遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 235 小説 新宿物語(3) 夢の中の青い女 他

2019-03-31 11:00:52 | 日記

          眼の前 それが総て(2019.3.11日作)

 

   禅の世界では

   芥子の実 一粒の中に

   全宇宙が包含されるという

   事実 その通り 

   今 眼の前にある

   その事にのみ 心を結集

   集中すべし 他の事

   関係 必要なし

   今 眼の前にある事実

   それのみが 総て

   自身の今

   眼の前の今 を 全う出来ずして

   他の何が出来るという  ?

   世間の些事 愚行 に

   惑わされるな 今が総て

   今が世界の中心 

   眼の前の今を突き抜けた 先 

   その先に 世界は開かれる

 

 

          ------

 

 

          夢の中の青い女 (1)

 

 

 バーの中には歯切れのよいリズムを刻んで、アルゼンチンタンゴが流れていた。

 ロック全盛の現在、タンゴとはいかにも時代遅れの感がなくもなかったが、戦後の混乱期に少年時代を過ごした者にとっては、むしろ懐かしく、自分達の音楽だという気さえした。

 大木は多少、酔っていた。カウンターの中のホステスを相手に取り留めのない冗談を交わしていた。

 大木修三、四十八歳。現在、都内と近郊に七店のスーパーマーケットを持ち、その日常生活は自信と共に、活力に満ちたものになっていた。自身、そんな生活に格別に、不満を抱く事もなかった。家庭には六歳下の妻と、大学三年生の息子、高校二年生の娘がいる。大木にとって、もし、不幸の忍び込む余地があるとすれば、唯一、大木自身の健康面からに外ならなかった。かと言って、現在、大木が不健康だというのではない。仕事に情熱を注(つ)ぎ込む余りに、つい、無理を重ねてしまう事に問題があった。大木の睡眠時間は一日平均、五時間を切っていた。それだけに、一週間の仕事が終わった水曜日の夜などには、安堵感と共に、深い疲労感の中で全身の筋肉が溶けてゆくような感覚に襲われるのだった。

 大木にとっては、一週間に一度、このバー「青い女」に足を運び、誰に邪魔される事もなく、思いのまま、気の向くままに、寛ぎの時間を過ごす事は、過激で多忙な日常生活の中での、唯一の慰めになっていた。

 バーの中には大木の他には客はいなかった。この新宿の繁華街にある店としては珍しい事であった。時計の針は十一時十三分を指している。店の中には多少の疲労感と倦怠感とがなくもなかった。大木はそろそろ腰を上げようかと潮時を見ていた。

 不意の来店者だった。学生らしい男女が飛び込んで来た。

「わあ、ひどい霧だ。一寸先も見えやしない」

「髪も服も湿気を帯びてびっしょりだわ」

 二人は、突然の災難を楽しみ、面白がっている風だった。

「霧 ?」

 同年代のバーテンダーが言った。

「うん、凄い霧だよ。あっという間に街中が覆われてしまった。自動車は方向感覚を失ってうろうろしているし、街を歩く人たちは金魚のようにパクパク口で息をしながら歩いている」

「さっきまで、なんでもなかったのに」

 バーテンダーが言った。

「そうだよ。ほんの十分程の間の出来事だよ。ここへ来るのにも道を間違えてしまいそうだった」

 男が言った。

「何か体の温まるカクテルを頂戴。霧の中ですっかり体が冷えてしまったわ」

 女がハンカチで髪を拭きながら言った。

 その髪には細かい霧が雫をつくっていて、仄暗い照明にキラキラ輝いた。

「キッス、オブ、ファイヤーって言うのはどう ?」

「火の接吻 ? いいわね」

 女は悪びれずに言った。

「霧になるなんて、天気予報ではまったく言わなかったのに」

 男が不満気に言った。

「でも、霧ってちょっと悪魔的ね」

 丸顔の健康そうな女は、カクテルを口元に運びながら言った。

「ほら、聞いてみな」

 有線放送のアルゼンチンタンゴに代わって、ラジオの男性アナウンサーが放送している声を耳にした男が言った。

「ただ今、東京都内全域に於いて濃い霧が発生しています。霧は明日の明け方まで続く見透しです。この濃い霧のために国電は都内全線に於いて、時速十キロのノロノロ運転を行っています。なお、車の事故が多発している模様ですので、運転される方はくれぐれも御注意下さい」

