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龍馬伝「いろは丸事件」

2010-10-30 | 龍馬伝
龍馬伝「いろは丸事件」

1867年4月。
いろは丸は讃岐沖で紀州藩の船と衝突。
紀州藩の船でけぇー。
どういうわけか紀州藩の船は二回ぶつかってきます。
いろは丸は160トン、紀州藩の船は887トン。
さすが御三家、船のスケールが違う。

いろは丸は瀬戸内の海に沈んでしまいました。
龍馬達は、衝突の原因を明らかにしどちらに非があるかを確かめた上で賠償金を決めてもらおうと紀州藩と交渉することにしました。
紀州藩は脱藩浪人の集まりなど相手にしない様子…。
紀州藩の船は長崎へ向かう途中だったようで、龍馬達も長崎へ戻ることに…。

沈んだいろは丸の代金参万両、そして積荷壱万両。
土佐藩と海援隊は四万両の被害です。
日本で最初の蒸気船事故。
これからも蒸気船同士の事故は起きるでしょう。
そしてその度に最初の事件は引き合いに出され、土佐藩は紀州藩にひれ伏したことが語り継がれてしまうじゃん!それまずいじゃん!と後藤象二郎を説得し、いよいよ紀州藩との交渉は始まりました。
弥太郎は談判の材料を集めるために被害額を確認します。

最初の衝突だけならいろは丸は沈まなかったかもしれない…。
弥太郎は紀州藩に対して八万三千両の賠償を訴えるのでした。
が…紀州藩からは相手にされません。
長崎奉行の判断で決しようと言うのでした。

ご公儀の判断では土佐藩が勝てるわけもなく、龍馬達は紀州藩を非難する歌を長崎で広め、二回目の談判に紀州藩を引きずり出すのでした。
龍馬は、万国公法に則りイギリスの海軍提督に裁きを下してもらうことにしました。

紀州藩を打ち負かした海援隊の名声は全国に広まるのでした。

次回、船中八策

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