「中国の歴史」(全10巻)小林隆
②P14
遠交近攻=遠方の国と友好関係を結び、近い国は攻め滅ぼす。この方法を全国に広げて領土を拡大していく外交方式。秦の昭襄王に、宰相の范雎がすすめた策略です。
②P162
秦の勢力が四方に拡大するにつれて「秦」という名称は中国そのものの名称として世界中に定着していきmす。現在、世界中で使われている「Chineチネ」「 Chinaチナ」 「Chinaチャイナ」は、「Chinシン」の語源です。
③P71
建業:現代の南京です。呉の都としては「建業」、このあと、晋では「建康」とよばれます。その後、明の時代に、「南京」とあらためられました。
⑦鉄砲伝来
1543年王直が所有していたとされるポルトガル船が九州の南方、種子島に漂着しました。
このとき、ポルトガル人と日本人はことばが通じなかったので、王直が砂に漢字を書いて、筆談で通訳したといわれています。
⑦万里の長城
⑧P71
現在の中国のうち、95%以上は漢民族ですが、言語も信仰もちがうモンゴル人(モンゴル語/ラマ教)やウイグル人(ウイグル語/イスラーム教)など、56の民族がいます。
⑧中国のお茶には、茶の若葉を発酵させない緑茶、半発酵のウーロン茶、発酵させた紅茶、弱発酵の白茶などの種類があります。紅茶はおもにヨーロッパに輸出されました。→「紅茶スパイ」サラ・ローズ
⑨孫文の中国同盟会
「民族」(異民族支配からの独立)、「民権」(共和制国家の樹立)、「民生」(地主や資本家の利益独占の排除)の三民主義を選択し、機関誌『民報』にのせました。
⑨武昌挙兵のあった1911年10月10日、辛亥革命は始まりました。この日は「双十節」といい、台湾では現代も最大の祝日です。また、中国でも「辛亥革命記念日」になっています。
⑨1934年10月、紅軍第一方面軍の86,000人(45人の女性をふくむ)は瑞金を脱出し、新しい根拠地の延安をめして、12,500キロの行軍を開始しました。これが「長征」(大西遷)です。
⑨1949年10月1日、毛沢東主席の中華人民共和国の成立宣言は、新中国の誕生でした。現在、「国慶節」として、「春節」(旧正月)とともに、国民的祝日になっています。
⑩1958年の大躍進の失敗により中国各地で飢饉が起こり、1959年から1961年までのわずか3年間に、2000万人から4000万人もの人々が餓死したともいわれています。
⑩毛沢東は、「鄧小平は、綿につつまれた針のようで、やわらかさにするどい行動力をもち、断固として問題にとりくむ人間」と、評価していました。
⑩1976年10月、「四人組逮捕・失脚」のニュースが全国に伝わると、多くの商店では酒がたちまち売りきれ、人々は酒をくみかわし祝杯をあげたといわれています。
【ネット上の紹介】
古代から現代まで、中国の歴史を全10巻に集約。複雑な歴史の流れも漫画でよくわかる。図版満載の資料ページや、日本や世界と対比する学習ページも充実。中国の歴史の実像が立体的に学べます!