「全くだ。これじゃあ、車の運転なんて出来やしないよ」

 男は叫ぶように言った。

「なんでまた、霧なんか出たんだろう ?」

 バーテンダーが言った。

「とにかく、急に気温が下がって来たと思ったら、あっという間だったわ」

 女がカクテルのグラスを口に運びながら蒼白い顔のまま言った。

「今夜、帰れるかしら ?」

 大木の前にいたホステスのしのぶが言った。

「大丈夫だよ。ノロノロ運転でも国電は動いているって言うから」

 大木は言った。   続く

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                     

 

 


遺す言葉 234 小説 影のない足音(完) 他 うたかた

2019-03-24 10:24:36 | 日記

"          うたかた(2019.3.4日作) 

 

   わたしはもう

   わたしの世界だけにしか生きない

 

   あれもいらない

   これもいらない

   長い人生の道を歩いて来て

   すべてはうたかた

   夢のように消えていった 

 

   わたしにとって一番大切なものは

   今

   わたしの心

 

   わたしの心の命ずるままに

   わたしはわたしの残された

   短い人生の日々を生きる

 

   そんな日々を生き切った時にこそ

   わたしには 人の世の最期を迎えて

   真実の幸せ 心の充足が

   訪れるだろう

 

   あれもいらない

   これもいらない

   すべてはうたかた

   消えてゆくわが身が望むものは

   心の楽園 孤独な時間

 

   それだけが

   わたしの慰め

 

 

 

          -----

 

 

          影のない足音(8) 

          

 

 無論 明け方に近い夜の中で男たちが何をしているのか、分かるはずのものではなかった。しかし、わたしの意識の中では、薄い紙が一枚一枚積み重なって確かな体積を作るように、いくつかの出来事が重なって、誰かに付けられている、といった思いが次第に強く、確かなものになって来ていた。

「いったい、あいつらは何をしようっていうんだ」

 わたしは正体を明かさない男たちへの腹立たしさで、思わず声に出して言った。と、同時にわたしは、わたしの前に姿を見せなくなった女への、突然に込み上げて来る激しい怒りを抑える事が出来なくなっていた。 

「あの女が、誰かに俺を売ったに違いない」

 もし、その場に女がいれば、思いっきり、女を殴り倒してやりたい、という、抑え難い欲求に突き動かされていた。

 しかし、女がわたしの前に姿を現す事は、もうない・・・・・

 わたしはトイレを出ると布団の上に戻って坐りこんだ。

 女に対する怒りと復讐心がさらに募った。

 自分の方で誘惑しておきながら、たかが家のある場所を探られたぐらいで、これだけの仕打ちをして来やがる !

 湧き上がる女への憎しみと共にわたしは、今度は女が来るのを待つだけではなく、自分の方から積極的に女に近付いてゆこうと考えた。女が何処に居るのかは分からなかったが、多分、今でも深夜の街で、男たちを漁っているのに違いないーーー

 当然ながらに、女に近付こうとすれば、正体の分からない男たちが゛更に迫って来るだろう。だが、それでも構わない。それでなくても、すでに誰かに付け回され、見張られているのだ !

 わたしはあれこれ考えながら、夜が明けるまで眠りに就く事が出来なかった。

 朝になったら、護身用のナイフを買いにゆこう......

 身を守るためには、何か武器を持っていた方がいい、と考えた。

 翌朝、わたしは十時過ぎに布団を抜け出して、いつも通りの身支度をすると外へ出た。

 

          -----

 

「おい、これどうだ ?」

 わたしは街の金物店で、その日の午後に買ったナイフを白木に見せた。

 店は開店前の準備中で、客はいなかった。

「なにすんだ、そんなもん ?」

 白木は怪訝な顔をして言ったが、すぐにわたしの手からナイフを取った。刃渡り二十センチはある、ズシリとした重みを伝えて来る豪華なナイフだった。

「いいナイフだろう ?」

 わたしは白木の手からナイフを取り返すと、そのまま、柄と刃(やいば)の接点にある黒く光る石のボタンを押した。

 白い何かの骨で出来た柄からは、鋭く小気味良い音を立てて瞬時に、白銀に輝く見事な刃が飛び出した。

 白木は少し驚いた風だったが、

「変な事はしねえでくれよ」

 と言った。

「心配すんな、迷惑はかけねえよ」

 わたしは自身に満ちて、満足感と共に言った。

 ---わたしは考えた。これから、どんな風に行動すればいいんだろう ? 何処へ行けば女に合えるのか ?

