蒼生

風のふくまま気の向くまま自然にまかせて生きたいねえ

堺を歩く

2010-01-28 17:01:02 | Weblog
大仙山古墳、教科書には仁徳天皇陵と書かれていた、世界3大墳墓。
知ってはいても、なかなか見に行く機会はない。

そこで、えさにつられてハイキングシリーズ第3弾は「堺を歩く」。
まずは古墳の周り約2.5キロを歩く。
はっきり言って、あまり大きすぎて、古墳なんだか、山なんだか、公園なんだか、わからない。
3重の濠に囲まれているが、一番外側は明治時代に掘られたものだとか。
そこで堺市役所の屋上展望台へ。ここから古墳が見えるということで上ったのだが、やはり大きすぎて、なんだかわからない。
あの、写真で見られる前方後円墳は空に上らないと見られないものだった。
残念。
行ってみて初めて知ったことは、この大仙山古墳は百舌鳥古墳群の中心にあり、この古墳の周りにはたくさんの古墳があるということ。現在47基が残っているという。そもそも、この古墳、いつ頃の、誰のものなのか??

「中国の歴史書「宋書」には、5世紀頃の倭(日本)に5代にわたって有力な王が現れ、中国に貢物を献上したという記録があります。百舌鳥古墳群は、古市古墳群(羽曳野市、藤井寺市)とともに、倭の五王に関わる遺産と考えられます」
・・・・・・だそうである。

この近くにはくるみ餅で有名な「かん袋」がある。
“室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。”
これがこの餅の由来。
まったく餡が何でできているのかは秘密、らしい。
以前、頂いたときには、クルミの餡と思っていた。
餡の色から、緑豆ではないか、と思うんだけれど。
この餅を買うためにもらう番号札が、これ。
ちょっと、大げさ。かな。。
白玉の餅がいい堅さで餡と絡んで、美味。


その後も古い町並みを歩き回り、チンチン電車に乗って天王寺まで。
古墳時代と千利休の生きた室町から江戸時代に栄えた町、堺。
しばし、町の歴史の長さに浸りながら、歩いた距離、おおよそ13キロ。
おにぎり4.4個分のカロリー消費。
ちなみに、今回のえさは、リーガロイヤルホテル堺のサンクスフェスタ、2010円ランチのフルコースイタリアン。
おにぎり4.4個分は遙かに超えるカロリー摂取、でしたとさ。



焼き芋効果

2010-01-28 01:47:10 | Weblog
会社の健康診断があって、朝から行ってきた。
いわゆる基本検診。
気の重いバリウムもメニューに。

以前は半日ドッグで、長いときは3時間くらいかかっていた。
検診といえば、その時間が自分の基準になっている。
2か月前にはがん検診だけを受けに行ったが、それでも2時間近くかかった。
ところが、今回は、ほとんど検診に来ている人がいず、
待たれている状態。
結局、30分ほどで終わってしまった。

はてさて、夕方まで、何をして時間をつぶそうか。
何の気なしに、心斎橋をうろうろしてると、
目にとまったのが焼き芋。
心斎橋では、数年前から1本100円の焼き芋を売っている。
(最近はあちこちに出没しているらしいが)
こんなんで商売になるんだろうかねえ。
いったい、どんないもを使っているんだか。

しかし。
私は昨夜9時からまったく食べていない。
まあ、バリウムでおなかは重いが、とにかく、食べてはいない。
そこに、焼き芋の香り。

実は、あまり焼き芋が好きではない。
なので、滅多に自分から食べようとは思わないのだが、
このときは、通り過ぎたのに、また戻って買ってしまった。
しかも、2本。

さすがに2本は食べられなかったが、まあ、1本と、半分は・・・
結果。
バリウムは昼過ぎには多分、全部排出された様子。


すっきりしたおなかで食べた博多「華味鳥」の、鶏コラーゲンたっぷりの水炊きがおいしかったこと!
コラーゲンで唇がくっつくって・・・どうよ!!
これで、身も心もぷるぷるになった・・・かな?

