧しく 名もない 日陰の場所でも
 人として 人の道を懸命 必死に生きた その
 真摯な生き方 態度こそが 賞賛 評価されて 然るべきもの 真の
 評価の対象と成り得るもの
 他に無い 
 名声 表向きの業績などに 
 惑わされるな


 偉大さは平凡の中にこそ秘められている
 愚かな政治家 指導者などの言動に惑わされるな





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            私は居ない(12)




 私はすでに十二月も間近に迫ったある日、銀座へ出た帰り道、約束も取らずに深川、東陽町の川万の元女将を訪ねた。
 元女将は私の顔を見ると、
「あら、お珍しい」
 と言って、嫌な顔も見せなかったが、肝心の〆香の実家の住所となると分からなかった。
「もう、昔の事で、忘れてしまいましたねえ」
 と、伯父と女と会った時と同じ言葉を口にしたが、いろいろ、当時の書き物なども調べてくれた。
 それでも、結局は分からずじまいに終わった。
 私は改めて、〆香と名乗る女にも電話を入れてみた。
 女も迷惑がる様子は見せなかったが、「もう、そこには誰も居ません」とやはり、元女将に会った時と同じ言葉を口にした。
「ええ、それでも構いません。ただ住所さえ教えて戴ければ、いろいろ、市役所などに行って聞いてみようかと思ったものですから」
 あるいは女は、私がそこまで深入りする事を嫌がるかとも思ったが、存外、嫌がる気配も見せずに、
「ちょっとお待ち戴けますか。今、正確なものを調べてみますから」
 と言って、電話をつないだままその場を離れる気配を見せた。
 何分かの後に女が受話器を手にする様子が伝わって来て女の声がした。
「もしもし」
 女は元実家が在ったという場所の正確な住所を教えてくれた。
 私は四日後、銚子行きの犬吠号という準急列車に乗った。
 三時間程で銚子駅に着いた。
 駅を出るとバス停留所に向かった。
「こっさ(これに)乗ればいいだよ」
 漁師と思われる男の人が教えてくれた。
「こん次で降りっだ」
 バスが幾つかのなだらかな下り坂を下った時、男は言った。
 停留所の前には小さな駄菓子店があった。
 私は女に教えて貰った住所を店番をしていた老女に聞いた。
「十四番地はあの坂を上った向こうだねえ」
 と、老女は穏やかな口調で教えてくれた。
 今、バスで通って来た辺りだった。
 私は駄菓子店を出ると緩いアスファルトの道を戻って行った。
 坂道を上ってゆくに従って次第に、家々の屋根の向こうに遠く海の波のうねりを繰り返す様子が見えて来た。
 海は十一月も終わりの鉛色に曇った空の下で、単調な波の砕けてはまた生まれる繰り返しを繰り広げていた。
 やがて、その坂道を上り切り、下りに差し掛かる頃には周囲には人家が少しずつ姿を消して、荒い松林の広がる景色が開けて来た。
 松の木は潮風に傷め付けられるせいか、どれも貧弱だった。
 しばらくその、何か物わびしい景色に囲まれた道を歩いていると、通りから少し離れた場所に、やはり貧弱な松林に囲まれて一軒の家があるのが眼に入って来た。
 もしや、あれが ?
 私は途端に興味を引き付けられて、シャンと体を伸ばすと急ぎ足でその家に向かった。
 貧弱な松林の中には小さな庭が開けていた。
