蒼生

風のふくまま気の向くまま自然にまかせて生きたいねえ

人も動物も、のんびりしている

2011-08-30 23:57:26 | Weblog
インドでは、動物が自由に行き来する。
まず、野良犬。


人との微妙な位置関係をよく知っているようで、近づきすぎることもなく、逃げるわけでもない。
集団でさっと走り去ることもあった。
犬本来の生き方を見るようだった。
1匹だけ、散歩に連れだされている犬を見た。
そのへんをうろついている犬との違いがよくわからなかったが、
この国では、飼われている犬と野良犬と、どちらが幸せなのだろう。


野良猫。これも、人のすぐそばで寛ぐ。
さすがに、大きな野良犬が来たときは一旦逃げたが、そのあと、また犬のそばに寄ってきていた。


のら?インコ。


・・・のらりす・・・

4


そして、野良牛。
・・・飼い主がいるという人もいた。
牛たちも、いたるところで見かけた。
ヒンズーの国では、食べられることはないはず。


さすがに、麦を食べないようにという配慮か、このろばはつながれていた。


・・・まあ、これは飼われているだろう。
この写真を撮るために、10ルピー(約20円)。
働きの悪いコブラは、バシバシと叩かれていた・・・
働かざるもの、食うべからず・・・??

祈りの街

2011-08-30 23:09:11 | Weblog
ラダックで気がついたこと。
それは、空の青さ、街にあふれる鮮やかな色と、山の茶色。
日本で子供たちは、たぶん山はみどりで描くだろうか。
でも、きっとラダックの子供たちは茶色一色で塗りこめることだろう。
草も木もない山肌の荒涼とした風景が広がる。


インダス川から山を望む。くっきりと現れた地層。
何億年か前に海の底から盛り上がった証なのだろうか。


これは一応、ハイウェイと表示してあった道。
砂漠に道路だけが延々と伸びている。
こんなふうにガードレールがあるのは本当に珍しい。


人が住んでいる周りには主にポプラが植わっていた。
この木は、いずれ家の柱に利用される。


家の前に立てかけてあるのは、ポプラの皮をはいで乾燥させていると思われるもの。

ラダックは昨年の洪水により、かなりの家が流された。
今はまだ復興中なのだが、その進展はかなり遅い。





これが、家が流されたあとなのだそうだ。東北の風景とだぶる。
人々は家を修復しながら暮らしているという。
雨の降らないラダックだからこそできること。
そんなラダックで起こった、集中豪雨による洪水・・・


そして、あちこちにみられるタルチョ
チベットではタルチョがはためき、その風に乗りルンタ(風の馬)が仏の教えを世界中へ広めてくれると言われているらしい。
チベット仏教以前の土俗信仰による呪文とも聞くが、私には、人々の祈りの声が聞こえるように思える。


何を願って、石を積むのだろうか。いたるところに、積み石がみられる。


インダス川とザンスカール川の合流地点。この先はインダス川となって流れていくという。
歴史の教科書で聞いて以来、聞くこともなかった、インダスの言葉に妙な魅力を感じてしまう。
そして、ここにも積み石。どうやってこんな位置に石を積んだのだろうか。
けっこう、崖の上から写しているんだけれど・・


あまりたくさんあるものだから、私も積んでみた。
願い事も、祈りもしなかったけど。





何年振り

2011-08-29 00:00:29 | Weblog
大阪市で豪雨 観測史上最大の雨量を記録
< 2011年8月27日 20:31 >
 27日、近畿地方は湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が不安定となり、大阪市では午後4時頃までの1時間に77.5ミリの激しい雨が降った。これは観測史上最大の雨量で、各地で排水溝から水があふれ出るなど冠水が起きている。

 また、大阪・羽曳野市では、川の中州に男児3人が一時取り残されたが、消防隊員に無事救出された。

 雨は大阪府や兵庫県を中心に27日午後9時頃まで降る見通しで、家屋への浸水や土砂災害などに警戒が必要となっている。


こんな大雨の日に、家族親族総出で、ボーリングに行った。
いや、行くときはもちろん雨なんか振りそうな気もしなかった。
それで、全員、自転車で。
はっきり言って、自転車なんてこの何年も乗っていない。
しかも貸してくれたのがカマキリ型で、足が地面につかないもの。
でも、自転車って、一度乗れたら一生乗れる、らしい。
苦もなく、むしろ、快適に。
ボーリングも、10年くらい、やっていない。
しかも、先日来の体調不良。
1ゲームやってみてドツボな点数だったのでもうやめておこうと思っていた。
それが、勢いでもう1ゲームやることに。
2ゲーム目は、まあまあの点数に。