北京の色

2010-01-27 21:52:22 | Weblog
京劇を見に行った。
北京でも由緒正しい、古い劇場だそうだ。
京劇観賞には、お茶とお菓子が付く。
お茶を飲みながら、お菓子を食べながら観賞するというわけ。
劇中も、何度もお湯をポットに足しに来てくれる。
中国のお茶は何度も何度もお湯を足す。
このときはジャスミンティーだった。

中国語と英語で要約した台詞らしきものが舞台の上に出るので、
なんとなく話はわかるような、わからないような。
でも、その美しさには見ほれる。
なんといっても、指の美しさ、手の動きの美しさ。
ただ、京劇は本来男優しかいないのでは?と誰かが言い出した。
それからは、出演している美しい俳優ののど仏に視線が集中。
・・・
よくわからなかったが、あれは女性だろう。と思う。

雑伎団も見に行った。
こちらは最近常設のホールができたみたいで、毎日公演があるみたい。
来ていたのは、中国人ガイドに案内されてきた外国人のグループばかり。
内容は、昔テレビなどで見ていたものとは違い、衣装はアフリカ風で、内容はショー。
でも、なんか、感激しない。
サーカスとも違うし、完全なショーでもないし。
一つは、高い席から見ていたからかもしれない。
昔のようにテント張りの中で見上げていたら、高いところでの演技に感激したかもしれないなあ。
京劇の方が内容はわからないながら、感動した。

中国は至る所、京劇のように赤や黄色などの色が踊っていた、はず。
建物も赤や緑が多かった。
なのに、北京の印象は、灰色、なのだ。
空がすっきりとすることがないからかもしれない。
思ってたよりかなり空気も悪くなく、黄砂も感じなかった。
それでも、すっきりと晴れる日はなかった。
空の色のイメージなんだろうか?
それとも、次々に建ったと思われる巨大なビル群の色か?
乾燥した空気が色をなくさせてしまうのか?

この旅行で印象に残ったのは、飛行機の中から見た
雲の上の夕焼けの色。
でも、この赤は、中国の赤ではなくて、なんだか湿気のある日本の赤、なのかなあ。

北京車事情

2010-01-26 00:31:57 | Weblog
トイレに続いてびっくりしたのが車の多さ。
ベンツにアウディ、日本車が多く、タクシーは現代。
ぺこぺこの車やぼこぼこの車はめったに見られません。
最近は日本のユーザーが昔ほど車にお金をかけられないのでへこんだままで平気で走っているのとは随分違う。
これも、事情があって、中国でこれほどの車を買うようになったのはつい最近の話。
なので、まだみんな新しい、というわけ。
しかも、修理は5000円ほどですむので、傷ついてもすぐに修理するそうです。
とはいえ、今、中国では国産車を奨励するため、外国車に対する関税はすごく、
例えば日本車を購入するためには日本での販売価格の3倍はするそうです。
100万ではまともな車は買えないそうです。
なのに、この新車の数。
あとで聞いたところ、北京の平均月収は3万ほど。
いくらローンで買うとはいえ、いったい何年のローンを組んでいるんでしょうか?
そのローンが終わる頃には車は跡形もないのでは?
なお、まだ中古が出回らないので、中古市場はないそうです。

一気に車が増えたせいか、国民性か、運転は荒っぽいことこの上ない。
ほんのわずかな隙間にどんどんつっこんでいく。
おたおたしてるといつまでたっても入れない状態。
車同士がホントにキワキワのところですれ違っていきます。
これで事故を起こさない方が不思議。
北京の人は運転がうまいんだかなんだか。
しかも、路上には駐車している車も数多く、車線は当然のように減っています。
この写真は、撮ったときは気が付きませんでしたが、どうやら
二重駐車してると思われます。
しかも、その車が向かい合っていたり、隙間なく停めてあったりで、
出せなくて困っている人も見ました。

また、一日、タオルを手に道ばたに立っている男性も何度か見ました。
これは、車掃除をする人だそうです。
60年ぶりの大雪でかなり車がどろどろになっているので仕事はあるのでしょう。
でも、この寒い中、一日でいったいいくらになるのか・・・
北京の貧富の差はますます拡大しているように思います。

なお、自転車は本当に数えるほどしか見られませんでした。
自転車といってもモーターが付いていたり、
バイクに見えるものをこいでいたりと、なんだかよくわからない状態でした。
とにかく、一昔前のあの自転車軍団は、今や日本でしか見られないものと思われます。
ベトナムでも、バイクばかりで自転車はほとんど見なかったし。

ある意味、日本はエコな国へと近づいているのかもしれませんよ。

北京のトイレ事情

2010-01-25 23:47:38 | Weblog
・・・もうすっかり日常に戻ってしまい、今さら、という気もしますが、
とりあえず、ご報告。
皆様のご期待に添えず、申し訳ないのですが、
凍り付くこともなく、思ったより寒くない北京でありました。
とりあえず、気温は最高でもマイナス。
とはいえ、体感温度は奈良と大して変わりません。
川や池はみなこのように凍ってます。
これは湿度の問題らしいのですが、奈良ではこんなに凍ることは絶対にありません!