 取り合えず、また「蛾」へ行ってみようと考えた。女が来るかどうかは分からないが、辛抱強く待ってみる事だ。あちこち探し回っているうちには、また、女に出会う機会もあるだろう・・・・・

 新宿はわたしに取っては、自分の家の庭にも等しい場所だった。

「蛾」には二度、三度と足を運んだ。

 女は来なかった。

 わたしが気にした二人連れの男たちが姿を見せる事もまた、なかった。

「刑事みてえな男たちは、まだ、うろうろしているか ?」

 わたしは白木に聞いた。

「いや、このところ見えねえな」

 白木はそんな事など忘れていたかのように言った。

 わたしは深夜に帰宅すると、何度もアパートの自分の部屋から外の様子を伺った。誰かに付けられていなかったか ?

 だが、格別に変わった事はあの夜以来、依然として、何も起こらなかった。怪しい人影を見る事もなくなった。わたしは何故か急に静かになった思いのする身辺に、拍子抜けの感を抱いた。いったい、訳の分からないあの男たちはなんだったんだろう ?

 二ヶ月近くが過ぎても何も起こらなかった。かえってわたしは、その事に不自然さを感じて、もう一度、女の家を訪ねてみようかという気持ちになった。訪ねて行けば、何かの手掛かりが得られるかも知れない。

 その土曜日、わたしは午前零時まで「蛾」で過ごし、そのあと、タクシーを拾って女の家へ向かった。上着の内ポケットにはナイフが忍ばせてあった。

 この前と同じように大通りでタクシーを降りると、すでに馴れ親しんでいる小道に入った。右手にはポケットから取り出したナイフが、刃を柄に収めたまま握られていた。もし、身辺に危険が迫れば、いつでも使う心構えが出来ていた。

 わたしが歩いて行く深夜の路上にはだが、以前のような、わたしの神経を逆なでするような出来事は何一つ起こらなかった。暗闇で蠢く人影もなくて、そばだてた耳に聞こえて来る足音もなかった。暗い外灯の明かりの下で静まり返った小道が、大方の家々の門灯が消された夜の中で、ひっそりとして続いているのが見えるだけだった。

 

          -----

 

 わたしはある種の虚脱状態の中にいた。急に静かになった身辺がかえって女の不在感を強く感じさせた。事改めて、女を探すつもりはなかったが、わたしの心の隅の何処かには、まだ、女の姿を追い求めるものがあった。わたしはあちこちのバーをしきりに飲み歩いた。

 五月雨が続いていた。わたしはまだ、白木がチーフを務めるバーで働いていた。

 雨のせいか客は少なかった。なん組かの客を送り出すと、カウンターには若い男女の一組がいるだけになった。わたしは手持ち無沙汰になって、馴染みの客が置いていった古い週刊誌を手に取った。

 グラビアは相変わらず、芸能人のスキャンダルや若い女性のヌードだった。わたしは気の乗らないままにページをめくっていった。

 そのページの中程では、三十二歳の女性服飾デザイナーが、自分を裏切った男を殺害し、自宅の裏庭に埋めて置いた、という事件が報じられていた。死体は一年以上が経過し、掘り出された時には腐乱していたーーー。

 警察では行方不明の男の捜索願が出されるのと共に、男の行方を捜していたが、その捜査線上に浮かんだのが男と交際のあった服飾デザイナーの女だった。そして、その証拠を固めた時、女は姿をくらましていた。

 警察が女を逮捕したのは、茨城県大洗の友人宅での事であった。女の告白によって、すべてが明らかになった。

 わたしは世間にはよくある話しだと思いながら、大した関心も抱かずにページをめくっていった。そしてわ、たしは息が詰まった。ーーーわたしの探していたあの女の写真が大きく掲載されていた。それは見誤る事のないほど鮮明な犯人の顔写真だった。

 

                              完

 

 

       

   


遺す言葉 233 小説 影のない足音 他 道祖神

2019-03-17 12:05:25 | 日記

          道祖神(2018.3.15日作)

 

   宗教 神 の 名の下

   いかに多くの 殺人 犯罪 争い

   悪徳 悪行 が 行われて来た事か ?