そして、機嫌よく帰ろうと思ったら、先述の大雨。
それも、いつもの局地的集中豪雨だろうとタカをくくって、しばらく待っていた。
しかし、止むどころか、ますますひどくなる。
しかたがないので、全員で大雨をついて帰ることに。
たかだか10分くらいなのに、全身ボトボトに。
こんなにずぶ濡れになったのって、本当に何年振りだろう。
ある意味、気持いいかも。
それにしても、先週いたラダックは、年間降雨量が100ミリ、それに対して、1時間の降雨量が77ミリ・・

体調が悪いところにボーリングをして全身筋肉痛、
その後のずぶ濡れで、風邪・・
咳がとまりません・・やれやれ・・

ゴンパ(僧院)

2011-08-26 21:57:30 | Weblog
ラダック観光といえば、ゴンパ。
ラダックでは、個人旅行をしている人はともかく、
グループには案内人がつくようだ。
今回私たちのグループを案内してくれたのは26歳(だったかな?)の僧侶。
8歳の時に得度したそうだ。



最近、ラダックの僧たちも俗化してきているようで、彼もかるういノリの青年。
僧衣の下はトレーナー。
そして、常に携帯を持ち歩き、よくしゃべっていた。
このガイド料は彼自身の収入になるのか、ゴンパの収入になるのかはよくわからない。
ある意味、托鉢か??
托鉢といえば、あるゴンパに行ったときに、サングラスを掛けて、バイクにさっそうと乗って出かけたかっこいい僧侶がいた。
彼は托鉢に行くと言っていた。
本当かどうかは定かではない・・

さて、この観光、何度も言うが私は半分くらいしか行けていない。
まず、

サンカール・ゴンパ。







暗いお堂の中に静かに佇む千手観音。
日本や韓国、中国の仏像とは千手の雰囲気がかなり違う。
でも、顔はアルカイック・スマイル。飛鳥仏と似ているか?



これはお経が納めてある棚。



ティクセ僧院のラダックで最大の弥勒菩薩像。
見たかったなあ。



僧院の庭では灯明のお皿を僧が掃除していたらしい。
この綺麗に並べられた皿の美しいこと。
そういえば、チベットはバター灯明というが、私が訪れた僧院の灯明は植物油(サラダ油??)だった。
外に、油のポリ容器がおいてあったっけ。これも現代的?

もうひとつ見たかったのが、これ。



砂絵曼荼羅を描いていたという。
あああああ、うらやましい!!!
これはぜひ見たかったものだったのに!
なんでも、写真集を見ながら若い僧侶が4人で描いていたらしい。

実は今回の旅行で、アルチ・チョスコル・ゴンパという、美しい曼荼羅で有名な僧院に行こうということになった。
ホテルから2時間かかるという。
その日も午前中は元気に観光していたのだが、また、昼から調子が悪くなっていた。
でも、その曼荼羅は是非見たい。
気分が悪いのを我慢して車に揺られること1時間半。
インダス川に沿って草木のない砂漠地帯を走る。
突然車が止まってしまった。
どうやら、道路の拡幅工事中で、仕掛けた発破が中途半端だったらしく、崖に崩れかけの岩が残ってしまったらしい。そのために、道路は通行止め。
すると、困った見物人が石をその崖めがけて投げ出したという。
冗談だろうと思っていたら、その石が当たって、崩れかけの岩がガラガラと音を立てて崩れたとか・・
「いやあ、いいもの見たわ」と旦那。
私はそれどころではなかったが。
ただ、その先も長いことだし、先にも同じように通行止めになっている場所があるらしいということで、
残念ながらアルチ行きは中止に。
次の機会に、ぜひ!!と添乗員とガイドさん。
私に次は、ある・・・のかな?

高山病

2011-08-24 23:52:14 | Weblog


気圧が低いところに行くと袋物はみんなこんな感じ。
ぱんぱん。


出発までに食べる酸素を飲み、着いてからも高山病予防の薬を飲み、ゆっくりと動きなさいと言われて
ありえないくらいゆっくり動いていたにもかかわらず、
ひどい高山病になってしまった。
標高が3500mくらいであれば、ふつうにしていると空気が薄いことに気がつかない。
ただ、階段を登ったりすると心臓がばくばくして、頭がふわっとしてくる。
最初はその程度だったのだけれど、
ついた日の夜、食事の最中に気分が悪くなり、ふらふらと寝に行った。
その晩はそれで収まったかと思ったのだが、朝早くに散歩に行ったのが悪かったのか、
そのあとは、まるでひどい二日酔い状態。
頭は割れるように痛み、嘔吐した。
そして、発熱。
朦朧として、とても観光に行けるような状態ではない。
一緒に行った仲間や旦那は、じゃあ、とか言ってそそくさと出ていった。
一人残された私のところへは、ラダックの旅行社の人やホテルの人など、見知らぬ人が次々と訪れ、
血中酸素を測ったり、介抱してくれたりする。
でも、どう見ても、お医者さんではない。
そして、ついに、こんなところで、生まれて初めての、酸素吸入。



