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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

コードナンバー4673(その2)

2009-03-08 17:16:12 | 民鉄・3セク

 遠出する時と違い、機材もお気楽モードで。デジイチの他は、ジャンク寸前8000円で拾ったコンタックスRTSを1台だけ。これは真冬の米坂なんてに持って行こうなものなら、ミラーUP状態でご臨終になりそう…

この築堤の上を、凸電が観音開きトムとかセムとかを数輌牽いて走る様子を見てみたかったです。

新興住宅の軒先をかすめる様に伸びる廃線跡、もとい長期放置プレー中の線路。バブルがもっと続いていたら通勤線化は現実のものになったのであろうか…

樹木の繁り方が、この線路に列車が走らなくなってからの歳月を物語っています…

自然の力恐るべし。樹の根っこにレールが持ち上げられています。

もう少しで入間川の河川敷、と終点安比奈駅、と言うところで、突然道路に遮られてしまいます…


コードナンバー4673(その1)

2009-03-07 20:46:25 | 民鉄・3セク

 何のこっちゃ、てタイトルですが、貨車屋にとって最も身近なコード番号、貨物時刻表の巻頭に掲載されている貨物取扱駅コード図表ですが、その中の「4673」は新秋津連絡西武鉄道に割り当てられたコード、と言うまでも無いでしょう。東横瀬からのセメント輸送が全廃になった後も、甲種輸送のため取扱駅コードは存続しておりますが、西武線内の取扱駅は2008年版貨物時刻表には掲載されていません。しかし、つい最近まで西武鉄道唯一の取扱駅として、何の注釈も無く「安比奈」の駅名が掲載されていました。仮に「民鉄七不思議」というものがあれば、確実にランクインするであろう、現時点で最後に運行された年月日すら定かでない、存在そのものが謎に包まれた路線、西武安比奈線です。廃線系の人達には非常に有名な物件ですし(本当は廃線じゃ無いですけど…)、今更語り尽くされた気もしますが、十数年前にRMトワイライトゾーンで見て以来、一度は行ってみたかった場所ですので。

南大塚の起点は本線と分断されているものの、国道16号線の踏切直前辺りまでは、今にも列車が走ってきそうな雰囲気です。

しかし…16号線踏切もこの有様。近年まで残っていたとされる踏切警報機も撤去され、台座のみ残っていました。

ここから先はしっかり廃線?しています。一部では家庭菜園化しています。

すっかり春ですね…(つづく)

(P:2009年3月7日 西武鉄道安比奈線 南大塚-安比奈間にて)


暖かい…と云うか暑い・・・

2009-02-14 20:15:18 | 民鉄・3セク

 今日は妙に暖かいです。とても2月半ばとは思えません。寒がりの癖に雪景色大好きな私ですが、これでは雪景色どころではありません。今年は秩父や箱根での雪はもう諦めました・・・

 待っている間は寒くて辛いし、耐寒対策をしっかりしていかないと痛い目を見るし、吹雪で写真どころでは無くなることも多いし、失敗も多いですが、上手く決まった時の感動は筆舌に尽くし難いものがあります。そうして毎冬、雪国へ駆り立てられる私があります。

 ひとりごと・・・えちごの指定席、今日みどりの券売機(MV)で見たら、来週金曜発の残席にはまだ余裕あり。米坂どうしようか?

(P:2008年2月22日 小坂製錬鉄道 小坂-茂内にて)


樽見鉄道本巣の思い出

2009-02-12 21:23:46 | 民鉄・3セク

 上り大垣夜行372Mがまだ165系11連だった頃のこと、夜の大垣駅ホームで待っている最中、樽見鉄道のTDE10がセメントタキ車を連れて到着したのを眺めたのもついこの間の様に思い出されます。住友だけでなく電化や明星の1900も混じっていたっけ? 樽見の貨物も、いつでも見れると思っていたら、あれよあれよと言う間に本数が減り、終には無くなってしまいました。本巣の工場手前のヤードが、田園風景の真ん中で実によい雰囲気でした・・・

ズラリ並んだ住友のタキ1900も懐かしいです。Nでも模型化してくれないかな?