   絶対的 全知全能の神 など 存在しない

   宗教 教会 聖職 すべて 空疎な

   絵空事 砂上の楼閣 人間は

   絶対的孤独者 孤独な存在 その事実を

   まず 認識 自身を納得させる事

   人間が縋り得る存在 人間自身 その自覚の下

   人がもし 神を必要とするものならば 神は

   自身の心の内 心の中で 静かに育むべき存在

   それが神 わが心に住む神 わが心に育む神

   その神が人間 自身を統御する 自分を律する

   しかし その神 その存在の絶対的条件 

   悪徳の神 人間 人を 苦難 苦痛 苦悩

   悲惨の道に追い込む神であっては ならない

   人が縋り得る存在 神は 人間 人の世 人の世界の

   守護 人の世界を 律する為のもの 

   争い 諍い 貶め 人各々に 苦難 苦痛 苦悩 を

   もたらす神であっては ならない

   人の心を蹂躙する神であっては ならない

   金銀宝飾 巨大な力 権力 楼閣 必要ない

   神には無用 神はひそかに 静かに 人々 人間

   各々を 見えない場所で支える存在 隠れた存在

   それが神 真の神 ひなびた片田舎 草生す道端

   風雨 直射の日光 陽射しを浴びて ひつそり佇む

   道祖神 その姿 それこそが真の神の その姿

   人々 人間 人の世が生み出した 真の神

   その姿

 

 

          影のない足音(7)

 

 わたしは咄嗟に、先程 、同じ場所で動いたと思った人影を思い浮かべた。

 やっぱりあれは、眼の錯覚などではなかったのだ。誰かが俺の後を付けていたんだ !

 だが、もし、そうだとしたら、いったい、なんの為に・・・・?

 ふと、一つの情景が思い浮かんだ。

「あんたの後を付けたんだ」と、わたしが言った時、思い掛けなく女が見せた、凍り付くような表情だった。あるいは女は、身辺を探られたくない為に、俺をどうにかしようとしているのだろうか ? だが、仮にそうだったとしても、いったい、何故 ?

 俺に知られたくない、何かの秘密を隠し持っているのだろうか ?

 しかし、最初に女の後を付けた時に聞いたように思った、あの足音は、すると、どういう事になるんだ ?

 わたしは湧き起こる疑念と共に、暫くは人影の通り過ぎた三叉路を見つめ続けていた。

 しかし、再びそこに動くもののない事を確認すると、足音を殺し、用心しながらゆっくりと歩いて行った。もし、誰かが物陰から飛び出して来た時には、いつでも動けるように身構えていた。

 ようやく人影の動いた三叉路まで来た時、だが、そこでもやはり、何事も起こらなかった。静まり返った夜の中に、外灯の乏しい明かりが描き出す、ほの暗い道が続いているのが見えるだけだった。

 わたしは、なんとはなしに覚える安堵感と共に、大通りへ出るとタクシーを探した。なかなか来ないタクシーを探しながら二十分程歩いて、ようやく空車を捕まえる事が出来た。

 

          -----

 

 身辺に、尋常ではない、と明らかに分かる気配を感じるようになったのは、それから三、四日経ってからだった。わたしが働いているバーで白木が、

「おまえ、何かやったか ?」

 と、カウンターの中でわたしに囁いた。

「なんで ?」

 わたしは白木の言う事の意味が分からなくて聞き返した。

「今入って来たあの二人連れを見ろ。刑事(デカ)じゃねえかと思うよ」

「刑事 ?」

 奥まったカウンターの隅に席を取った男たち二人は、わたしの眼には平凡なサラリーマンのようにしか見えなかった。

「うん、どうもここ二、三日、店のまわりで変な男たちがうろうろしている」

 白木はわたしと眼を合わせる事なく、軽い世間話しをする時のように、何気なさを装って言った。

「別に、刑事に付け回されなければなんねえような事はしてねえな」

 わたしは言ったが、そう言ったすぐ後で、冷たいものが体の中を走るのを意識した。女の後を付けた夜と、それに続く二度目の夜の出来事が脳裡をよぎった。

 だが、客たちのいる前で、いつまでもそんな話しをしているわけにはゆかなかった。その話しはそれきりになった。

 白木の怪しんだ男たちは、ピーナッツのつまみとビールでかなりの時間ねばっていた。たいした金は使わなかった。しきりにタバコを燻らせていて、話しのはずむ様子もなかった。閉店前三十分程に店を出て行った。

「刑事だと思わねえか ?」

 白木が、また言った。

「うん、よく分かんねえけど」

 わたしは曖昧に答えた。

 刑事か、それ以外の者なのか、判断が付き兼ねた。はっきりしている事は、女に絡む事でわたしの身辺に何かが起こっているのでは、という事だった。女がわたしに何かを仕掛けようとしているのか ?

