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「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

2023年07月10日 08時16分18秒 | 読書(昭和史/平成史)


「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

以前読んだ本の再読。
調べたら2014年に読んでいる。
もう10年近く経つのか。
(前回は単行本、今回は文庫本で読んだ・・・ページ番号は新潮文庫版に変更した)

内容は、序章+5章ある。 

序章 日本近現代史を考える
1章 日清戦争―「侵略・被侵略」では見えてこないもの
2章 日露戦争―朝鮮か満州か、それが問題
3章 第一次世界大戦―日本が抱いた主観的な挫折
4章 満州事変と日中戦争―日本切腹、中国介錯論
5章 太平洋戦争―戦死者の死に場所を教えられなかった国

P54
戦前期の憲法原理は一言で言えば「国体」でした。「天皇制」といいかえてもかまいません。

P75、なぜトロツキーでなく、スターリンが選ばれたのか?
この人たち(ボリシェビキ)は、1789年に起きたフランス革命が、ナポレオンという戦争の天才、軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場によって変質した結果、ヨーロッパが長い間、戦争状態になったと考えていました。
(中略)
レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロツキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。
(中略)
一つの事件は全く関係のないように見える他の事件に影響を与え、教訓をもたらすものなのです。しかも、此処が大切なところですが、これが人類のためになる教訓、あるいは正しい選択であるとは限らない。

P92、ベトナム戦争の遠因
満州事変、日中戦争の時期においてアメリカは、中国の巨大な市場が日本によって独占されるのではないか、門戸開放政策が守られないのではないかと考え、中国国民政策を支持してきたわけです。それが、せっかく敵であった日本が倒れたというのに、また戦中期に大変な額の対中援助を行ったのに、49年以降の中国が共産化してしまった。
これはアメリカにとっては、嘆きであったでしょう。10億の国民にコルゲート歯磨き1本売っただけで、10億本分儲かる、とはよく言われた冗談ですが。こういった景気のよい資本主義的な進出ができなくなる。この中国喪失の体験により、アメリカ人のなかに非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制つくりあげなければならない、このような教訓が導きだされました。ですから、北ベトナムと南ベトナムが対立したとき、南ベトナムを傀儡化して間接的に北ベトナムを支配するのに止まるではなく、北ベトナム自体を倒そうとするわけです。
以上が、ベトナム戦争にアメリカが深入りした際、歴史を誤用したという、アーネスト・メイの解釈です。

P104
日本側が早く不平等条約を廃止してくださいと言い続けたとき、列強が「それでは商法、民法を編纂してくださいというのは、ある意味、正統な言い分ではあったわけですね。

P163
戦争には勝ったはずなのに、ロシア、ドイツ、フランスが文句をつけたからといって中国に遼東半島を返さなければならなくなった。これは戦争には強くても、外交が弱かったせいだ。政府が弱腰なために、国民が血を流して得たものを勝手に返してしまった。政府がそういう勝手なことをできてしまうのは、国民に選挙権が十分になかったからだ、との考えを抱いたというわけです。(こうして普通選挙への運動が高まる)

P195、日露戦争の原因
日露戦争が起きたのはなぜかという質問への答え方には、時代とともにかなり変化があったのです。
(中略)
戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。(2005年国際会議、ルコイヤノフ先生の報告)

P204
日清戦争は帝国主義時代の代理戦争でしたが、日露戦争もやはり代理戦争です。ロシアに財政的援助を与えるのがドイツ・フランス、日本に財政的援助を与えるのがイギリス・アメリカです。

P211
ロシアが黒竜江省、吉林省、遼寧省という3つの省を占領していたことで排除されていた国々が平等に満洲に入れるようになった。(中略)「さあ、帝国主義のみなさん、いらっしゃい」と中国東北部を開いた。これが日露戦争でした。

P218
日露戦後、増税がなされたことで、選挙資格を制限する直接税10円を結果的に払う層が1.6倍になり、選挙権を持つ人が150万を超えたこと、これが大切なポイントです。

P279、血脈について
吉田茂は自分の妻のお父さんが、パリ講和会議で次席全権大使を務める牧野伸顕だった。(中略)岳父である牧野に連れて行ってくれと頼み、1918年にパリに旅立つのです。(牧野伸顕は大久保利通の二男である。麻生太郎は牧野伸顕の曾孫・・・権力者の血脈が絡まり合っている)

P283、ケインズ「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」
ケインズは、ドイツから取り立てるべき賠償金の額をできるだけ少なくするとともに、アメリカに対して英仏が負っている戦債の支払い条件を緩和するよう求めたのです。しかしアメリカ側は、このような経済学が支持する妥当な計画に背を向け、とにかく英仏からの戦債返済を第一とする計画を、パリ講和会議において主張したのです。
1919年の時点で、ケインズの言うとおりに、寛容な賠償額をドイツに課していれば、あるいは29年の世界恐慌はなかったのではないか、このように予想したい誘惑にかられてしまいます。そうであれば、第二次世界大戦も起こらなかったかもしれません。けれども、ケインズの案は通らなかった。その結果ケインズは「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」という手紙を残してパリを去ることになりました。
(「折れた葦」=旧約聖書「イザヤ書」;「折れた葦の杖を頼みにしているが、それは、寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」

