遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 191 人間の価値 ほか 

2018-05-27 12:31:30 | 日記

          人間の価値(2018.4.18日作)

 

   人間社会に於いては

   眼に映る華やかな場所で仕事をする人間より

   人の眼に触れない隠れた場所で心のこもった

   真実の仕事をする人間の方が

   はるかに尊敬に価する

   人の眼に触れ 人々の関心の下(もと)にする仕事には

   しばしば大向こうを狙った 臭気や軽薄さが伴う

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   頭が良くて馬鹿な人間ほど 困るものはない

   頭が悪くても利口な人間は 人の生き方に

   何かしら プラスをもたらしてくれる

   小利口な人間など論外

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   真に実力のある者は 学歴などに頼らなくても

   その実力で生きてゆける

   その実力のない者だけが

   学歴を標榜したがる

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   優れているものは みな美しい

   美しさのないものは 不完全だ

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   ちょっと人生に苦労した人間は

   自分の苦労は特別だと思いがちだが

   人は誰でもそれぞれに苦労を抱えているものだ

   違いはその苦労を口にするかしないかだ

   人間の価値は そこで問われる

 

 

          尊敬する人は?(2018.2.5日作)

 

   尊敬する人は 父や母 あるいは 

   祖父や祖母 この言葉を 軽く 浅い

   視野の狭い言葉 なとど

   笑わない方がいい

   どんな偉人の伝記 伝説 を 読むより

   どんな高名 有名な人の伝聞を 見聞きするより

   日々 苦労に耐えながら

   誠実 真摯に 日常を生きる

   そんな両親や 祖父母 の 必死な姿

   その姿に接する事の方が その子供にとっては

   はるかに深く 大きな意味を持つ

   価値ある事なのだ

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   身近に心身で得た感情は

   百遍の見聞より はるかに高い価値を持つ

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   平凡な人生を日々 誠実 真摯に生きる

   そんな人間の 何気ない姿ほど

   美しく 高い 価値を持つものはない

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   高名 有名 に 惑わされるな

   高名 有名 必ずしも

   高い価値を持つとは限らない


遺す言葉 190 あなた達よ

2018-05-19 16:40:23 | 日記

          あなた達よ(2018.5.14日作)

 

   あなた達よ

   この世に生を受けた

   一人の人間としての あなた達よ

   今 あなた達が手に持つ

   その武器を捨てて下さい

   人は誰もが この世に生を受けた以上

   一人の人間として 生きる権利

   幸せ 健やかに 日々

   穏やかな生を生きる権利を持った

   一個の存在 なのです それは

   あなた達も一緒 同じ事 間違いなく

   同じ一個の存在 なのです 遠く離れていても

   たとえ 肌の色が違っていても 

   話す言葉が違っていても

   信じる宗教 信じる神々が違っていても

   その国 今 あなたが住む国の景色や

   形が違っていても 人はみな同じ

   一つの命を持った 一個の存在 誰のものでもない

   命 あなた自身の命 わたし自身の命 を

   持った一人の人間 それぞれに独立した

   一個の存在なのです

   その存在 その一個の命は 他の誰か

   他の人 他者には決して代わり得ない

   確固とした 独立存在なのです

   あなたが生まれた この世界

   この世界にあなたが 生まれた以上

   あなたは この世界を 生きる権利が ある

   誰のものでもない あなた自身の 権利

   誰のものでもない わたし自身の 権利

   その権利 その権利を生きる命 を 奪う事は

   誰にも許されない行為 人の命 人の権利

   人の存在に反する 行為なのです

   今 あなたが手に持つ その銃で

   今 あなたが手に持つ その刃(やいば)で

   今 あなたが抱える その爆薬で

   人 一人の命を奪う事 その行為は

   あなた自身の命を奪う事と

   全く 同じ行為 全く 変わらない事柄なのです

   人と人 命と命 眼には見えない

   遠い何処か 眼には見えない

   深い何処か 眼には見えない

   遥かな何処か で 繋がり

   結び合わされている それが

   人間 一つの命を宿した存在

   人間なのです

   人と人 命と命 人は

   一人では生き得ぬ存在 一人の人間

   それが人間 一人の人間 あなたなのです

   それが人間 一人の人間 わたしなのです

   どうか今 銃を手にしているあなた

   どうか今 刃を手にしているあなた

   どうか今 爆薬を抱えているあなた

   あなた達よ その手にしているものを

   抱えているものを 捨てて下さい

   あなたが銃を捨てた その手で

   あなたが刃を捨てた その手で

   あなたが 爆薬を捨てたその手で

   あなたとわたし 互いに 互いの手を取り

   取り合って この地球 只今現在 唯一

   人の生きる 宇宙の中の この 星の上で

   人と人として 結び合い 繋がりあって

   人と人として 手を取り合い 人と人とが創り出す

   大きな輪 笑顔と笑顔で結ばれた

   大きな輪を作り 昨日も今日も

   明日も明後日も 絶える事ない 

   消える事ない 明るい世界 明るい未来 を

   築いて ゆこうではありませんか

   笑顔と笑顔 笑顔の渦の中

   永遠とわに 途切れる事ない ワルツ

   円舞曲を奏して 踊り 地球という この

   広大稀有な舞台ホールを 華やかな

   円舞曲 ワルツ で

   埋め尽くそうでは ありませんか

   人と人との結び合い 固く固く結ばれた

   人と人との命 

   人と人との笑顔

   人と人との手

   互いに信じ 信じ合い 許し合い

   受け入れ合って 穏やか 平和な世界を

   創ってゆこうではありませんか

   明日と言わずに 今日今から

   今すぐにでも

    