 それから更に三、四日経っていた。店が終わった後わたしは、白木と連れ立ってゲイ、バーへ行った。代々木のアパートへ帰った時には、午前三時を過ぎていた。

 多少の酔いを覚えていた。古びた木造アパートの部屋の扉を開け、靴を脱ぐと座敷に上がってそのまま、四畳半に敷かれた万年床に倒れ込んだ。

 どれだけの時間眠ったのか、覚えがなかった。尿意に促されて眼を覚まし、軽い頭痛を意識しながら、明かりを付けるのも忘れて暗い中でトイレに入った。

 終わった後で何気なく小窓の外に眼を向けてわたしは、自分が夢の中にいるかのような錯覚に捉われた。アパートの斜向かいの小さな四つ角に二人の男たちが立っている・・・・

 わたしはまだ眠気の取れない眼を瞬(しばたた)かせ、もう一度確認するように視線の先に注意を凝らした。

 次の瞬間、わたしは頭痛を伴った、まだ醒め切らない酔いが体中の血の引く思いと一緒に、一気に引くのを意識した。

 外灯の明かりの下にいる男たち二人のうちの一人は、手持ち無沙汰の様子でしきりに三、四歩、歩いては、同じ場所を行ったり来たりしていた。小柄でジャンパー姿の、何処にでもいるといった感じの男だった。あとの一人は、やや小太りな体に黒っぽく見えるスーツを着ていて、光りの鈍い外灯の明かりの下でタバコを吹かしていた。二人とも四十歳ぐらいに見えた。バーにいた男たちとは明らかに違っていた。

 わたしはだが、男たちが二人だという事に、厭なものを感じた。白木が言った言葉を無意識のうちに思い出していた。あの時も男たちは二人だった・・・・・。

   

 

   


遺す言葉 232 小説 影のない足音 他 余震

2019-03-10 10:58:35 | 日記

          余震(2011.4.23日作)

              今年もまた、東日本大震災の日、三月十一日が来ました。

              この文章は災害発生時の2011年に書いたものですが、

              当時の記録として、今回、ここに掲載致します。

 

   平成二十三年(2011)三月十一日午後二時四十六分

   この国を襲った 何百年に一度と言われる大地震

   それに続く幾多の余震

   その執拗さ 執念深さ は 地中に住む悪意を持った悪魔が

   人間社会への 積年の恨みを果たしているかのようだ

   瞬間的に起こった 前代未聞の大災害 地震に津波

   それに重なる 原子力発電機能 の 破壊

   この国 その国土の一つを形成する 本州の四分の一 に 近い地域の

   家屋 や 諸々の 建造物の崩壊 それに伴う

   瓦礫の山と化した 地上の惨状

   余震は その大地に被災の身を生きる人々の

   明日さえ分からぬ不安な心を さらに不安に追い込んで

   連日連夜 襲って来る

   この無慈悲 過酷さ  被災に疲弊した人々は

   悪意を秘めたようにも思える大地の揺れに

   ただ ただ 身構える事しか 出来ないでいる 日頃

   知恵と知識を誇り 様々に幾多の困難 難題 苦境に

   立ち向かい 解決の糸口を見い出しては 乗り越えて来た 人間

   その人間の前に今 連日連夜 襲い掛かって来る幾つもの 余震は

   それに先んじて 起こり 膨大な被害をもたらした

   あの巨大な揺れと共に 人間たちを 呆然と立ち竦ませる

   もはや 人間の手の及ばぬ所 一つ一つ 難題に挑み その都度

   解決の糸口を見い出しては 今日(こんにち) この日まで生き延びて来た

   人間 その人間たちの持つ叡智 知恵 知識 解決力 も 

   この星 地球を包み込む 広大な宇宙の真理

   自然の摂理の前では いかに儚く 無力なものなのかを

   度重なり襲う 幾多の余震は 突き付けて来る

   驕りたかぶる人間 ともすれば

   自身の領分さえ忘れ

   増長の道を進みかねない 人間社会の足下に

   この宇宙の真理 自然の摂理は 人は人として

   常に謙虚に 人の力は決して

   無限ではあり得ない と その

   真実の姿を突き付けている かのようだ

 

 

 

          影のない足音(6)

 

 