この時は40分ほどの酸素吸入でかなり楽になった。
熱がみるみる下がっていくのが分かるほど。
ただ、薬をのむためになにか食べなさいと言われ、
持ってきてくれたのが、カレースープ・・・
それは無理やわ・・・

結局、一度は回復したのだが、またぶり返したこともあって、
この旅行ではほとんど食事がまともに出来なかった。
胸がむかついて、香辛料の匂いを嗅いだだけでも気持ちが悪い。
高山病になってから食べたのは、西瓜とおかゆと梅干し。
偉大だぜ、梅干し・・・

もっとひどくなると、病院で注射、それでもダメなら入院。
必ず何人もが高山病になるので、どこでもボンベと薬は用意しているという。
ラダッキーですら、しばらく平地に降りて暮らしていると、戻ってきた時に病院に担ぎ込まれることもあるという。
恐るべし、高山病。
いやあ、なめてたわ。

一緒に行ったメンバーも多かれ少なかれ、何かの症状は出ていたらしいのだが、
こんなひどい状態になったのは私一人。
みんな、私よりうろつきまわってたで??
私はアルコールもまったく飲まなかったのに、みんな、飲んでたで??
なんで私一人がこんなことになったんやああああああああ

そして、いまだに胃が気持ち悪い。
帰国してから友人に報告した。
その友人から来たメールは
「ヘタレ」であった・・・


レーの街

2011-08-24 23:24:21 | Weblog
レーは標高が3200mから3300mくらい、富士山の9合目くらいだろうか。
周りを囲む山には木はおろか、草一本生えていない。
でも、人々は町に木や草を植え、花を育てて暮らしている。

空気は乾燥していて、匂いがない町。
そう、動物や人の匂いがないのだ。
建物は日干しレンガを泥で固めてつくられており、街並みもけっして美しいとはいえない。
それでも、とても居心地がいいのだ。




これは、ホテルの前。靴の修理屋さんらしい。
夜になるとテントを片付けてどこかへ帰って行き、朝になるとまた店開き。


この旗は、飾りではない。
旗にお経を印刷し、家の屋上や電柱、柱、とにかくいたるところにはりめぐらせる。
はためくたびにお経を唱えたことになるという。
生活に仏教が浸透しているのである。
※旗の名称はタルチョ。お経ではなく、チベットの土着信仰に基づく呪文らしい・・



街中はほとんどが英語表記。イギリスに統治されていた国なのだ。
レーの町はとても早起きである。
なんといっても、早朝3時に聞こえてくるコーラン。
ヒンズー教徒とチベット仏教信者とムスリムが住む街。
朝は6時くらいから人々が動き出し、店も早ければ7時には開いている。
ゴミの回収車が来るとホテルからは次々とゴミが出てくる。
そして、共同水道にポリタンクを幾つも持って水を汲みに行く人々・・・
水は雪解け水が豊富に街中を流れている。
それにしても、空のポリタンクはいいんだけれど、水が入ったポリタンクをどうやって持って帰るんだろうか?




もともとはラダッキーと言われる、ラダック王国の人々が住んでいた街だと思うが、
今はチベット人、亡命してきたチベット人、そして、ネパールやインドの南のほうからこの季節だけ出稼ぎに来る人々も暮らしている。


下の方にある建物が昔の王宮跡。
そして、上にあるのが砦。
ホテルの窓からよく見える。

あ、そうそう、ホテルはさすがに泥ではなく、木造。
そして、水洗トイレにシャワーがある。
ただし、私たちが泊まったホテルのシャワーはあまりに水量が少なく、
しかたがなくバケツに貯めおいたお湯で頭や体を洗う。
ただ、気温が低いのと、乾燥しているのとでほとんど汗をかかない。
住んでいる人たちは何日も体を洗うことはないという。
テレビもあるし(ただし、私たちの部屋のテレビは砂嵐だった)、思ったよりふつう。
ただし、停電はしょっちゅう起こる。
食事の最中も停電、トイレに入っていても停電・・・
停電すると、一瞬、真の闇になる。
すぐにつくのだけれど、ついたと思ったらまた消える・・・