 潮風に傷め付けられたらしい古びた家には人影が見えなくて、白い障子も閉ざされたままになっていた。
 私は人の気配も感じられない見知らぬ家の庭に、ずかずかと踏み込んで行く事へのなんとはない後ろめたさを意識しながら、それでも玄関先まで歩いて行った。
「御免下さい」
 玄関の閉ざされたガラス戸に向かって声を掛けた。
 二度、声を掛けると家の中から、
「はあい」
 と答える女の声が聞こえた。
 程なくして、内側からガラス戸が引き開けられた。
 四十代後半かとも思われる陽に焼けた顔の、穏やかな感じの女性が顔をのぞかせた。
 私はその女性の穏やかな顔立ちに、なんとはない安堵感を覚えながら言った。
「突然、お邪魔して申し訳御座いません。ちょっとお聞きしたい事がありまして」
「はい、なんでしょう」
 女は思わぬ出来事に戸惑った様子で呟くように言った。
「二丁目十四番地がこの辺りだと聞いて伺ったのですが・・・」
 私の意識の中ではこの時、この家が目差す家ではないかという思いが一層、強くなっていて言葉遣いも慎重になっていた。
「二丁目十四番地 ?」
 女は一度、オウム返しに私の言葉を繰り返してから、すぐに、
「二丁目十四番地はこの一軒先の家(うち)ですね。よっさんつう(て言う)人の家ですね」
 と言った。
「何処でしょう」
 私は方角が分からずに聞いた。
「あの向ごうの家です」
 女は玄関から少し身を乗り出すようにして、右手の方角を差して言った。
 それから一層詳しく説明するように、
「あのちよっと小高く見える竹薮みてえのあっでしょう。あそこの家ですよ。こっから五十メートルぐれえで行けますよ。今は爺(じっ)様一人しか居ねえけっど、すぐ分がりますよ」
 と言った。
 私は鄭重に女に礼を言ってその家を辞すと、海の見える方とは反対側の松林の中へ再び足を踏み入れた。
 三十メートル程行くと竹薮と言うよりは、茨の絡み合ったと言えるような小高い丘に突き当たった。
 その小高い丘を越えて再び下って行くと、今まであったのと同じような松林の中に、一軒の古びた家があるのが見えて来た。
 近付いて行くと、次第にはっきりと家の様子が見えて来た。
 何年も雨風と海の潮に晒されたらしい家屋は、柱も板も総てが木の色を失い、白っぽく変色していた。茶色く錆び付いたトタン屋根の上には、強い浜風に吹き飛ばされるのを防ぐためにか、無数の真っ白な牡蠣殻が載せてあった。
 更に近付いて行くと、松林を切り開いた地面には層を成すようにして、蛤の殻が敷かれていた。
 家の玄関口の前で老人の男が一人、地面に敷いた筵の上で何かの手仕事をしていた。
 古びた半纏らしき物を着た男は、背中を丸めて一心に何かをしていた。私が近付いて行くのにも気付かなかった。
「御免下さい」
 私は少し顔をうつむけた男に声を掛けた。
 男はそれでも気付かなかった。
 私はもう一度、やや大きめな声で言葉を掛けた。
 初めて男がその声に気付いて顔を上げた。
 八十歳にはなるのだろか、皺の深く刻まれた顔は漁師を思わせる深い赤銅色の皮膚をしていた。
 男はゆっくりとした視線で私を見詰めると、
「あんだあね」
 と言った。
 その表情には私を警戒する様子も、興味を示す様子も見られなかった。無表情な、まるで声を掛けられた事も他人事でもあるかのような様子だった。