「上白石駅常備」の標記も涙モノ。広田や篠ノ井とかに運用されていた電化青海臨時常備の車輛には、末期まで彦根や陸奥湊、そして「美濃本巣」常備のが残っていましたねぇ。

(P:2000年5月5日 樽見鉄道本巣駅 住友大阪セメント岐阜工場専用線にて)


こんな所からも

2009-01-25 21:44:35 | 民鉄・3セク

 またしばらくサボり気味で申し訳ありません。

 ローカル私鉄のとある小駅に取り残された貨物ホームと上屋、昭和50年代初頭位までは、こんな所からも全国へ向け貨車が発着していたんですよね・・・関西の親の故郷最寄りの、国鉄某ローカル線の小駅から、自宅近くの在京某大手私鉄駅へ貨車で届いた荷物を取りに行った、と言う話を思い出しました。

 そんな鉄道貨物の全国ネットワークも、昭和59年2月国鉄ダイヤ改正で破壊されて、今は昔…

(P:2009年1月25日 長野電鉄長野線 信濃竹原駅にて)


久しぶりに岳南

2009-01-05 23:16:25 | 民鉄・3セク

 久しぶりに岳南に行って来ました。朝方は富士山も良く見えていたのに、現地に到着する頃には、しっかりと厚い雲の中orz... で、綺麗になった富士岡のED291と貨物1本だけ撮ってさっさと帰ってきました。貨物は随分とお寒い現状ですが、吉原駅ホームの佇まいだけは昔と変わりませんね。22年前、初訪問時に吉原駅構内で撮った写真が2枚出てきたので、不鮮明で申し訳ありませんがUPしておきます。あの時はまだ辛うじて川崎丸窓が現存していたっけ・・・

白土液輸送用に使われていたエーシーケミカルのタキ7750。ACの文字は、今は亡き安宅産業の末裔であることを意味するようです。右側はNRSのタキ50000で、解体のためここまで送られてきたそうな。何でこれをちゃんと撮っていないんだ・・・富士岡の丸窓もそうだけど、と今更ブツブツ・・・

信越化学のタキ9000、判り難いけど、懐かしの旧社章です。この側線には他にも良く、関東電化や伊藤忠の四塩化炭素タキ6100も来ていましたっけ。末期は硫酸だけでしたけど。因みに前でED40に繋がっているのは、これまた懐かしの日本鉱業のタキ300。富士岡には東海電化の過酸化水素タンク車、須津に播磨化成のタキ20300その他色々な化成品貨車が、当時の岳南沿線には蠢いていましたが、結局まともに撮らず仕舞いで全て姿を消してしまいました。ああ、この時に同伴の幼なじみの言いなりになって計画変更していなければ、と後悔しても何も始りません・・・

(タイトルカット:2009年1月5日 岳南鉄道 岳南富士岡駅にて、他2枚:1987年5月 吉原駅にて)


山奥で静かに余生を

2008-10-14 00:26:54 | 民鉄・3セク

 東武会沢線上白石駅から伸びる、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道が廃止されてからもうすぐ17年。羽鶴は路線バスもロクに無い不便な場所でしたけど、まだ高校生の私は、最後の雄姿を一目見ようと、葛生の駅前からタクシーを奮発して錦秋の仙波の山奥に向かいました。廃止を前に、久々に陽光の下に引き出されたネルソン1080や、三菱の旧いロッド式DLが目当てだったことは言うまでもありませんが、羽鶴構内の片隅にはこんなものもひっそりと余生を送っていました。私もまさか残っているとは思ってもいなかったので、同行した友人の指差す先にホキ5400らしき物体がチラリと見えたのを認識した時は驚いたものです。屋根が付けられていたので、ドロマイトの貯蔵庫として使われていたようですが、もっとも廃車されるかなり前から、羽鶴ドロマイト工場構内で移動貯蔵庫代わりに使われていた様です。今でも残ってるのでしょうか?