 手にしていたブラッシを放り込むようにしてハンドバッグにしまうと、姿見の前を離れた。

「あんたが信用しないからだよ」

「信用しない訳じゃないわ。信用出来ないだけよ」

「なぜ、信用出来ないんだ ?」

 女は答えなかった。

「それだから一回一回、金でけりを付けていたっていう訳か ?」

「そうよ、それだけの事よ。それ以外の何ものでもないわ」

 女は嘲笑するように言った。

「男に飢えながら、男を信用する事の出来ない哀れな女か !」

 わたしは女の嘲笑に対抗するように、それが女に対する最大の侮辱だと知りながらも、あえて口にした。

 女はその言葉で、明らかに感情を乱したようだった。それでも強気に

「あんたなんかに、分かりはしないわよ」

 と言ったが、最後の言葉は嗚咽の中に埋もれていた。

 女はそのまま部屋を出ようとするように、ドアへ向かって歩いた。

「もし、男の方であんたが好きになった時には、どうするんだ ?」

 わたしは女の背中に言った。

「あんたには関係ないでしょう」

「関係なくはないよ」

 女の背中が小さく揺れた。が、それも束の間だった。女は部屋を出て行った。

 ドアが閉じられ、外との世界が遮断された。女の遠ざかる足音も聞こえなかった。

 わたしはベッドに座ったまま、女との決定的な終わりを意識した。もう、女が来る事はないだろう・・・・・・

 かすかな空虚感が胸の中を走り抜けた。

 

          -----

 

 わたしは友人の白木がチーフを務めるバーの仕事を手伝いながら、土曜日の夜になるといつも「蛾」へ足を運んだ。例の若いバーテンダーとはすっかり顔なじみになっていた。

 女はわたしが予想した通り、再び「蛾」に姿を見せる事はなかった。若いバーテンダーが自分から、姿を見せない女の話題に触れる事もなかった。

 わたしは女に入れ込むつもりはなかったが、それでも、再び姿を見せない女を思うと、ある種の寂しさを意識せずにはいられなかった。

 いったい、女はどんな生活をしているのだろう ? 女が口にした「あんたなんかに分かりはしないわよ」と言った言葉の裏には、どんな意味が隠されていたのだろう ?

 わたしの意識の裡には、わたしが最後に言った「関係なくはないよ」という言葉に、女が束の間見せた逡巡する気配が未練がましく刻み込まれていた。女がその言葉に引き寄せられるように、また、「蛾」に足を運んで来る事はないのだろうか ?

 しかし、わたしが「蛾」で過ごす時間は、週を過ごすごとに、月を過ごすごとに、虚しく積み重ねられていた。わたしは、なんとなく未練が残る思いで、再度、女の家を訪ねてみようかという気持になっていた。あの場所の近くへゆき、待っていれば、あるいは深夜に帰って来る女に偶然でも、出会う機会に恵まれるかも知れない。

 女への愛情 ・・・・・というのとは、また、違う気がした。それでも何故とはなしに、何処か冷たく、翳りを帯びた雰囲気を持つ女には、心惹かれるものがあった。肉体的に魅せられ、心惹かれた、というよりは、女の存在そのものが気になった。その存在を身近に感じていたい、という、柄にもない感情が湧き上がるのを意識した。

 その土曜日、わたしは午後九時頃「蛾」へ行った。女が来る事はないだろうと思いながらも、十二時近くまでねばった。

 女はやはり来なかった。

 わたしは意を決して、この前、女のあとを付けたあの場所まで行く事に決めた。

「蛾」を出るとタクシーを拾った。むろん、闇雲に訪ねて往くだけの事で、女に会えるという保証など何もなかった。女の住む家さえ分かっていないのだ。せめて、名前の一部でも聞き出しておけばよかった、と迂闊さが悔やまれた。

 うろ覚えの道だったが、それでもどうにか、この前、女がタクシーを降りた同じ場所に辿り着く事が出来た。

 女が歩いて行った小道は、相変わらず鬱蒼とした樹々に上空を覆われていて暗かった。わたしの足を運ぶ靴音が耳にこもるように聞こえた。

 わたしはこの前来た時、足音を聞いたように思ったのは、どの辺りだったのだろう、と考えながら、用心深く周囲に気を配り、ゆっくりと歩いて行った。そして、二本目の外灯の下を通過した時だった。わたしは息を呑んで立ち止まった。

 三叉路に立つ外灯の明かりの下で、微妙な感じで人の動く気配がした ? と思ったのだった。

 足音への疑念をまだ払拭出来ないでいたわたしは、緊張感で凝り固まり、その場を動けなくなっていた。湧き起こる恐怖心と共にしばらくは視線を凝らし、三叉路を見続けていた。

 人通りも途絶えた三叉路にはだが、再び、ものの動く気配はなかった。

 あるいは、必要以上に警戒するあまりの恐怖心が引き起こした、眼の錯覚だったのだろうか ?

