孤独な場所で
1950年/アメリカ
大量の絵画の意図
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
主人公で脚本家のディクソン・スティールが原作本の内容を教えてもらうために自宅に招いたミルドレッド・アトキンソンが、原作本内のセリフとして叫んだ「助けて!(Help!)」という言葉は、もちろん間もなくして殺される彼女に対する殺人容疑者として疑惑をかけられるディクソンという筋の伏線として機能させるはずだったのであろうが、何故かこの伏線は宙吊りのままで、ディクソンの向かいの部屋に住んでいて、ミルドレッドの叫びを聞いていたはずのローレル・グレイさえ一度も思い出すことなく無視される理由は、初稿の脚本を大幅に変更したためであろうから、物語の緻密さには欠けているとしても、監督のニコラス・レイ、あるいは主演のハンフリー・ボガートにとっての‘プライベートフィルム’という作風がそのような欠陥を補って余りある情念を醸し出している。
上映前に行われた映画批評家のクリス・フジワラ氏の、ニコラス・レイ監督の「マルチプル・イメージ(Multiple images)」という手法の説明が非常に興味深かった。簡単に説明するならば、長方形のスクリーン内に物語が因われないようにするために、‘スクリーン’を増やしたり、壊したりする試みである。例えば、『孤独な場所で』の作品冒頭のタイトルバックにおいて、車内にいるハンフリー・ボガートの両目を長方形のバックミラーに映すことで、スクリーン内にもう一つの‘スクリーン’作るようなことである。
しかし『孤独な場所で』で見られる‘スクリーン’はこれだけではない。本作を観ている内に不思議に感じることであるが、ディクソン・スティールの部屋にも、ローレル・グレイの部屋にも、何とディクソンが取り調べを受ける警察署の部屋にも不自然に多くの‘額縁’が掛かっているのである。署内の額縁に何が入れてあるのか見当も付かないが、ディクソンやローレルの部屋の絵画には物語と関連する意味があるのかもしれない。しかし残念ながらそれを判別出来るほどの知識を持ち合わせていない。
欽ちゃん、ナベツネ~『脱・老害の傾向と対策』。/中村 修治(INSIGHT NOW!) - goo ニュース
「老害」ということで萩本欽一がネット上でやり玉に挙がっていることは意外だったが、
考えてみるとコント55号の時は欽ちゃんではなくて、相手の坂上二郎が面白かった訳だし、
欽ちゃんがピンで活躍するようになった時も、欽ちゃんが読むハガキやイジられるタレント
が面白かっただけだから、そういう意味ではもしかしたら欽ちゃん本人が面白かったことは
一度もなかったのかもしれないが、少なくとも人の才能を発掘する才能はあると思う。
「最近、音楽の質が低くなった、昔の音楽は良かった、という人がいますが、それは違い
ます。昔も質の低い音楽はたくさんあった。低質の方が多かった。でもそれらは時と共に
忘れ去られ良いものだけが残ってる今だから昔の音楽は良質のものばかりという印象を
受けるのです」という山下達郎の発言は最もであり、確か「最近、音楽の質が低くなった」と
どこかの誌上でボヤいていた近田春夫といとうせいこうに聞かせてあげたい。