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「謝々!チャイニーズ」星野博美

2023年12月15日 08時02分31秒 | 読書(台湾/中国)


「謝々!チャイニーズ」星野博美

久しぶりの読み返し。
本作品は、著者が27、28歳の頃、
1993年から94年にかけて行った旅の記録。

P28
「髪廊(ふあーらん)」とは、名目上は「床屋」だが、昼間から怪しげな赤い光を発して肌を露わにした女性が鏡の前に座って客を引き、中で売春行為を行う風俗店のことだ。

P112・・・広州の駅の路上生活者との会話
江西省の廬山。いいかね?中国で一番きれいなところだ。それに山東省の泰山。いや、泰山の方がきれいかな?それから安徽省の黄山市。今度中国に来たら、この三つに必ず行きなさい。中国のきれいなところを旅行しなさい。もうこんなところに来るんじゃないよ。

P164・・・厦門のコーヒーショップでの会話
「やっぱり彼女たちは娼妓なの?」
「ここにいる子は全員そう。ホテルの前で立ってる子も。違うのはあなたと私ぐらいのものだわ」
社会主義、か。
社会主義経済が資本主義経済のシステムに呑みこまれた時、真っ先に流通するのがポルノと娼婦であるとこは、いまや世界中に共通した現象となっている。

P222・・・「一人っ子政策について」湄州での話
ホテル近くの宮下村に住む漁師さんは、二人目が男の子だったため、三人目の女の子の時は2000元の罰金を払った。同じ宮下村の雑貨屋の店主は、1人目も2人目も女の子だったため、三人目にトライしたところ、男の子だったので、罰金は払わずに済んだ 。

P176
中国に来てから、この厦門(あもい)に限らず、私が訪れた町には一つの例外もなく「髪廊」が存在した。金になるからそれを商売にする人間が現われ、金を持った人間がそれまで手にしたこともないものを手に入れようとする。資本主義の原点だ。
(中略)
しかし、こんなことをいったらフェミニストから袋叩きにあいそうだが、私には彼女たちを買う男たちを大声で糾弾する気にもなれない。それまで目にしたことのないものが目の前に並んでいる時、人間はどれだけ欲望を抑えることができるものなのだろうか。

P244-245
「黒猫と白猫の話知ってる?」
「ねずみを捕るのがいい猫だ、でしょう」
「そうだ。でも本当の意味は少し違う。黒だろうが白だろうが黄だろうが、自分でねずみを捕ってこない猫は飢え死にする、っていう意味だ。つまりいまの中国では、自分で金を稼がない奴は、死ぬってことだ。(中略)
中国は金がないと生きていけない国になっちまったよ」

P256
いまの中国には種類を問わず、宗教が浸透する素地があると思う。格差が広がれば広がるほど、その度合いはさらに強くなるだろう。

P272
それまで中国は、職場や住居の確保から社会福祉に至るまで、すべて国がしてくれる国家だった。ところが改革開放で何でもしてくれた国は「自分でねずみを捕ってこい」という国に変わった。野心に燃える人間にはまたとないチャンスとなったが、それ以外の人たちにとっては、誰も何もしてくれない時代になった。持てる者と持たざる者との経済格差が限りなく広がり、持てる者の富は一族やその故郷にしか還元されない。持たざる者の心には、「誰も何もしてくれない」感が余計に強くなる。

【注意】
最初と2回目、文庫本と単行本と異なるので、頁番号が合致しない場合がある。
ご了承ください。

【ネット上の紹介】
時は1993年。中国に魅せられた私は、ベトナム国境から上海まで、改革開放に沸く中国・華南地方を埃だらけの長距離バスに乗って旅をした。急激な自由化の波に翻弄される国で出会った、忘れえぬ人々。『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の、みずみずしいデビュー作。[目次]

第1章 東興
第2章 北海から湛江まで
第3章 広州
第4章 厦門(あもい)
第5章 〓洲島(めいちょうだお)
第6章 平潭
第7章 長楽
第8章 寧波
終章 東京

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