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「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」(下)ジョン・ダワー

2018年02月13日 20時36分48秒 | 読書(昭和史/平成史)


「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」(下)ジョン・ダワー

先週上巻を読んだが、インターバルをとって、下巻を読んだ。
占領後半、東京裁判等が描かれる。

P6
吉田茂は回想記のなかで、マッカーサーを日本の「偉大な恩人」と賞賛しているが、それは民主主義の贈り物をしてくれたからではなく、未曾有の危機にあって、最高司令官として天皇制を維持し、畏敬すべき現君主を擁護してくれたからである。

P8
1944年7月の戦略作戦局(OSS)の内部報告書には、「現在の天皇を排除すべきかは疑問である。天皇個人は穏健な傾向の持ち主で、将来は有用な影響をおよぼす可能性もある」と書かれていた。

P10
休戦条件については、われわれはけっして弱腰であってはならない。しかしながら、天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の激しい反応を呼び起こすであろう。日本人にとっての天皇の処刑は、われわれにとってのキリストの十字架刑に匹敵する。


P24
当時マッカーサー元帥は65歳。44歳の天皇は、マッカーサーの息子であってもおかしくない年齢である。
p25
この写真は同時に、最高司令官は天皇を歓待しており、天皇のそばに立っている[stand by him(the emperor)この英語は「いつでも天皇の力になる」という意味を含む]ことを明確にしたものでもあったということである。

マッカーサーが天皇を出迎えた時の言葉
You are very, very welcome, sir!
P26
それはボワーズにとって、マッカーサーが他人に「サーsir」というのを聞いた初めての経験であった。

1945年12月半ばに導入されたSCAPの広範にわたる命令の一環
P198
日本人がアジアでの戦争を指して使っていた「大東亜戦争」という呼称が禁じられ、代わりに「太平洋戦争」と呼ばなければならなくなった。

P199
別のレベルの「発禁」扱いだったのが、日本政府がまかなわなければならなかった巨額の占領軍維持経費――ときには通常国家予算の三分の一にも達した――である。

東京裁判へのウィロビーの言葉
P245
「この裁判は史上最悪の偽善だ」とはっきり言っている。

東京裁判の舞台として帝国陸軍士官学校の講堂を使用した
P257
日本政府がこの建物を一億円近くもの巨額の経費をかけて改修した。空調設備もセントラルヒーティングも入れた。傍聴席は500人分設けたが、このうち300席は連合国の一般市民用で、残りが日本人用だった。

P261
アメリカ自身が、残虐非道さにおいて疑問の余地のない罪を犯した特定の日本人集団を、秘密裏に、そっくり免責していた。満洲の731部隊で、何千人という捕虜を実験台に使って生物兵器を開発していた将校や科学者たちである(研究結果をアメリカに教えることを交換条件に訴追を免れた)。

P267
パル判事とヘラニラ判事は、それぞれの国が運動した結果追加された。この裁判は、基本的に白人の裁判だった。

P271
アメリカに対しては、そのダブル・スタンダードを非難して、日本の諸都市への空襲爆撃、なかでもとくに原子爆弾投下は人道に対する罪にあたる、と主張すればいいことはわかりきっていた。パル判事も、さすがの彼にしても異常なくらいの辛辣さでこのことを主張した。

【ネット上の紹介】
敗北を抱きしめながら、日本の民衆が「上からの革命」に力強く呼応したとき、改革はすでに腐蝕し始めていた。身を寄せる天皇をかたく抱擁し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った…新たに増補された多数の図版と本文があいまって、占領下の複雑な可能性に満ちた空間をヴィジュアルに蘇らせる新版。
第4部 さまざまな民主主義(くさびを打ち込む―天皇制民主主義(一)
天から途中まで降りてくる―天皇制民主主義(二)
責任を回避する―天皇制民主主義(三) ほか)
第5部 さまざまな罪(勝者の裁き、敗者の裁き
負けたとき、死者になんと言えばいいのか?)
第6部 さまざまな再建(成長を設計する)
エピローグ 遺産・幻影・希望