アメリカン・ビューティー
1999年/アメリカ
‘アメリカン・ビューティー’と‘ビューティー’の違い
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
普段はうだつの上がらない主人公のレスターは、キャリアウーマンである妻のキャロリンの尻にしかれっぱなしだった。ある日18歳の娘ジェーンの友人であるアンジェラの魅惑に‘萌え’て、それまでの世間体を気にしながら生きていた自分に見切りをつけて、妻の言うことも聞かずに、自分から会社を辞めて、アンジェラを抱くことを夢見ながら体を鍛え始めた。
レスターとキャロリンの考え方の違いは、例えばカウチを巡っての言い争いに典型的に表れる。キャロリンは4000ドルもするカウチをレスターに汚されたくないのだが、レスターにしてみればいくらしようともカウチは所詮ただのカウチなのだ。レスターはもう世間が作る価値観を信じなくなり、自分の内心から沸き起こってくる‘価値観=自由’を信じるようになったということだ。
レスターは自由を得たと観客に思わせておいて、物語は意外な方向に向かう。レスターはアンジェラを抱くチャンスを得たのだが、実は彼女に男性経験が無いことを知ると、行為を止めてしまう。隣人の、統制や規則に厳格だが、実はゲイであるフィッツ大佐に誤解されて体を求められても、当然ゲイではないレスターは丁寧に断り、そのため最後に大佐に銃殺されてしまうのだ。
レスターは自分が自由になったつもりになっているが、‘はみ出す’ことがない。姦淫をするわけでもなく、男色に挑むわけでもない。ドラッグでさえ質の良い(体に良い?)ものを日常生活に支障を来たさないように取っている。彼は自由になったのではなく、ただ単に‘健康的’になっただけなのだ。この作品のタイトルが『ビューティー』ではなく『アメリカン・ビューティー(=健康美)』になった理由がここにある。アンジェラの美は生娘ゆえであり、レスターの美も鍛え上げた筋肉だけだからだ。
では‘ビューティー’はどこにあるのか? フィッツ大佐の息子リッキーの言葉が印象的だ。「凍死寸前の悲しげなホームレスをビデオで撮影して見直すと、神の視線を感じて‘ビューティー’が見える」と。
レスターが目を開けて、生きているように死んでいるのを見たリッキーは感動していた。死んだレスターは、何気ない思い出(草原に寝そべり流れ星を見る自分、近所の並木道の紅葉したカエデなど)、まるで‘死んだ’ビニール袋が‘生きているように’風で舞うようなだけのシーンを幸せそうに語っている。
そうなのだ。この‘生きた’作品は最初から最後まで‘死んだ’レスターによって語られている。生と死の狭間に‘ビューティー’が宿っている。
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