遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 48 祈り

2015-05-31 13:53:11 | 日記
          祈り(2015.5.20作)



   船は沈みかかっているのに

   腕の立つ航海士の姿は見えない

   波は荒れ狂い 乗船客を

   巻き込む

   あの船は何処へ行くのだろう

   何処まで流されて行くのだろう

   辿り着く岸辺はあるのか

   暗い海原 星の見えない航海が続く

   -----

   鏡の如くに凪いだ海原

   胸に染み入る潮の香 頬をなぜ 小さく

   髪を乱して過ぎる微風 潮風

   デッキに踊る人 人の姿

   ロッキングチェアに揺られ

   くつろぐ人たち

   老いも若きも 男も女も

   穏やかな日和の中

   楽園を目差す旅を

   あの船に望むのは もう

   無理なのか

   荒れ狂う波 渦巻く潮

   船よ おまえはこの航海

   この航路に耐えられるのか

   いや 持ちこたえてくれ

   星の見えない航路を耐えてくれ

   お前には幾千万 幾億もの

   乗客が乗り合わせている

   世界の 人々の多くが

   お前の航路に命を託している

   -----

   船よ どうか

   ふたたび昇る朝の

   あの太陽の輝きを見せてくれ

   希望の光りを見せてくれ

   いつか辿り着くものと信じて航路を行く

   楽園を夢見る 人々の

   夢を繋いでくれ

   

   

   

   

   

遺す言葉 47 障害物と障害者

2015-05-24 13:10:41 | 日記
          障害物と障害者(2010.11.14日作)



   障害物とは 物事の進行を妨げる物を言う

   すると

   障害者とは 人間社会の進行を妨げる者 

   と言う事になるのか?

   今現在 この国で 身体になんらかの障害を持つ人たちを

   障害者と呼んでいる その呼び方は果たして 正しい呼び方なのだろうか?

   身体に障害を持つ人たち その人たちは この国の人間社会の進行に

   障害になる存在だと言うのか?

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   障害者 すなわち 身体になにかしらの障害を持つ者

  「障害保持者」が正当な呼び方 呼称ではないのか?

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   多くの場合 身体に障害を持つ人たちは確かに

   他人の手 他者の力を借りなければならない場面 機会に

   頻繁に遭遇する

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   他人の手を借りる

   他者の力を借りる

   その時 他者の持つ力が 時間が

   その人自身に振り向けられていた事柄 時間から外れて

   一時期 一時的に「障害者」に向けられる

   すると 一つの事柄 一つの時間に集中していた その力は

   分散 中断される

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   障害を持つ人の立場は この時 明らかに

   他者が持つ時間の流れを阻害し 物事の進行を妨げるものとなり 

  「障害者」の立場になる

   故に 「障害者」の呼び方 呼称は正しいものになり

  「障害者」の呼び方 呼称の 非難 糾弾されるいわれは

   少しもない と言う事になる

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   ひるがえって いわゆる健常者の場合はどうなのか?

   健常者は日常 他者の手を煩わす事もなく 一人で物事を進め

   他者の時間を脅かす事もなく 一人で日常を生きてゆける

   それは誰しもが認める事であり 異論を差し挟む余地はない

   そこには明らかに 障害者が持つ世界とは異なる世界があって

   それが この世では正常な世界であり 障害者の住む世界は

   健常者の視点からは明らかに異質な 異常な世界と言える・・・・・

   (故に 障害者の呼称は正しい)

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   異質な世界?

   健常者は誰の手を借りる事もなく 自分一人で生きてゆける?

   あなたは どう思いますか?

   それは正しく 間違いのない考え方だと あなたはお思いですか?

   もし そのように考えているあなたが居るとしたら

   わたしは あなたにお聞きしたいのです

   あなたは本当にこの世界を あなた一人で生きているのですか?

   誰の力を借りる事もなく 誰の手を煩わす事もなく あなたは

   孤立無援の中で あなたの日常 あなたの日々 あなたの生を

   生きているのですか?

   人が生きるという事は 常に 人と人との関わりの中でのみ為され

   人と人との関わり 人と人との繋がりのない所に

   人の日常 人の生は成り立ち得ない

   人と人とが支え合い 力を貸し合い 関係し合って

   この世界は成立している

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   この世に存在する数多(あまた)の人たち

   様々な人間 その人たちの個性が絡み合い(障害も人が持つ個性の一つ)

   もたれ合い 支え合って 人の世界は成り立ち

   人が他人の領域に侵入し 他人が人の領域を侵して来て

   人 それぞれが それぞれの世界 それぞれの領域を邪魔しながら

   人 それぞれが それぞれの世界を支え 手を差し延べ 助け合いながら

   人の世界は営まれている

   そこでは 障害を与える立場の者が 障害を受ける身にもなり

   障害を受ける立場の者が 障害を与える身にもなって

   加害者は被害者の立場にもなり得るし

   被害者は加害者の立場になる事もあって

   いずれかの形で人は 日々

   被害者の立場と加害者の立場の入れ替わりを生きている

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   すべては平等

   すべてはお互い様

   人それぞれ その人の置かれた環境 状況下

   他者に与える負荷の軽重 大小 その違いの生じる事はあっても

   人が人として生きる根源 根本

   人が生きるという行為の基本 その基本の変わる事はあり得ない

   人は人との関わりの中でしか生きられない

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   この国の言葉 日本語を深く研究されている先生方に お訊ねしたいのです

  「障害者」という言葉

   今 この国で使われているこの言葉の使い方に

   間違いはないのでしょうか? これは正しい呼称なのでしょうか?