P304
盧溝橋は、12世紀末につくられた、北京郊外の永定河に架けられた橋で、マルコ・ポーロが『東方見聞録』でその美しさを称えたことで有名です。

P299、関東軍とは?
満州事変のほうは、二年前の29年から、関東軍参謀の石原莞爾らによって、しっかりと事前に準備された計画でした。関東軍というのは、日露戦後、ロシアから日本が獲得した関東州(中心地域は旅順・大連です)の防備と、これまたロシアから譲渡された中東鉄道南支線、日本はこの鉄道に南満州鉄道と名前をつけましたが、この鉄道保護を任務として置かれた軍隊のことをいいます。

P313
長谷部恭男先生の説・・・どんな時に戦争が起きるか?
ある国の国民が、ある相手国に対して、「あの国は我々の国に対して、我々の生存を脅かすことをしている」あるいは、「あの国は我々の国に対して、我々の過去の歴史を否定するようなことをしている」といった認識を強く抱くようになっていた場合、戦争が起こる傾向がある、と。

P315、満州とは?
満州というのは「あて字」で、もともとはManjju(マンジュ)と発音する民族が住んでいた地域に対し、ヨーロッパ人や日本人などが、その発音に漢字の音をあてて「満洲」と書き、それが慣用的に戦後の日本では「満州」と表記されるようになったものだといいます。

P377
本来、中国の華中地域、上海や杭州などは、満洲や中国の河北地域との密接な経済関係のうえに繁栄していた。中国で有名な浙江財閥というのは、こうした上海や杭州などの豊かな地域を背景にした財閥でありました。軍事的な指導者であった蒋介石を永剤的に支えていたのは、渦中の浙江財閥だったのです。(宋嘉澍は、浙江財閥の創始者。娘の美齢は、蒋介石の妻となる。姉の慶齢は孫文の妻)

P379、日本切腹、中国介錯!
日中戦争が始まる前の1935年、胡適は日本切腹、中国介錯論を唱えます。すごいネーミングですよね。日本の切腹を中国が介錯するのだと。

P386
汪兆銘の夫人はなかなか豪傑で、汪兆銘が中国人の敵、すなわち漢奸だと批判されたときに、「蒋介石は英米を選んだ、毛沢東はソ連を選んだ、自分の夫・汪兆銘は日本を選んだ、そこにどのような違いがあるのか」と反論したといいます。

P459
日本古来の慰霊の考え方というのは、若い男性が、未婚のまま子孫を残すこともなく郷土から離れて異郷で人知れず非業の死を遂げると、こうした魂はたたる、と考えられていたのですね。つまり、戦争などで外国で戦死した青年の魂は、死んだ場所死んだ時を明らかにして葬ってあげなければならない。

P466-467、分村移民について
国や県は、ある村が村ぐるみで満州に移民すれば、これこれの特別助成金、別途助成金を、村の道路整備や産業振興のためにあげますよ、という政策を打ちだします。
このような仕組みによる移民を分村移民というのですが、助成金をもらわなければ経営が苦しい村々が、県の移民行政を担当する拓務主事などの熱心な誘いにのせられて分村移民に応じ、結果的に引揚げの課程で多くの犠牲を出していることがわかっている。
(中略)
満州からの引き揚げといったとき、我々はすぐに、ソ連軍侵攻の過酷さ、開拓移民に通告することなく撤退した関東軍を批判しがちなのですが、その前に思いださなければならないことは、分村移民をすすめる際に国や県がなにをしたかということです。

P469-470、日本とドイツの食糧事情について
戦時中の日本は国民の食糧を最も軽視した国の一つだと思います。敗戦間近の頃の国民の摂取カロリーは、1933年時点の6割に落ちていた。40年段階で農民が41%もいた日本で、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。日本の農業は労働集約型です。そのような国なのに、農民には徴集猶予がほとんどありませんでした。(中略)
それにくらべてドイツは違っていました。ドイツの国土は日本にもまして破壊されましたが、45年3月、降伏する2ヶ月前までのエネルギー消費量は、なんと33年の1、2割増しでした。むしろ戦前よりよかったのです。

【満蒙とはどこか?】P316



満州事変・・・柳条湖は奉天の近く
日中戦争・・・盧溝橋は北京郊外

【感想と疑問】
本作品は、中高校生を相手に、5日間にわたって講義した記録。
非常に丁寧、分かりやすく説明されている。
単に講義するだけでなく、質問が出て、高校生が答える、という授業形式。
一方通行でなく、双方向の関係。
よく、ついていった、と思う。
栄光学園・歴史研究部のメンバーを相手にしている。

加藤先生は桜陰高校出身・・・女子校では全国トップの進学校。
でも、どうして桜陰で「授業」しなかったんだろう?
男子校で授業したかった?
編集部担当者の都合?

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