夕方にホテルの周りの土産物屋を冷やかしに行き、
付きまとわれて困っているときに、運よく停電。
店の人達はアタリマエのことなのでいくらなら買うんだ!!と迫ってくるが、
てっきり電気が消えたので閉店だと思った私はすたこらと逃げ出した。
レーの町は実は10時くらいまで店は開いている。
朝7時から夜の10時まで。
どんなに働き者なんだ、と思うんだけれど、
実は店先でぼおおおっとしている時間が長いような気もする。
もしくは、店をほったらかしてどこかにあそびに行ってしまうか・・・

とにかく、穏やかでのんびりとして、時間がゆったりと流れる街なのだ。
度々起こる停電だって、慣れてしまえばどうってことはない。
ただただ、静かに時間が流れていくだけ。

ラダックへ

2011-08-24 22:57:16 | Weblog


大阪からはるばる飛行機を乗り継いで13時間半、デリーに到着。
さすがに、インド。到着ロビーにあったのが、この佛手。

そこからさらに国内線で1時間。





飛行機はネパールや中国の上、ヒマラヤ山脈の上を飛んだのだろう。
眼前に広がる山、山、山・・・
左右にも奥行きも、とにかく見渡すかぎり、山なのだ。
この迫力は、実際に見てみないとわからないだろうと思う。
この時期、残念ながら雲がかかって山の全貌が見えなかったが、季節によるとくっきりと山脈が見えるという。
レーに近づくにつれ、雪がなくなっていく。



ラダック地方のレー空港はインドの重要な軍事基地である。
北に中国新疆ウイグル自治区、西にはカラコルム山脈のむこうにパキスタン。
どちらの国とも、領有権を争っている。
当たり前に、銃をかまえた兵士がそこここに立っている。
カメラを取り出そうものなら、すぐに兵士が飛んで来る。

初めて海外旅行をしたときに、空港に兵士がいたのにびっくりしたものだが、
最近は空港で見かけることはなくなっていた。
ここでは、今も当たり前の存在として兵士がいる。

最近、ラダックは新たな秘境の観光地として注目されだしている。
ヨーロッパからの観光客、もしくはトレッキングを目的とした旅行者がどんどん来ているらしい。
飛行機は小さいとはいえ、満席。
最近は、飛行機もホテルもなかなか予約がしにくくなっているという。
観光できるのは6月から9月の4ヶ月間だけ。
インドの避暑地としても最近人気があるらしい。
チベットよりチベットらしいと言われる町、
天空の聖地、ラダックへ、いざ。


出逢い

2011-08-16 20:10:17 | Weblog
旅行前になんと余裕な、と思われるかもしれないが、
今日は書道の先生のグループ展の飾り付けを手伝いに京都まで行ってきた。
明日から始まり、帰国前に終わってしまう。
それで、手伝いがてら、作品を見せてもらうことにしたのだ。
幸い、いつもこの時期に入ってくる仕事も終わってたし。
もしかしたら今日も仕事しないと、と思ってたのだが、幸か不幸か、
今年は分量が少なく(ということは、収入も少なく)早くに終わった。
旅行の用意もまあ、なんとか出来てるし。

さすがに大作が多いので展示する場所を決めるのに時間がかかるが、
点数で言うとそれほどではないので、進み出すとさっさとすすむ。
私は一番下っ端なので、ひたすら脚立に上がる、おりる、上がる・・・

そうこうしていると、年配のアメリカ人のご夫婦がとても興味深そうにのぞき込んでいるのに気がついた。
そして、話しかけてこられるのだが、悲しいかな、私の言語力では本当に簡単な会話もできない。
でも、あまりに興味深そうなので、準備中なのだが、中に入ってみてもらうことにした。
旦那様が書道にとても興味を持っていて、お好きなのだそうだ。
(これくらいはわかった)
私の作品は、と聞かれるのだが、これも悲しいかな、そんなレベルではないので、ない。
ただ、どうしてないのかの説明が出来ない・・
ああ、じれったい。

作品を見ながら、とてもすばらしい、と褒めてくださった。
奥様は少し、日本語がわかり、一生懸命メモを見ながら会話を試みてくださった。
とてもステキなご夫婦だった。
最後に、名刺をくださった。
そこには、アーティスト、とあった。
ふうんと思って、帰ってからHPを見てみた。
J.Kadir Cannon
むりくり翻訳ソフトで翻訳してみたら、
どうも、旦那様はアーティストで、奥様は平和活動家、らしい。
その関係で日本によく来られているようだ。
旦那様のお父さんが原爆の研究者だったみたい。

