新宿物語 (その1)
(小説を併載する事にしました
お眼をお通し戴けましたら幸いです
宜しくお願い申し上げます)
夜明けが一番哀しい (1)
わたしは今の新宿を知らない。かつて、その街に生きた人間ではあるが、遠い昔にそこを離れたまま、今では自分の人生への希望の喪失と共に、その街への興味もなくしてしまっている。ただ、なにかの折りにふと眼にする、現在の新宿の街の映像や、誰かが口にする「新宿」という言葉を耳にすると、鮮やかに甦るいくつかの思い出がある。そして、その思い出の中に浮かび上がる彼らや彼女らは今、何処でどうしているのだろう、と考える。彼らは無事、この苦難の多い人生を生き抜く事が出来たのだろうか? 彼らが新宿の夜の街の吹き溜まりに吹き寄せられたゴミのような存在であっただけに、ひとしお、その消息が思い遣られる・・・・・
"ディスコ 新宿うえだ"は都内に散在する様々なディスコテークからみれば、いかにも小さな店だった。新宿、歌舞伎町に建つ五階建てのビルの地下にあって、それほど豪華な設備が整っているわけでもなかった。それでも多くの若者たちを引き付けていたのは、地の利を活かした便利さと気安さのせいに違いなかった。
マスターの上田さんは、四十歳前後の無口な人だった。噂によれば、かつて暴走族のリーダーとして鳴らした人で、交番襲撃や高速道路の料金所突破などを指揮して、何度か刑務所の門をくぐったという事だった。
無論、無口な上田さんは、みずからそんな事を口にした事はなく、現在の上田さんにそんな面影を見る事もまた、出来なかった。それでも上田さんの表情にはどこが、少し翳りを帯びたように見えるところがあって、それが、そこにたむろする若者たちに奇妙な親近感のようなものを与えていた。
彼らは偶然、この店で出会った、世間の常識から言えば、いわゆる"落ちこぼれ"と言えるのかも知れない若者たちだった。土曜日の夜になると、何処からともなく、"ディスコ 新宿うえだ"にやって来た。決して目立つ存在ではなく、彼らに言わせれば、「お堅い連中」が、やかましいだけのディスコサウンドにのってわんさか踊っている間中は、いつも隅の方で小さくなっていた。店内に繰り広げられる、少なくとも上辺だけは華やかな饗宴にも、彼らはなんの関心も示さなかった。たまたま、親からはぐれた子犬が雨宿りの軒先を見つけでもしたかのように、ただ、店内の片隅で居心地の良い自分たちの巣を暖めているように見えた。ピンキー、トン子、安子にノッポ、そして画伯にフー子・・・・・ お互いの名前も知らないままに彼らはいつからか、そう呼び合うようになっていた。
午前零時にディスコ音楽が鳴り止んだ。点滅するレーザー光の証明が消えて明るい蛍光灯が点されると、お堅い連中が帰っていった。あとにはいつもと変わらず、荒れた海辺に打ち上げられた木ぼっくいのように、散らかり放題のテーブル席のあちこちに取り残された彼らの姿があった。
言い出しっぺは例によってトン子だった。
「ねえ、ねぇ、横浜へ行ってみない? 横浜の港へ外国航路の船を見に行こうよ」
トン子とはその名のとおりに、豚に似た丸っこい体つきから付けられた呼び名だった。彼女には他にも、九官鳥というあだ名があって、その騒々しいおしゃべりには誰もが辟易させられた。成田市に近い農村に実家があって、土曜日の夜になるといつも二時間以上をかけて新宿へ通って来るのだった。
「横浜?」
安子と向き合って椅子に掛けていたノッポが振り返って言った。
「うん、わたしいっぺん、外国航路のきれいな船を見てみたいって思ってたのよ」
「外国航路の船がいるの?」
安子が突っ掛かるような、棘のある言い方をした。
安子は不感症だった。そのため、いつも不機嫌だった。彼女はこれまで自分の人生に、心からの満足感を抱いた事が一度もなかった。時々、ノッポと寝る気になったが、それは気が滅入って哀しくてたまらず、そうしなければいられない時に、そうするだけだった。そんな時は彼女でも、他人との繋がりが欲しいと思うのだ。
だが、彼女は決して、ノッポの愛撫を心でも体でも受け入れる事が出来なかった。いつもノッポの喘ぎを遠い夜汽車の過ぎて行く音のように聞いていた。そして、ノッポの感激に満ちた表情を自分のかたわらに見ると、この背丈だけはバカデカイしょぼくれ男が、当分、自分から離れてゆく事はないだろう、と思って安心するのだった。
「いるかどうかは分からないけど」
トン子はしどろもどろに言った。
「クイーン・エリザベス号でもいるって言うんなら話しは別だけどさ」
ノッポが安子の機嫌を取るように、皮肉をにじませて言った。
「クイーン・エリザベス号なんているわけないじゃない」
安子はノッポの言葉尻をとらえてやり込めた。ーー 続く
平凡(2018.11.10日作)
平々凡々
平凡が珠玉の宝物(ほうもつ)である事は
平凡を 失ってみなければ分からない
平凡の中に一つでも 自身の歩む
その道を
見付ける事が出来たら
それに勝る 人生はない
威張るな 偉くなるな
人間は偉くなったら 終わりだ
偉くなろうとする 心が大切
偉くなろうとする 心を 持ち続ける
その心がある限り 人間は
偉くならないで 済む
人間 初心 道