かすかに見える人影は多分、池に穴を開けて魚釣りをしていると思われます。
私はガイドの制止を振り切って池の上を歩いてきましたよ。
まあ言ってみれば野外のスケートリンクを靴で歩いたということだけで。
それでも、透明部分からは池の中が少しのぞける。
ぴんと冷たい空気は気持ちがいいものでした。
それも、暖房設備が整っているから、そう思えるんでしょう。
ずっと寒い思いをしていたら、気持ちがいいなんていってられなかったからでしょうし。

北京といえばオリンピック。
オリンピックの力はすごかったみたいで、
トイレはほとんどが感知式の水洗。
もちろん、トイレットペーパー付き(ないところもあります)
トイレットペーパーを売るおばちゃんは一度も見ませんでした。
ただし、洋式は意外と少なく、和式でした。
しかも、扉の方を向いて座るというちょっと違和感のある様式。
すでに壊れているのもありましたが・・・

なんで、北京の第一報がトイレやねん、といわれそうですが、
一番印象に残ったのがトイレ事情だったもので・・・
北京の裏通りに入ったところには昔ながらの公衆トイレ。
(というより、長屋のようなところでは各家にトイレがないようで、共同トイレということみたいです)
低いしきりで仕切っただけのトイレのようでしたが、
私はちょっとにおいで参ったので、見ることはできませんでした。
もしこんなトイレばかりだったら、私の北京の印象はかなり違ったものになっていたことでしょう。

トシと共に、昔は平気だったものがダメになっていくようです。

薬師寺東塔

2010-01-09 15:01:26 | Weblog
先日、なくなったという誤報を書いてしまった。
実は、調査のための足場を組んだだけらしいということが判明。
でも、いいわけをしたら、こんな状態を見たら、塔の先がなくなった、と思いません??おもわんか・・・

調査が終われば一度足場をはずして公開するらしい。
そのあとは本当に、解体修理。
解体ということは、本当に、一度ばらす、ということ、ですよね??
解体をするときに、何百年も前の工人の偉大さを知ることになる。
この塔が平成の前にいつ修理をしたのかは知らないが、
その時の修理のあとも今回の調査で明らかになるのだろう。
自分のした仕事が、何百年もたってから明らかになるというのはどんなものなんだろう。
鎌倉室町の時代の仕事はできがよくないと何かで読んだ記憶があるが、
死んでからそんなこと言われてもなあ。

なんにせよ、今の東塔はあと数ヶ月のうちになくなり、
次に見るものは似て非なるもの、になるんだろうか?

いや、唐招提寺はまったくどこをどう修理したのかわからなかったので、
東塔もわからないだろうねえ、私のような凡人には。


大人になりきれない大人たち

2010-01-09 13:29:06 | Weblog
知り合いに、エライ陶芸家がいる。
なんでも、日展の審査員をしていると、風の噂には聞いたけれど、
私にとってはただのおもしろいおっちゃんであった。

近所に陶芸を勉強している大学生がいて、彼女をその先生のところに連れて行くことになった。

いったいどんな話をするのか、と思っていたら、
いきなり、どんな仕事してるン、ときた。
大学生です、というと、「陶芸してるンやろ!」とまず一喝。
作品を見せると、
「持ってきたとこは、合格やな。最近は持っても来ないヤツが多い」
あげく、「作品は気に入らんな」

まさかこんな流れになるとは・・・
それからは、そもそも陶芸とはなんぞや、土とはなんぞや、作品とはなんぞや、皿や鉢とはなんやねん・・・
一生懸命メモを取っていたら、
「メモは取るな。写真と一緒で、メモを取ることに神経がいってしまうから、話を聞くことがおろそかになる」

大学生相手に、いまどき、こんな厳しい話をするか・・・
途中からは息子にも聞かせとこうと思って、一緒に並んで話を聞かせた。
いろいろな生き方の話、宗教観の話、そんなすべてを一度しっかりと自分のポケットに入れること。
それをもう一度取り出すことで自分を見つめ直すこと。
それをしないと、作品なんて作るべきではないということ。
作品を作るということは自分をさらけ出すということ。
そんな話を延々と3時間。
息子たちだけでなく、私にもかなり堪える話であった。


最近は、私たち大人が大人になりきれていないので、こんな厳しい話を子供たちにしなくなった、いや、できなくなったなあと、聞きながら思った。
子どもといっても、もう20歳を過ぎた、成人。
でも、その成人を大人とは認めていないから、こんな重い話に耐えられるかと心配で仕方がない。
あとで聞いたら、近所の子はずっと足が震えていたそうな。
大学の先生もこんな話はしないという。
実は、その大学の先生が、このエライ先生の弟子。
これについても、
「受け手にチカラがなかったら、ピッチャーはいい球投げられへんやろ」と。