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          桂蓮様


           有難う御座います
          新作拝見しました
          才能がある人は並みの人が出来ない事を楽々とこなす
          でも 才能だけに頼っていては結局は行き詰まります
          以前にも書きましたがあの天才ピカソが 自分の納得出来る一本の線を描くのに
          二十年の歳月を要した と言ったという事です 
          有能 無能 関係ない 自分が遣りたいからやる  
          他人がどう言おうと関係ない 自身が納得する この
          自身での納得 何事に於いてもこの事が基本となるべきものでは  
          ないでしょうか
           才能のない人間でも 自身の納得出来る努力を積み重ねれば
          なんの努力もしない天才より はるかに良い成果を産み出せるのでは
          ないでしょうか
           修行の心でやれば出来ない事はない
          総て修行 失敗も修行の一つ 修行の心に良し悪しはない
          ただ一つ 自分の心があるのみ
          自分で納得出来れば 他人の口など どうでもいい
          禅の世界です
            坐禅の成果 顕著な様ですね
          有難う御座いました



            takeziisan様


             有難う御座います
            ブログの恩恵大です
            便利です 苦労せずに書き込める
            有難い事です ただ一つ気がかりなのが 突然
            消えてしまう
            此処に永遠性が加味されたら鬼に金棒です
            時代を享受したい 自身の生き甲斐にも繋がります  
             雪靴ーーすんぶく 地方色満載 いい響きですね
            以前 この欄を拝見した時にも書きましたが わたくしの祖母も           
            藁草履を造っていました 祖母の草履はかっちりと
            丁寧に造られていて評判でした 近くの店でも高値で買い取ってくれたものです
             三人の先生 これも以前に書きましたが わたくしにも一人の女の先生への
             仄かな憧れのような思い出があります 以前 ここに書いていますので
             詳しくは書きませんが       
              川柳 どれも素晴らしいです 読みながら笑いました そうだ そうだ
              細ーく 長ーく 無理をせず
               「ひるのいこい」
              今も続いていますね 聴く事はないのですが
              でも 当時 ラジオからこの音楽が流れて来ると何とはない
              気持ちの安らぎと幸せ感を子供心にも覚えたものでした
              大好きな番組でした
              当時の長閑な田舎の景色が蘇ります
              でも なぜか砂の柔らかい地面を素足で踏んで
              仲間たちと遊んでいた夏の日の情景が この番組を思い出すたびに
              蘇って来るのです
               幸せに溢れた思い出です
              掲載されている景色もいいですね
               「アルデラ」 映画は観ていませんが 曲はよく耳にしました
              ペギー葉山 若いですね
              でも もういない・・・
              時の流れは無情です
               美しい花々 野鳥の姿 楽しませて戴きました
              有難う御座います





遺す言葉(437) 小説 私は居ない(11) 他 雑感四題

2023-03-05 12:26:37 | つぶやき
          雑感四題(2023.2.10~15日作)


 Ⅰ 振り向くな 

    人間の眼は常態 前を見ている
    人が持つこの基本の型が
    人が生きる上での形を象徴している
    人は常に前を向き 進んで行かなければ
    生きられない
    後を振り向いて歩いて行けば
    つまづくだけだ

 2 笑い
    笑いを取ろうとするな
    芸が卑屈になる
    人の心に触れる真実を探り当てた時
    真の笑いが生まれる
 
 3 この道をゆく
    この道の今を生きる
    明日という日は無
    今日 今のみが現実

 4 メダカ
    メダカはメダカ
    自身がどんなに
    メダカでないと自惚れ 宣言しても
    メダカの群れの中で泳いでいる限り
    メダカはメダカ
    鯉は滝を登る





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             私は居ない(7)



「伯父さん、これは一体、どういう事なんですか」
 私は伯父に聞いた。
「多分、違いはないのだろう。でも、俺には分らん」
  伯父は憮然として言った。
「結局、何も分からないという事ですか。この方達が川万の元女将か〆香という芸者さんだったのか、それで、私が何処から来て、誰の子供だったのか、何も分からないという事ですか ?」
「分からないね。ただ俺は、俺が知っている事実を言う事しか出来ない。はっきりしている事はそれだけだ」
 結局、そうして私達の川万訪問も、なんらの真実を見い出す事も出来ずに終わった。
 私は、あのようにして互いに否定し合う元女将と〆香と名乗る女との間には何か、気まずい出来事でもあったのだろうか、と想像してみた。
 だが、それでもなお、納得出来る思いには至らなかった。
 第一、ああして二人が共に、私の存在を否定するという事自体がおかしな事だった。二人が、満更、お芝居をしてい様にも受け取れなかった。真剣に言い合う姿が何よりも真実を表しているとしか思えなかった。
 そして私は、あるいはその姿の裏には何か、更に深い真実が隠されているのかも知れない、とも推測してみた。
 しかし、そこまで来ると何も分からなくなった。総てがすぐに手が届きそうでいながら、掴み取ろうとすると手の中をすり抜けていった。
 何か、訳の分からないふわふわした物体が事実と真実の間にあって、それが微妙に揺れ動いていた。
 真実・・・・いったい、私は何処から来て 、誰の子供なのか ?
 それとも、真実などというものは元々無くて、ただ事実のみが存在するという事なのか ? 私は此処に居る。現に、こうして此処に存在している。
 それは紛れもない事実だった。
 そして、私が生まれたのは ?                             
 その真実が分からなかった。
 それぞれ、三人の証人がそれぞれに異なった事を口にする。
 それでも三人は自分の知る真実を口にしている心算でいるのだ。
 三人に取ってはそれぞれが自身の真実なのだ。
 私はふと、私が今、自覚している私の年齢もあるいは、本当に間違いのない年齢なのだろうか、と思ってみた。もっと早く、またはもっと遅く生まれたのではないのか ?
 総てが私に取っては疑念の闇に包まれた謎に思えて来て、遣り切れない気分に陥った。
 
