遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(346) 小説 化(あだしの)野(4) 他 孤独 熟柿は落ちる

2021-05-23 11:46:16 | 小説
         孤独(2020.9.1日作)

 孤独は寂しいものではない
 孤独には心の純化が宿る
 研ぎ澄まされた心がある
 雑念 雑事 芥の消滅
 孤独は無限大
 解き放された世界 未来を
 見詰める 
 孤独は自由 自立
 遠く 遠い他者との距離
 孤独は微笑み
 孤独は憩い
 孤独は慰め


          熟柿は落ちる(2020.9.21日作)

 
 自身の姿を
 時という鏡の中に映し
 見定める行為を怠るな
 今現在 身に纏った衣装も
 過ぎ逝く時の中では やがて
 身丈にそぐわぬものとなる
 過ぎ逝く時の中
 そぐわぬ衣装のままに なお
 今を 踊り続ける行為は
 哀れを誘う




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          化け(あだしの)野(4)

 
 女は夜通しの火を守るために、更に太い木の枝を囲炉裏にくべると、
「明日の朝は早く仕事に出ますので、眼が醒めた時には居ないかも知れません。その時には、この鍋の中のものを温めて食べていって下さい。村へは朝日に向かって真っ直ぐ歩いて行けば出られますので」
 と教えてくれた。
「はい、有難う御座います」 
 と、わたしは言ったが、そう言ったすぐ後で先程から気になっていた、まだ年若い女性がなぜ、こんな杉の木立の深い林の中で一人、生活しているのかという思いを更に強くして、不躾ではと思いながらも聞いてみた。
「失礼ですけど、ここに一人でお住まいなんですか ?」
 女はだが、そんな質問にも特別なこだわりは見せなかった。
「はい、両親が亡くなってからはずっと一人です」
 と言った。
 その答えは大方、わたしの想像していた通りのものだったが、それでもわたしは軽い驚きと共に更に聞いていた。
「こんな杉の林の深い中に一人で居て寂しくはありませんか ?」
 女はその質問には、
「はい。もう、馴れていますから」
 と、軽い微笑みと共に言って、特別な感情も見せなかった。
 囲炉裏の中では大きな枝に火が燃え移っていた。
 女はそれを確認すると、
「布団がわたしの物一枚だけしかありませんので、今夜はこの囲炉裏のそばでお寝み下さい。女の寝た布団では嫌でしょうから。上に掛ける物はありますので」
 と言った。
「いえ、何もしないで下さい。この火のそばで横にさせて戴ければ、それで充分ですから」
 わたしは女の心配りに恐縮して言った。
 草深い林の中の夜は冷え込みも強いのか、一段と底冷えが増して来るようだった。わたしは猟銃を手元に引き寄せ、囲炉裏の火に身体を近付けた。
「ここでお仕事をなさっているというと、林の仕事でもしてらっしゃるんですか ?」
 囲炉裏の火の心地よい暖かさと、女の細やかな心遣いに包まれてわたしは傷の痛みも忘れ、すっかり寛いだ気分に浸っていた。その寛ぎが幾分、わたしを饒舌にしていたようだった。先程、女が言った仕事という言葉を思い出しながら聞かずもがなの事まで聞いていた。
 すると女は、
「いいえ、湖で漁をしています」
 と言った。それが極めて自然な事でもあるかのようだった。
「みずうみ ?」
 わたしはだが、女の口から出た思い掛けない言葉に自分の耳を疑い、思わず聞き返していた。
「はい。ここからもう少し奥へ入ると大きな湖へ出ます」
 女はやはり、静かに言った。
「そこで漁をなさってらっしゃるんですか ?」
 わたしは不思議な思いを断ち切れないままに聞き返した。
 過去、何度かこの地方へは狩猟で来ていたが、近くに湖があるなどとは誰からも聞いていなかった。
「はい。町の料理屋さんへ湖の魚を届けなければなりませんので」 
「その漁を一人でなさってらっしゃるんですか ?」
「はい」
 と、女は言った。
 わたしは依然として信じ難い思いを拭い切れなかったが、それでも、
「この辺りに湖があるなんて、全く知りませんでした」
 と言うよりほかなかった。

