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「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて」大沼保昭/江川紹子

2023年05月04日 09時09分49秒 | 読書(昭和史/平成史)


「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて」大沼保昭/江川紹子

以前(2016年)読んで勉強になったので、再読した。
聞き手が江川紹子さんで、大沼保昭さんがレクチャーする形式。

P4
東京裁判は、日本という国家を裁く裁判ではなく、あくまでも戦争の主要責任者の個人的な刑事責任を裁く裁判でした。

P15
米国の原爆投下とかソ連の日ソ中立条約侵犯など、連合国側の違法行為を弁護側が取り上げようとしても、この裁判(東京裁判)には関連性がないということで、許されなかったことです。

P17
中国政府が犠牲者の数を過大に主張してきたことは冷静に批判すべきですが、南京で日本軍が虐殺行為を犯してしまったことそれ自体は認めるべきでしょう。東京裁判でこの責任を問われて死刑になった松井石根大将も、部下たちのこの戦争違反を阻止できなかったことを深く悔いていたのです。

P23
日本国民は、自国民に300万以上の犠牲を強いた指導者を、自分たちで裁くことをしなかった。他者が裁いた裁判を、あるいは肯定し、あるいは批判し否定するということで終えてしまっている。

P65
中国共産党の立場は、日本の人民も中国の人民と同じく日本の軍国主義の犠牲者であって、賠償を請求すれば同じ被害者の日本人民に払わせることになる、というものでした。(中略)この立場はその後ずっと一貫していて、日本の首相の靖国神社参拝に中国政府が神経を尖らせるのも、このためです。

P71
悠久の文明大国である中国が、1840年のアヘン戦争から欧米列強と日本から侵略され、辱められてきという意識が徹底しています。「国恥百年」ということばは全国民に共有されており、1915年の対華21ヵ条要求を受諾した5月9日、1937年に日中戦争が勃発した7月7日、1931年に満州事変が勃発した9月18日などは、「国恥日」とされている。

P78
占領軍が敗戦後、戦争を「大東亜戦争」と呼ぶのを禁止して、「太平洋戦争」で統一されます。

P122
日本ばかり責めるけれど、韓国にも慰安婦はいたではないか。ベトナム戦争のとき派兵された韓国軍はベトナムで一体どれほどひどいことをやったんだ。中国は、南京大虐殺だと日本をさんざん非難するけれど、自分のところであれだけ人民弾圧をやっているではないか。毛沢東は大躍進や文化大革命で自国民を何百万人死なせたんだ。チベットやウイグルでの大規模な抑圧、人権侵害は何なんだ。そういうことをやっていながら日本を批判できるのか。あるいは、欧米はあれだけ列強として植民地支配をやっておきながら、日本に説教を垂れるのか。自分たちは、旧植民地の膨大な数の人々に、日本のように反省を示して謝罪をしたのか。これは、素朴な、人としてごくあたりまえの不公平感だとおもうのです。
もちろん、他国が悪いことをやっているからといって、日本が悪いことをやってもいい、ということにはならない。そういった居直りは自らを貶めるものでしかない。ただ、日本もこれまでそれなりに過去の行為を反省してきたのだから、中国や韓国もそこをちゃんとみて、わが身を振り返りながら日本に接してほしい。

P128
同報告書(クマラスワミ報告)には、後に虚偽と判明した吉田清治氏の女性「奴隷狩り」証言も記載されています。2014年に『朝日新聞』が吉田証言の記事を取り消したあと、日本政府はクマラスワミ氏に修正を求めましたが、同氏は吉田証言だけが根拠ではないといって応じませんでした。(慰安婦問題は、吉田清治氏、植村隆 氏のような人物がいたせいで、よけいこじれてしまった。マスコミも、その証言をそのまま信じて報道拡散して、日韓関係をより悪化させた)

P138
慰安婦問題にかぎらず、第二次大戦と植民地支配にかかわる諸問題について、日本は法的責任を認めないが、ドイツは認めた、ということもよくいわれますが、これは誤りです。ドイツが認めてきたのも道義的責任です。

P162
日本の首相が元慰安婦のところへ行き、深々と頭を下げてその手を握り、その様子がメディアを通して広く伝えられれば、元慰安婦の方々の多くの満足も得られるし、韓国国内でも国際社会でも、慰安婦問題で傷ついた日本の名誉は大きく回復される(後略)
(キスまでしなくてもハグのような象徴的なパフォーマンスは必要、かもしれない。ヴィリー・ブラント西独首相が1970年にポーランド・ワルシャワを訪問した際、ゲットー・英雄記念碑の前で跪いて黙祷を捧げたそうだ。こういう分かりやすい形で反省と謝罪を表現して、国際社会で評価された。←P195、日本のリーダーに必要なのは、メディアを意識したパフォーマンスかも。こういったことを早くにやっておけば、ここまで日韓関係が、こじれなかったかもしれない)

©Bundesregierung Photo: Engelbert Reineke
ワルシャワでひざまずいたブラント Brandts Warschauer Kniefall