 川万から帰った後、私は何がなんだか分からないままに、気の抜けたような思いで空虚な日々を過ごしていた。
 それでも気分はそれ程、沈んではいなかった。五日目にはもう、何がなんであれ、どうでもいいや、という気持ちになっていた。
 私の出自の秘密が分からなくても、今の生活に困る事はないのだ。
 不都合の生じる事もない。
 そう心が決まると私は、再び、元の生活に戻っていた。同人誌に載せる心算で書いていた書きかけの評論に手を付けた。予定の半分も進んでいない文章だった。
 同人雑誌の編集仲間とは何かと集まって議論を交わしながら、よく飲み合った。
 私は一人だったが、孤独ではなかった。母の健在だった頃からの二人のお手伝いさんはそのまま残ってくれていて、以前通りの気兼ねのない生活が続いていた。余計な出自への疑念など振り払ってしまえば、思い煩う事など何もなかった。
 私は幸福だった。
 半年間というものは夢のように過ぎた。
 書きかけの評論もどうにか完成に漕ぎ付けて、四半期毎に発行する同人誌の編集も済み、後は印刷に廻すだけになっていた。
 一息ついた思いの中で私は空っぽになった頭で、所在ないままに、雑誌編集に没頭していた間は全くと言っていい程に忘れていた自分の出自に付いての疑念をふと、思い浮かべていた。総ては依然として謎のままだったが、もう、当時のように強く気持ちに訴え掛けて来るものはなかった。それでも私は、空っぽになった頭で以前の出来事を反芻するのと同時に、軽い気持ちの興味にも引かれていた。
 半年程前、伯父と共に川万を訪ねた時、〆香と元女将を交えての遣り取りには、なんの真実も見い出せなかったが、唯一、〆香と元女将の証言の中で一致したものが、〆香と名乗る女の出身地が銚子だという事だった。
 私の空っぽの頭の中では、その事への興味がひどく立ち上がっていた。
 私は気まぐれ気分のままに、取り敢えず、当分は何もする事のない身で退屈しのぎに、その言葉が真実なのかどうか探ってみようかという、思いも掛けない悪戯心に取り付かれた。そして、そう考えると、奇妙にそれは名案のようにも思えて来て、あるいは、そこから何かの真実が掴み出せるかも知れない、という思いにも取り付かれていた。以前のように、何がなんでもという強い思いはなかった。





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             takeziisan様


              十年ひと昔 遠出はしたくない
             総てが億劫になり やれやれと思いながら重い腰を上げる
             全く 歳は取りたくないものです
             電話は未だに固定電話 詐欺の電話 勧誘電話
             引っ切り無しです ですから音が鳴っても受話器は取りません
             必要電話はそれとなく察しがつきますので その時だけ取ります
             携帯電話も腕時計もやめました もともと電話嫌いですので   
             携帯も持ちません 別に不便だとも思いません
             ですが今時 携帯を持たない人間はガラパゴスです
             アフリカの奥地の人々までもが携帯電話を手にしているのを見る時代です
             本も購入しません
             もともと本好きで若い頃はやたらに買い集めたものですが
             お蔭で読みたい本はほとんど手元にあります
             今時の軽薄なハウツー本など購入する気にもなれません
              ブログネタ ? 人間 生きる上に於いては目的が大切ですね            
             目的があればそれに向かって日々 生きられる
             川柳 ブログのネタ探し ブログのネタを探して歩いている間にも
             川柳が口を突いて出るのではないですか
             そこまでゆけば もう 本物
              ヘップバーン いろいろ有名作品に出ていますがわたくしも
             以前 ラストーンに付いて書いたブログの中で
             ローマの休日のラストシーンに付いて触れています
             主人公の女性と記者の遣り取りの後 主人公は重い扉の向こうへ・・・
             そこはもう 記者の足を踏み入れる事の出来ない場所   
            「第三の男」の有名なラストシーンと共に強い感動をもたらす
            ラストシーンとして 他の幾つかの作品と共に取り上げました          
            いいラストシーンです
             弥生さんーー 淡い初恋・・・
            誰にもあるのではないでしょうか 
            懐かしい思い出ですね
             ーー人生は一瞬の夢 束の間のまぼろし
             過ぎ逝く時は 永遠に還らないーー
            トニー谷似の先生 この記事を拝見したのも五年前ですか
            覚えています でも わたくしの方の学校では当時
            比較的 男女間は開かれていました           
            改めて拝見して ちよっと驚いています
             植物園 花は満開 ?
                 これからの季節が楽しみです
             今回も楽しい記事共々 有難う御座いました
             わたくしも高齢の身 日々 大切に生きてゆきたと思っています