 今度もまた、確かな判断が出来なかった。

 わたしはそれでようやく気を取り直し、また歩き出した。

 三叉路まで来るとわたしは、この前と同じように、女が曲がった道へ入って行った。

 周囲に建ち並ぶ家々は、ことごとくが門を閉ざし、樹木に覆われた屋敷の中で黒い影となって静まり返っていた。

 女の家がどれなのかは、依然として分からなかった。わたしはやはり前回と同じように、何度もその道を往ったり来たりした。

 あるいは、偶然にでも、女が深夜の遊びから帰って来るところに出会えるのではないか ?

 だが、その期待も虚しかった。結局わたしは、この前と同じように女の家を探し出す事も、女に会う事も出来なかった。これ以上、うろうろしていても無駄だ、と諦めると気が抜けてしまい、小さな坂道が右へ折れて下る角の家の塀に身を寄せてタバコを取り出し、火を付けた。二本、三本と立て続けに吸った。

 あるいは今頃、女は布団の中で気持ちよく眠っているかも知れないのだ。

 そう考えるとバカバカしくなって、もう、帰ろう、と思った。

 腕時計を見ると針はあと十分程で二時になるところだった。

 わたしは短くなったタバコを投げ捨てて、靴の底で踏みにじり、火を消した。今来た道を帰ろうとして顔を上げたその時、だが、わたしは、またしても三叉路の明かりの下を横切り、大通りへ向かって足早に過ぎ去る一つの人影を眼にしていた。それは決して、見誤る事のない確かな人影だった。

  

   

 

     

 

 

 

 

   

   

  

   

   

 

 

 

 


遺す言葉 231 小説 影のない足音 他 今なお遠く

2019-03-03 10:14:32 | 日記

          今なお遠く(2019.2.22日作)

 

   わたしが願い求めるものは

   ただ一筋の道

   遠い遠い彼方に続く 細い道

   たどり着く果てにあるものは 楽園

   今日の今日まで 

   誰も見た事のない  一つの果実

   誰かいつか その道の果てにたどり着き 

   果実を手にする事は出来るだろうか ?

   人は今日も世界のあらゆる場所

   至る所で それぞれ 時を

   それぞれ 人の生を 生きている

   苦悩 愛憎 歓喜に悲哀

   怒りと嘆き 希望と失意

   わたしの願い求める

   一つの果実に至る道は

   今なお遠く 愚者の描く

   悲惨と涙 ふくれあがる欲望に彩られた

   醜悪な絵模様だけが

   時代の中 時の中に

   色濃く 描き出されてゆく

 

 

          小説 影のない足音(5)

 

 

 しかし、そこには、漠然と女を待つ、というよりは、より積極的に、女を捜すという、強い気持ちが込められるようになっていた。あの時、確かに聞いたと思った足音へのこだわりと共に、女への未練のようなものもまた、幾分かはあった。

 女はだが、なかなか来なかった。四週間、五週間、六週間・・・・・・

 依然として、女は現れなかった。わたしは時の経過と共に次第に、女はあの時、後を付けられた事に気付いたのではないか、と考えるようになっていた。奇妙な足音を聞いたように思ったのは、空耳ではなかったのだ。わたしが後を付けた事に気付いた女が、何処かでわたしの様子を探っていたのだ。それで女は警戒して、姿を見せなくなったのだ。ーーこんなに長く姿を見せない事が、その何よりもの証拠に思われた。

 そして更に、七週間、八週間と過ぎていた。わたしは、もう、女は来ないのだ、と諦めかけていた。

 それだけに女の姿を「蛾」のカウンターに見い出した時には、奇妙な胸の高鳴りを覚えていた。懐かしい人に再び会えたような、あるいは、どこか謎めいた女に対する警戒心のような、自分にも分からない複雑な感情が沸き起こっていた。