P166
植民地支配のために現地の人々を制圧することも、「野蛮人をキリスト教化する」などの論理で正当化されていました。

P168
 スペイン、ポルトガルに続いて、オランダ、英、仏、ベルギー、ドイツ、ロシア、さらに米国も世界各地を植民地化した。こうした国々には植民地支配が悪であるという観念はほとんどなかったし、そういう国々がつくり運用した国際法も、植民地支配を認め、むしろその道具として機能した。19世紀後半には、欧米の白人の間で、自分たちのすぐれた文明をアジアやアフリカの「未開」「野蛮な民族」にもたらす尊い義務がある、という考えが流布します。

P170
19世紀から20世紀初頭の欧米中心的な国際社会で、戦争は国家政策のひとつと考えられていました。外交の延長線上に戦争があり、外交と戦争を組み合わせて国家利益を実現するというのが、ヨーロッパの古典的な国際関係だったわけです。

P172
1920年代に戦争を違法化すべきだという運動が盛り上がり、1928年に不戦条約が結ばれる。これで戦争が国際法上はじめて、原則として禁止されました。世界が戦争を違法なものにしようとして、国際法上画期的といってよい成果が出た。
しかしその三年後に、日本が満州事変をおこしてしまったのです。

P186
そもそも国連は、米英仏中ロという軍事大国のいずれかが違法な武力行使をおこなっても、それを制裁によってやめさせることはできない。実際、ソ連のハンガリー、チェコ、アフガニスタンへの武力行使、米国のベトナムやカリブ海諸国への武力行使やその威嚇、英仏のエジプトへの武力行使、中国のベトナムへの武力行使など、米英仏中ロは、自分たちが主導してつくった国連憲章に違反する武力行使をしばしばおこなってきました。

P192
かつての欧米列強は、日本とドイツを批判することはやっても、自分たちの植民地支配責任や帝国主義政策、他国への侵略行為に関しては、ほとんど反省の意を表していない。典型は米国で、ベトナム戦争であれだけ枯れ葉剤を使い、その結果多くの障碍児が生まれるような残虐なことをしておきながら、ベトナムに対してまったく謝罪していません。フィリピンを植民地支配したという意識もない。フランスにしてもイギリスにしても、植民地支配についての責任意識、帝国主義的外交への反省は知識人もほとんどないし、かつての植民地支配への謝罪も、日本に比べてきわめて限られたものでしかない。(オーストラリア、ニュージーランドも日本の捕鯨を激しく批判するが、自分たちは先住民を絶滅の危機に追いやっている。どーいうこと?)

P198
異民族支配それ自体が悪という意識が高まるのは、ナショナリズムが重要な意味をもつようになった19世紀以降のことなのです。それ以前は異「民族」――「民族」という意識自体、基本的に近代以降のものです――支配は、世界各地でどこにもあある現象でした。

P199
香港は1997年に中国に返還されますが、当時、欧米の発想が支配的な国際社会の感心は、もっぱら「英国が育て上げた香港の民主主義が、共産党独裁の中国の下で維持されるだろうか」というものでした。(中略)
返還式典でも、アヘン戦争の流血や植民に支配についての英国からの謝罪はありませんでした。最後の総督だったクリストファー・パッテン氏は記者会見で、「(英国が香港の)民主制度を発展させた」と述べ、過去1世紀半に及んだ植民地支配について謝罪しないのかと聞かれると、「アヘン貿易まで正当化しようとは思わないが、一体、今何を謝罪するのか。この未来志向の都市で、19世紀の話をするのは驚くべきことだ」と述べています。(1997年といえば、鄧小平氏が亡くなった年。気になって香港に行ってきたので覚えている。返還の時のスピーチも、気にして新聞を読んだけど、「謝罪の言葉がないなあ」「むしろ、自らの統治について自画自賛だし」と、感じた)

P208
ある在日韓国人が、「韓国の三大紙(『朝鮮日報』『中央日報』『東亜日報』は、日本の『産経』みたいなもの」と語っていましたが、これは言い得て妙です。(対日批判をした方が発行部数が伸びるのだろうか?韓国メディアは反日を煽ってばかり。だから、「日本のメディアは韓国メディアへの働きかけに努めてほしい」と著者は語っている)

【ネット上の紹介】
日中・日韓関係を極端に悪化させる歴史認識問題。なぜ過去をめぐる認識に違いが生じるのか、一致させることはできないのか。本書では、韓国併合、満洲事変から、東京裁判、日韓基本条約と日中国交正常化、慰安婦問題に至るまで、歴史的事実が歴史認識問題に転化する経緯、背景を具体的に検証。あわせて、英仏など欧米諸国が果たしていない植民地支配責任を提起し、日本の取り組みが先駆となることを指摘する。

[目次]

第1章 東京裁判―国際社会の「裁き」と日本の受け止め方(ニュルンベルク裁判と東京裁判
「勝者の裁き」と「アジアの不在」 ほか)
第2章 サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の「正常化」―戦争と植民地支配の「後始末」(サンフランシスコ平和条約とは何か
寛大だった連合国との講和 ほか)
第3章 戦争責任と戦後責任(「敗戦責任」から「戦争責任」へ
被害者意識と加害者認識 ほか)
第4章 慰安婦問題と新たな状況―一九九〇年代から二十一世紀(なぜ慰安婦問だけが注目されるのか
慰安婦問題は日韓問題? ほか)
第5章 二十一世紀世界と「歴史認識」(十九世紀までの戦争観と植民地観
第一次世界大戦と戦争の違法化 ほか)

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