いやいや、もっと会話が出来ればいろいろな話が出来たことだろうに、
あまりに自分のふがいなさに情けなかったよ・・・

天空の聖地へ

2011-08-15 08:44:10 | Weblog


いきなり、これは??
食べる酸素という食品。
明後日から、北インドのラダックというところに行く。
高度3500m。高山病になる可能性が大。
症状が少しでもましになるようにと勧められたのが、こういう酸素剤。
気休めにしかならないとは思うけれど、昨日から食べている。

そもそもなんでそんなところに行くのか、と疑問に思われることと思うが、
私自身、なんでそんなところに行くことになったのやら・・
今年の5月まで、その地名も知らなかったところだし。
いきなり、父から
3500mインドの旅、いきませんか?
なんていうメールが来た。
はあ????

ラダックはヒマラヤとカラコルム山脈に囲まれた、雨の降らない山岳地域。
そこで昨年夏に集中豪雨による洪水が起き、町が壊滅状態になったという。
ラダック洪水レポート
たまたま、本当に偶然、父が会長をしている会が、昨秋に被害にあったラダックの尼僧院の再建費用を寄付した。
すると、今年の5月に、その尼僧協会から、落成式のご招待が来たというのだ。
いやいや、ご招待って・・

最初はまったく行く気もなかったのだが、調べているうちに、おもしろいかも、と思うように。
昨年はダライ・ラマの講演を聴きに行った。
チベットで今起こっている様々な迫害を知るようになった。
チベットは中国の迫害により、文化も思想も壊されている。
ラダックは、チベット仏教が本来の姿で残されている唯一の地域、天空の聖地といわれている。

今年最初くらいに、篠田節子の「弥勒」という小説を読んだ。
舞台は、ヒマラヤの小国・パスキム。独自の仏教美術に彩られた美しい王国。
その舞台設定といい、ストーリーといい、最近読んだ本の中ではもっとも印象に残った小説だった。
最初はチベットの近くに実在する国かと思っていたのだが、まったく架空の国だったことに驚いた。
それくらい、鮮明にイメージできるような描写だった。
それが、調べていくうちに、どうもラダックがイメージなのではないかと思うようになった。

これは、縁だと思うことにした。

というわけで、明後日からしばらく、高地で避暑してきます。
高山病、下痢、不衛生、政情も少々不安定、今朝はバス事故も起こったみたいだし・・
無事に帰国できるかなあ。

燈花会

2011-08-09 23:11:23 | Weblog
本当は今日からするはずの仕事をちょっくら断って、
久々に、奈良の一大イベント、燈花会に。
もう何年目のイベントになるのだろう。
珍しく、奈良で大成功しているイベントで、
年々規模が大きくなってきている。


奈良県庁の屋上から見た興福寺。
県庁前を通りかかると、おじさんが何かを言っているのだけれど、
何を言ってるのかよくわからない。
「県庁の屋上を開放しています」
だった・・・
喜んで上がってみたが、もともとあまり高くないので、期待したほどには景色が楽しめなかった。
残念。
堺市役所とは、ちがうなあ・・


国立博物館旧館と、明かり。
和紙で巻くだけで、明かりの雰囲気が変わる。
これはなかなかいいなあ。






このイベントの一番のいいところは、
ろうそくを使う、というところ。
揺らめく火は、幻想的。
ただ、規模が大きくなるにつれて、電気もたくさん使いだした。
行灯やちょうちんに使っているのだが、どうしても、電気の明るさはろうそくの明かりを殺してしまう。
やはり、初志貫徹して欲しいと、勝手ながら思う。




これは、電気なんだな・・・

今回は熊本の明かりイベントも協賛しているみたいで、
竹を使った明かりがすてきだった。
奈良ではちょっと見られなきくらいの太さの竹に
穴を模様として開けて、中にろうそくを入れたもの。
模様もすてきだったし、揺らめく蝋燭の灯はやはりいいものだ。
携帯のカメラではこの程度しか写せないのが残念!
今回のおすすめは、このエリアかな。






今回は行くのが遅かったため、全部を回ることは出来なかった。
9時半になると、ボランティアの召集がかかり、
どんどん片付けだしていく。
もう少し回ってみようと思っていたが、私たちが歩くのが早いか、片付けるのが早いか・・
・・・圧倒的に、片付けのほうが早かった。
県庁前なんて、すっかり何もなくなっていた。
また明日、これだけのものを並べて火をつけるのかと思うと、気が遠くなりそう。
大きなイベントの影で働くボランティアの方々、ごくろうさま!