   身体に障害を持つ者「障害保持者」

   それが正しい呼び方 呼称ではないのでしょうか?

   日本語に関する深い知識をお持ちの先生方に

   御教示戴けましたら 大変嬉しく思います

    

   

  

   

   

   

遺す言葉 46 ある映像

2015-05-17 14:03:28 | 日記
          ある映像(2013.11.6日作)



   テレビの画面は

   伊豆の温泉宿を舞台にした

   男と女の結ばれない

   愛の一夜をうたう

   男性歌手の姿を映していた 

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   画面はやがて静かに動いて

   舞台を見上げる観客の席を

   映し出した

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   広い会場は中年過ぎの観客で

   埋め尽くされていた

   -----

   テレビの画面はさらにゆっくり動いて

   客席の中程で止まった

   -----

   画面が大きく映し出したのは

   舞台を見上げる

   白いブラウス姿の

   四十代前半かと思われる

   一人の女性だった

   どこか地味な風情の

   所帯やつれも垣間見える

   小柄な女性は

   一心に舞台に見入っていた

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   女性の視線は

   舞台に向けられていた

   -----

   しかし 女性は

   舞台を見ていなかった

   男と女の一夜限りの愛をうたう

   男性歌手の姿を見ていなかった

   -----

   視線は明らかに

   歌手を突き抜け 舞台を突き抜け

   眼に映る現実の

   向こうの世界を見ていた

   もはや帰り来ぬ 過去の日々

   女性はその時 唄の世界に重なる

   自身の過去の姿を見ていた

   結ばれなかった若き日の

   自身の恋------

   -----

   テレビ画面の 女性の視線から その過去

   愛のゆくえ 結末を 知る事は

   出来ない

   それでも画面が映し出す

   どこか地味な風情の

   やつれも垣間見える小柄な女性の

   深い哀しみを湛えた視線は 鋭く

   わたしの胸を捉えた

   いったい 女性には

   唄の世界に重なる

   どのような愛の日々 月日があり

   別れがあったのだろう------?

   -----

   深い哀しみを湛えた

   視線の奥に秘められた 過去-----

   所帯やつれも垣間見える姿が

   哀しみを湛えた視線と共に

   一層色濃く 女性の失くした

   愛の大きさ深さを映し出す

   映像だった

   

   


遺す言葉 45 教訓

2015-05-10 15:11:06 | 日記
          教訓(2011.4.7日作)



   自分たちが造ったものに 手もなく振り回される

   無惨なまでの あの無能ぶりはどうだ

   世界一安全だと豪語していた言葉とは裏腹の

   無惨なまでの あの あたふた振りはどうだ

   万が一の危険に備えるための準備もしていない

   無惨なまでの あの 無責任振りはどうだ

   技術立国を標榜し 鼻高々だったこの国の

   他国の力を借りなければ国民を守る事も出来ない

   無惨なまでのお粗末 この いい加減さはどうだ

   おそらく 知識だけを詰め込んで

   物事の実体を見る事の出来ない

   理論先行型知識人 そんな指導者たちの存在が

   平成二十三年 二千十一年三月

   東日本大震災による原子力発電所事故

   この深刻な事態を招いたに違いない

   おそらく あの知識人 指導者たちの中に一人でも

   真に体の奥から会得したところの知識を持った

   職人型知識人 指導者がいたのなら

   あの事故は防げたのに違いない 危険を

   予知 予見 予防出来たに違いない

   感覚的知識 自身の体で感じ取った知識

   そんな知識の裏付けのない 薄っぺらな

   理論先行型知識のいかに脆くて危ういものか

   この事故は その代償の余りに大きな事を示す

   一つの教訓に違いない

   



   

   

   

遺す言葉 44 黄昏はいつも君の匂い

2015-05-03 15:11:07 | 日記
          黄昏はいつも君の匂い(2017.3.28日作)



   黄昏はいつも 君の匂い

   淡くはかない初恋の

   黄昏はいつも 君の匂い

   薄紫の一枝の

   リラの花を僕にくれ

   はるかな街へ行った人

   黄昏はいつも 君の匂い

   ーーーーー

   黄昏はいつも 君の匂い

   白い横顔なつかしく

   黄昏はいつも 君の匂い

   風立ちゆきて音もなく

   リラの花の散る中に

   涙にぬれて泣いた人

   黄昏はいつも 君の匂い

   -----

   黄昏はいつも 君の匂い

   今ひとたびの微笑みを

   黄昏はいつも 君の匂い

   面影遠く離れても

   リラの花の巡り来る

   季節の中に浮かぶ人

   黄昏はいつも 君の匂い