大仙山古墳、教科書には仁徳天皇陵と書かれていた、世界3大墳墓。
知ってはいても、なかなか見に行く機会はない。
そこで、えさにつられてハイキングシリーズ第3弾は「堺を歩く」。
まずは古墳の周り約2.5キロを歩く。
はっきり言って、あまり大きすぎて、古墳なんだか、山なんだか、公園なんだか、わからない。
3重の濠に囲まれているが、一番外側は明治時代に掘られたものだとか。
そこで堺市役所の屋上展望台へ。ここから古墳が見えるということで上ったのだが、やはり大きすぎて、なんだかわからない。
あの、写真で見られる前方後円墳は空に上らないと見られないものだった。
残念。
行ってみて初めて知ったことは、この大仙山古墳は百舌鳥古墳群の中心にあり、この古墳の周りにはたくさんの古墳があるということ。現在47基が残っているという。そもそも、この古墳、いつ頃の、誰のものなのか??
「中国の歴史書「宋書」には、5世紀頃の倭(日本)に5代にわたって有力な王が現れ、中国に貢物を献上したという記録があります。百舌鳥古墳群は、古市古墳群(羽曳野市、藤井寺市)とともに、倭の五王に関わる遺産と考えられます」
・・・・・・だそうである。
この近くにはくるみ餅で有名な「かん袋」がある。
“室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。”
これがこの餅の由来。
まったく餡が何でできているのかは秘密、らしい。
以前、頂いたときには、クルミの餡と思っていた。
餡の色から、緑豆ではないか、と思うんだけれど。
この餅を買うためにもらう番号札が、これ。
ちょっと、大げさ。かな。。
白玉の餅がいい堅さで餡と絡んで、美味。
その後も古い町並みを歩き回り、チンチン電車に乗って天王寺まで。
古墳時代と千利休の生きた室町から江戸時代に栄えた町、堺。
しばし、町の歴史の長さに浸りながら、歩いた距離、おおよそ13キロ。
おにぎり4.4個分のカロリー消費。
ちなみに、今回のえさは、リーガロイヤルホテル堺のサンクスフェスタ、2010円ランチのフルコースイタリアン。
おにぎり4.4個分は遙かに超えるカロリー摂取、でしたとさ。
知ってはいても、なかなか見に行く機会はない。
そこで、えさにつられてハイキングシリーズ第3弾は「堺を歩く」。
まずは古墳の周り約2.5キロを歩く。
はっきり言って、あまり大きすぎて、古墳なんだか、山なんだか、公園なんだか、わからない。
3重の濠に囲まれているが、一番外側は明治時代に掘られたものだとか。
そこで堺市役所の屋上展望台へ。ここから古墳が見えるということで上ったのだが、やはり大きすぎて、なんだかわからない。
あの、写真で見られる前方後円墳は空に上らないと見られないものだった。
残念。
行ってみて初めて知ったことは、この大仙山古墳は百舌鳥古墳群の中心にあり、この古墳の周りにはたくさんの古墳があるということ。現在47基が残っているという。そもそも、この古墳、いつ頃の、誰のものなのか??
「中国の歴史書「宋書」には、5世紀頃の倭(日本)に5代にわたって有力な王が現れ、中国に貢物を献上したという記録があります。百舌鳥古墳群は、古市古墳群(羽曳野市、藤井寺市)とともに、倭の五王に関わる遺産と考えられます」
・・・・・・だそうである。
この近くにはくるみ餅で有名な「かん袋」がある。
“室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。”
これがこの餅の由来。
まったく餡が何でできているのかは秘密、らしい。
以前、頂いたときには、クルミの餡と思っていた。
餡の色から、緑豆ではないか、と思うんだけれど。
この餅を買うためにもらう番号札が、これ。
ちょっと、大げさ。かな。。
白玉の餅がいい堅さで餡と絡んで、美味。
その後も古い町並みを歩き回り、チンチン電車に乗って天王寺まで。
古墳時代と千利休の生きた室町から江戸時代に栄えた町、堺。
しばし、町の歴史の長さに浸りながら、歩いた距離、おおよそ13キロ。
おにぎり4.4個分のカロリー消費。
ちなみに、今回のえさは、リーガロイヤルホテル堺のサンクスフェスタ、2010円ランチのフルコースイタリアン。
おにぎり4.4個分は遙かに超えるカロリー摂取、でしたとさ。