 わたしはそれでも、極めて何気ない様子で女に近付くと、

「今晩わ」

 と、軽い調子で言った。

 女は多分、この前と同じように鏡の中で、わたしが近付くのを見ていたのに違いなかった。が、今度は振り返ってわたしを見た。そして、

「今晩わ」

 と言った。

 女はだが、今度もそれ以上の事は言わなかった。笑顔も見せなかった。

 わたしはかまわず女の隣りに座った。

 女が二度も同じ夜を過ごしていながら、親しみのこもった笑顔一つ見せない事に、少しの困惑と共に、戸惑いを覚えた。

 わたしはその戸惑いを隠すように、

「ウイスキー」

 と、初めてわたしが女に出会った夜、わたしの相手をしたバーテンダーに言った。

 わたしはすぐにタバコの箱を取り出して一本を抜き取り、口元に運んだ。

 バーテンダーがカウンターの向こうでマッチを擦って差し出した。

 わたしはタバコに火を付け、深く吸い込んでから一気に煙りを吐き出した。ーーー

 その夜も、いつも通りだった。わたしはだが、今度は眠ってしまうようなヘマはしなかった。わたしは二度、女を求めた。

 女はわたしが心配し、あれこれ推測した足音に就いては、何も知らないらしかった。それらしい気配はまったく見せなかった。しばらくベッドの上でわたしと並んで休息したあと、女は体を起こした。

「帰るの ?」

 わたしは聞いた。

「ええ」

 隠す事もないかのように女は言って、ベッドの上に投げ出されていた下着を身に付けた。

「朝までいたら ?」

 わたしは言った。

「駄目よ」 

 冷ややかに女は言った。

「寝起きの顔を見られるのが厭 ?」 

 女は答えなかった。ベッドを降りると浴室へ行った。

 シャワーを浴びる音がして、間もなく女は戻って来た。

 わたしはベッドに足を投げ出して座ったまま、タバコを吹かしていた。女のスリップ姿を見ると、何かしら親しみに似た感情が沸き起こって来て、

「おれ、悪いと思ったんだけど、この前会った時、あんたの後を付けたんだ」

 と、言わずもがなの事を言っていた。

 ---思ってもみなかった。見る見る変わる女の表情がわたしを驚かせた。シャワーを浴びたばかりの顔が蒼白になって、女は硬直したようにその場に張り付き、動かなくなった。

「なぜ、そんな事をしたの ?」

 怒りに満ちた、腹の底から絞り出すような声で女は言って、鋭い視線をわたしに向けた。

「なぜって・・・・、意味なんかない。あんたが何も教えてくれないからさ」

 わたしは思いも掛けない女の様子に驚きながら、居直って答えた。

「いったい、わたしの何を知ろうって言うの ?」

 激しい口調で女は言ったが、その眼には憎しみの色が浮かんでいた。

「何をっていう訳じゃないけど、あんたが好きだからさ」

 わたしは言い訳がましく言った。

「嘘よ !」

 女の怒りは収まらなかった。

「嘘じゃない」

「嘘じゃなくても、そんな事をしたって、なんにもならないでしょう !」

 叩き付けるような言葉遣いで女は言った。

「どうして、なんにもならないんだ ! たっぷり楽しんで、あとは、さよなら、って言うのか ? 有閑夫人の火遊びって言うわけか !」

「そんなんじゃないわ」

「そんなんじゃなければ、どうだって言うんだ。おれを金で買って、いい気になっているだけじゃないか ! 」 

 女は突然、背中を向けた。姿見の前に行くと乱暴にストッキングを探し出し、ベッドの端に腰を下ろして脚を通した。

 再び、姿見の前へ行くとスカートをはいた。ブラウスに腕を通し、ボタンを掛けた。

 その間に女は、一度もわたしの方へ顔を向けなかった。頑なに背中を見せていた。

 女はハンドバッグの中を探ると小さなブラッシを取り出し、乱暴に髪に当てた。手早く粗い動作だった。

「あんたには、おれが信用出来ないんだ」

 わたしは女のわたしを無視した態度に苛立ち、責めるように言った。

「あなたの何を信用しろって言うの ?」

 女はわたしに背中わ向けたまま、髪を整える手を動かし続けていた。

「じゃあ、なぜ、おれと寝た ?」

 女は答えなかった。

「おれが悪なら、あんたを強請(ゆす)る事だって出来るんだ」

 女は一瞬、怯えたように息を呑む気配を見せた。それからすぐに、

「男なんて、みんなそんなものだわ」

 と、吐き捨てるように言った。