息子たちはかなりショックを受けて帰宅。
どうするかなあ、と思っていたら、
息子は剣道の朝練に参加するわ、といってきた。
近所の大学生は、図書館にこもって本を読んでいたそうな。
ショックでうちひしがれるような子達でなくて、まずはよかった。

最後にその先生が言った言葉。
「ほんまにあんたと息子はそっくりやな!」
真剣な話してると思ってたのに、そんなことに感心してたんかい・・・
やっぱり私にとってはおもろいおっちゃんやわ。

初あるき

2010-01-03 10:28:10 | Weblog
年末からの食べ過ぎにちょっと危機感。
そこで、東大寺まで歩こう企画。

家からまずは平城宮跡へ。
今年は1300年祭で奈良も賑やかになりますねといろんな人に言われるが、
今日ですら、どこもここも工事中。
平城宮跡もまだこれから準備します、状態。
というより、何カ所かあったトイレや売店が、全部閉鎖。
資料館も何もかも、閉鎖。
いま、訪れている観光客をなめとんか!
なんで、並行して進められないのか・・・

平城宮跡からはとにかく一条通を西へ、西へ。
歩いていくということがほとんどなかったので、
いろんな発見が。
聖武天皇陵を初めて認識。
そうか、あの有名人の墓はここだったのか・・・

手貝門(転害門とも)から東大寺に入る。
ここまでいつもと違う道を来たから、
ここでも行ったことがない方へ行こうということになる。
で、現れたのが、知足院。東大寺の敷地の一番北西に当たる。
東大寺の塔頭ということだが、どうも今は誰も住んでいない様子。
鹿だけがかさかさと音をさせている。
大仏殿の方にはたくさんの人がいることだろうけれど、ここはまるで別世界。
写真は、多分、知足院の外壁の残骸。
最初は碑が建っているのかと思った。
以前は、この塔頭も華やかだったことだろう。
今は、忘れ去られてひっそりと余生を送っている。
少しかげりかけた日が差した壁がもの悲しさを漂わせる。
でも、これでいいんだよ、と言っている気もする。

このプチトリップ、ぜんぶで10km少々。
キョリ測によると、消費カロリーおにぎり3.7個分。
腹立つことに、同じキョリを歩いた息子は5.3個分て、どういうことよ!

どっちにしても、食べた分は消費できなかった、ということで。

あけましておめでとうございます

2010-01-02 01:22:03 | Weblog
年末から年始にかけては、あっちへ行き、こっちへ行きで、ばたばた。

恒例の初詣に。
今年も真夜中の唐招提寺へ。

いつもより家を出る時間が遅くなった。
まず行った地元のお寺は目の前で閉門。
ゆっくり閉まっていく門のうらめしいこと・・・
年越し蕎麦だけをいただく。

次の地元のお寺も、いつもならお勤めの最中なのに、終わっていた。
ここでは、鐘を突いて、またまたおそば。
さすがに私は食べなかったけれど、息子と甥たちは2杯目。

どうも、出足が遅いぞと、少々急いで唐招提寺へ。
唐招提寺は昨年秋に金堂平成大修理が終わったので、今年は人が多いかも。
去年まではなかった、ガードマンが門前に。
やっぱり大変な人出だったんだろう。
あまりに遅い時間なので、さすがに人は少なく、ゆっくりと改修が終わった金堂へ。
ずっと以前にも来たはずなんだけれど、大きな薬師如来と千手観音に改めて感動。
昨年まで開扉していた行動は今年は入れなかった。
金堂はもちろん、唐招提寺のメインなので是が正しいお参りの仕方なんだと思うけれど、個人的には講堂の方が好きだったかなあ。

そのあと、薬師寺へ。
こちらも、ちょうど、鐘突が終わったところだった。
どうも整理券を配っていたみたいで、これも今までにはなかったこと。
今までなら、ちょっと並べば鐘突ができたのに。
なんとも、世知辛い。

びっくりしたのは、東塔。
上半分が、ない。
あるはずのものがないということの驚き。
100年ぶりの解体大修理らしい。
えっ、こんなことして、ほんとにいいの???
という、驚き。
確かに、唐招提寺の金堂も、千手観音も、一旦バラバラに解体して修理し、元に戻した、はず。
でも、覆いに隠された中での修理だったので、目にすることはなかった。
それが、塔の修理はなくなるんだもん・・・
凍れる音楽、といわれる塔がしばらくの間とはいえ、目の前からなくなるなんて、想像もしなかった。
いやあ、1000年以上、ずっと、建ち続けていたと思ったよ。

まだまだ知らないことの多いこの世の中、今年もどんな新しい知識に出会えるやら。