   

   


遺す言葉 189 母の死

2018-05-13 13:28:03 | 日記

          母の死 「その1 」(2011.7.26日作)

 

   母の死は文字通り

   穏やかだった

   病院のベッドに横たわり

   静かに眼を閉じていた顔を一瞬

   わずかに歪めて 小さく

   眉間に皺をよせた と思った時

   母の命の鼓動を数字に変え

   送り続けて来たモニターの画面が 突如

   暗黒に変わり そこに映し出されるものは

   もはや 何もなかった 

   この世との別離

   眉間に皺をよせたその表情が母の

   永遠の別れへの言葉のない挨拶だった

   わたしたち兄妹に涙はなかった

   誰もが安らかに母を送り得た事実に

   小さな満足感を抱いていた

   九十六歳 天寿を全うしての

   母の旅立ちだった

   -----

   入院前の数日間 母は

   食べ物も飲み下せないほどに

   衰えていた 老衰の状態だった

   怪我などもふくめ 幾度も入院しては

   その都度 無事 帰還を果たしていた母だったが

   この時には

  「もう 自宅へ帰るのは無理だと思います」

   医師からの宣告だった

   わたしたち兄妹は覚悟を決め

   母を見守った その中で母は苦しむ事もなく 

   眠るがごとくの言葉通りに

   穏やかな旅立ちを果たした そして

   わたしたちは一つの教訓を胸にした

   十全に人生を生きた人を

   充実した介護のもと 

   心置きなく送り得た時には

   たとえ 一人の人間の死であっても

   そこに哀しみの感情の入り込む余地はなく

   むしろ 人が人として

   一人の人間を安らかに送り得た安堵感と

   心の充足 満足感に充たされるものだという

   真理

   一人の人間の死は 哀しみばかりではなく

   時には祝福の感情に包まれる事も有り得るのだ という

   真理

   大切 大事なことは 人が人として                                                         

   十全に生きるという事

   たとえ 苦難続きの人生であっても

   十全な人生を歩み得た人を

   心置きなく送り得た時には 

   永遠の別離が来ようとも そこに

   哀しみの感情の生まれる余地はなく

   一つの生の終わり 死にも祝福が似合うのだいう

   事実

   終わり良ければすへて良し !

   十全に人の世を生き得た人の生の終わり

   死に乾杯 !

   乾杯が似合うのだ

   

   

   

   

 

   


遺す言葉 188 映画がやって来た

2018-05-06 13:18:15 | 日記

          映画がやって来た(2018.4.30日作)

 

   あれは女性への憧れの

   最初の目覚めであったのか

   海辺に近い 片田舎の小さな村で

   校庭の片隅に白い幕を張り

   地面に敷いた筵(むしろ)の座席で観た

   映画「月よりの使者」

   すでに 半世紀以上の歳月が流れている

   昭和二十年 敗戦の年の四月

   国民学校一年生になったわたしは

   何歳の時に あの映画を観たのだろう

   当時 国も貧しく 人々も貧しく

   生きる事に追われる日々の中で

   娯楽と言えるものも乏しかった ーー

   年に一度の村祭りで行われる

   村の青年団の素人芝居や学校の

   運動会 学芸会 などに

   村中の人々 大勢が集まった

   そんな村に 何時からか

   映画が来るようになった

   小学生のわたしは 多分 母に連れられて

   その映画「月よりの使者」を 

   観に行ったに違いない

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   戦前 東京 深川にいたわたしは

   幼い頃から 父に連れられてゆき

   映画を観ていた

   成人してからも 映画への関心は

   薄れる事がなかった

   名画 傑作と言われる類の映画は

   数限りなく観て来ている

   生涯 忘れる事が出来ないであろう

   それらの映画の名場面の数々も 深く

   脳裡に刻み込まれている

   歳を経て 今では 自身の内面と                                                        

   世相との乖離(かいり)から

   映画へ寄せる関心も 薄くなって来てはいるが

   昔日に観た映画の 数々の名場面だけは

   過去への 郷愁と共に しきりに思い出され

   ふたたびの感動を その都度 新たにしている

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   映画「月よりの使者」

   物語全体の記憶は薄れている

   それでいて 今でもなお その映画が

   忘れ難く わたしの心に焼き付いているのは

   一つの場面のためだ

   月の光りに浮かび上がる 白い木肌の

   白樺林の中を歩む

   愛の哀しみを胸に秘めた 白衣の女性の姿

   その哀愁に満ちた女性の姿が

   あの映画を観たあの日から

   永遠の美しさを備えて わたしの心に

   今もなお 生き続けている