 ---何時の間にかわたしは眠ってしまっていたようだった。気が付いた時には朝になっていた。
 囲炉裏のそばで横になったわたしの体の上には薄い布団が掛けられてあった。
 囲炉裏の中で火が消え掛けていた。
 背中に忍び寄る寒さで眼が醒めたらしかった。
 小屋のあちこちの透き間から差し込む仄かな明るさが夜明けを教えていた。
 小屋の中には女の姿はなかった。昨夜の言葉通り、仕事に出てしまったらしかった。
 囲炉裏の上の自在鉤には鉄鍋が掛かっていた。火が弱いせいか湯気も立っていなかった。
 昨夜の食事をした食器などが囲炉裏のそばに置いてあった。
 ーーわたしは咄嗟の気懸かりを覚えて慌てて猟銃を探した。
 猟銃は昨夜のままに自分のそばに置かれてあった。
 安堵の思いと共に、女の親切にはなんのたくらみもなかった、と知ってわたしは、改めて女への感謝の気持ちを深くした。
 その思いの中でわたしは気持ちのゆとりを意識すると、今度は小屋を取り囲む状況が知りたくなって、透き間から差し込む明かりを頼りに土間へ降りると引き戸を開けてみた。
 思わず息を呑んでいた。
 引き戸を開けた眼の前、一メートル程までにススキの群れが迫って来ていた。圧倒的なその群れの密度が息苦しさを覚えさせるようでわたしは思わずたじろいだ。唖然とした思いのままわたしは、昨夜はこんなススキの中を歩いていたのだろうか、と思わずにはいられなかった。
 道らしきものは何処にも見当たらなかった。
 女はいったい、この何処を通って湖へ行ったのだろう ?
 興味を誘われるままに小屋の外へ出てみた。
 僅かな空き地に立ったまま、女が通った跡が残っていないか、探してみた。
 ようやく、僅かにススキの折れている場所を見つけ出した。
 多分、ここを通って湖に行ったに違いない。
 杉林の中には濃密に辺りを覆って白い靄が立ち込めていた。
 周囲はまだ暗かった。
 わたしはひとまず小屋の中へ戻ると、一息入れる思いで上がり框に腰を降ろした。この時になって初めて、自分の腕の傷を思い出した。
 その傷は昨夜の女の言葉通り、まったく痛みを感じさせなくなっていた。
 それでもわたしは傷口を検めてみる気になって、ジャンパーを脱ぎ、セーターを脱いでシャツ一枚になり、傷口に張り付いている何かの葉をはがしてみた。
 大きく裂けていた傷口はほぼ塞がりかけていた。それでも傷の完治したわけではない事は、そこからまだ滲み出る僅かな血で分かった。
 わたしは何はともあれ、安心感を覚えるのと共に、このままそっとして置いて宿へ帰ってから本格的に治療をしようと考えた。
 再び、先程はがした葉を傷口に押し当てるとセーターとジャンパーに腕を通した。
 傷口がほぼ塞がりかけているように見えるだけ、セーターが傷口の肉に触れる感覚もなくて痛みを感じなくてすんだ。




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          桂蓮様

          コメント 有難う御座います
          ブログ 新作「動的静けさ」
          これはまさしく桂蓮様が目指している
          禅の「悟り」の境地です 禅は体得したものしか
          認めない 優れた職人の方々が難しい作業を
          何気なく行っている 体が覚えているからです
          桂蓮様のバレーもそこまで行ければ
          本物と言えるのではないですか 是非
          頑張って下さい
           御主人様のお話し とても面白く拝見しました 
          男なんて単純な事に熱狂して子供のように騒いでいる
          でも、そのような人に悪人は居ません
          お幸せな御家庭の様子が眼に浮かびます
           脊髄の痛み 是非 ストレッチで直す事を
          勧めて下さい わたくしも神経痛がありましたが
          医師の「筋」を伸ばせば痛みは消える
          という言葉に促され地道に体を伸ばしつづけて
          いるうちに神経痛が消えました
           コロナ予防接種 わが国の状況は散々です
          わたくしはまだしていません。特別 したいという
          思いもありません。副作用も気になりますし
          自分自身で気を付けるより仕方がないと思っています
           辛口 甘口 わたくしは意識した事がありません
          ただ、真実を語りたいと思っているだけです
           おべっか お世辞はわたくしの最も嫌うものです
          ですからわたくしは 誰にも おべっか お世辞を
          言う積もりはありません また 他人の悪口も
          軽々に口にしてはならないと考えています
          但し 批判は辞さない積もりでいます
           いつも拙文にお眼をお通し戴き 有難う御座います




         takeziisan様


        有難う御座います
        毎回 よくこれだけの記事が書けると
        感嘆しております
        今回も楽しませて戴きました
        花 鳥 野菜 毎回の"羨み節"今回もまた羨ましい   
        限りだと
         ジャム造り 毎年同じ事の繰り返しで歳をとる
        人生 それで良いのではないでしょうか それが
        本当の幸せだと思っています 同じ事の出来なくなって
        初めてその有り難さが分かるものですが
         中学生日記31 当時の状況がよく分かります
        興味深く拝見しました やはり北陸                    
        わたくしなどの居た関東とは大分 違うなという実感
        関東 特に千葉県は温暖な気候に恵まれ 人間が
        のほほんと育ってしまい お陰でこの県からは
        傑出した人物が出ない などと言われています
        無論 伊能忠敬のような人物も過去には
        居る事はいますが
         方言 やはり貴重ですね 残って欲しいです
        今の時代 そんな方言もだんだん薄れてしまうのでしょうか
         「マロニエの木陰」好きな歌の一つです 
        ふと口ずさむ事も多いです
         川柳 そうだそうだ 納得 納得
         有難う御座いました