 それにしても、葛生まで乗ってきた東武佐野線の3050系釣り掛け電車もED5060の重連に住友セメントのタキ11500、聞くところによれば葛生の木造駅舎も無くなったそうで、何もかも変わりました。所在地の「安蘇郡葛生町」自体、佐野市に吸収されて無くなりましたしね。そう、帰りは某趣味誌編集長様のクルマで駅まで送ってもらったのも今となっては良い思い出です。

(撮影 1991年11月20日 日鉄鉱業専用鉄道 羽鶴駅にて)


あれから16年余。しかし…(2)

2008-09-23 11:46:13 | 民鉄・3セク

 バスで盛まで戻り、折角なので構内に留置されている石灰石輸送用のホキ車を観察することにしました。ウヤの日じゃないとゆっくり観察することは出来ませんしね、と自分に言い聞かせながら(苦笑)

 16年前、石橋に向けて最期の旅立ちに出るキハ202+301重連を見送ったホームも当時のままです。

開発のホキ車の中でも一際異彩を放つのが、事故廃車補充用として北陸重機で製造された151、152の2輌。補強アングルが多いですね。

同じホキ100形でも、製造年次により補強アングルのパターンは基本3タイプあり、更に後天的な更新修繕によりアングルが追加されているのも多数見受けられます。確認した中で最も壮絶(?)だったのがこの133、何気に台車も左がTR213C、右が無印213と違っています。

 台車について、初期製作の車輌は当初TR41C(後期型はTR225)でしたが、後に中古台車を転用して全車コロ軸受け化されています。台車の供出先は三岐鉄道のセメントタキと同様、廃車となった私有セメントタキ車(TR213C、TR225)及びホキ9500(TR213無印)あたりと推定されます。

(撮影:2008年9月22日 岩手開発鉄道 盛駅にて)


あれから16年余。しかし…(1)

2008-09-23 11:18:51 | 民鉄・3セク

 1992年3月31日-岩手開発鉄道旅客列車最期の日から16年余振りに再訪しましたが、結果は…22日の月曜日全便ウヤorz...前日夕方に現地入りした時に、日曜なのに走っていて???と思ったら、飛び石連休で運転パターンがイレギュラーでした。と言うことで、今回撮れた走りは、日曜の盛~赤崎の鉄橋で少しだけ…

 仕方ないので、バスで岩手石橋まで行って見ました。駅舎は勿論もぬけの殻でした。構内の様子を撮っていると、やはり鉱石列車を撮りに東京方面からクルマでやってきた方が一人、折角休みを取って遠征してきたのにお気の毒です。ご苦労様…

16年前のあの日、キハ202に乗る為に立ったホームの前には、もうレールはありません。当時はまだ私は高校生でした。歳月が経つのは早いですね…

日頃市の駅もあの日と変わることなく…しかし、使われなくなり草生した旅客ホームが現実を物語ります。貨物専業なのにATS装備とはまた時代の流れなのか。

(撮影:2008年9月22日 岩手開発鉄道 岩手石橋駅、日頃市駅にて)


親鼻橋のおもひで

2008-09-14 20:46:54 | 民鉄・3セク

 つい先日、秩父鉄道武州原谷駅構内に残された、最後のセメントタキ車が、名臨東港にて廃車解体のため山を降りたと聞きました。青いデキを先頭に、秩父セメント、日本セメント、明星セメント混成の雑多なタキ、ホキ車で構成された写真のような列車、今でも親鼻橋の下で待っていれば、やってきそうな錯覚に囚われますけど、この廃車回送完了で、もう完全に過去のものとなった現実がここにあります。

 私が秩父に通い始めた15年位前は、電車と同じ位、貨物や鉱石がやってきて、親鼻の河原に何時間居ても飽きることはありませんでした。今でも鉱石列車は健在ですし、電車も101系リバイバルカラーや都営三田線、西武改の急行、西武乗り入れの4000系、と非常にバラエティに富み、楽しい場所であることに変わりはありません。でも、貨物の影が薄くなったのには、一抹の寂しさを拭うことは出来ません…

 久々に秩父行こうかな…写真の牽引機で、私の一番のお気に入りの、前面のひさしが決まった旧松尾鉱山、デキ107、108の元気な姿も見たいし、101系関西線もまだ見たことないしね。