長らく放置状態でしたが、2か月ぶりの更新です。と言うことで放置貨車ネタと言うか、後に貨車、貨物線趣味に深くのめり込むきっかけの一つとなった鉄道の話題でも。
今から20年近く前の私がまだ高校生だった頃の夏休み、いつもの375M大垣行き165系に揺られて行ったのが、この鉄路との最初の出会いでした。西濃鉄道と言う社名は昔から知っていたけど、今の様にマイナーな鉄道や車輛まで情報が溢れる今とは違った当時の事、どのような鉄道かと言う予備知識もほとんど無く、僅かに当時から約5年前の「鉄道ファン」誌のレポート記事にダイヤや路線図、乙女坂から新日鐵名古屋への鉱石列車など数枚の写真が紹介されているのが、辛うじて手に入れられた近年の情報でした。
往年の栃木県葛生の鉱山鉄軌道群が織りなす情景が素晴らしい事は古い写真で十分に窺い知ることが出来ても、当時既に日鉄羽鶴以外は壊滅状態にあり、この様な情景は絶対見ること叶わぬ憧れの情景でした。それだけに、山道をおっちら登って辿り着いた目の前に広がる昼飯線美濃大久保駅の情景を目にした時は、寝惚け眼を擦りながら、半ば信じられないような、夢にまで見た情景を前にシャッターを切りまくりました。草生した線路に崩れかけた木造のホッパーや貨物上屋、錆びた廃貨車・・・
訪問の動機は、先述のF誌レポートの中にホキ3100形トップナンバーやタキ7150形が廃車留置されていると言う記述があったからですが、一形式一輌の珍車タキ7150形は残念ながら既にありませんでしたし、昼飯線自体も数年前から休止状態なのを現地で知った始末でしたが、まあ5年前の古いレポートだから仕方ないですね。ホキ3100トップには対面する事が出来ましたし、他にも山ほど新しい発見があったし、何よりこの想像を上回る素晴らしい情景に、そんなこともどうでも良くなったのでした。

この素晴らしい枯れた鉄路の情景も、残念ながらその後の昼飯線廃止と前後して多くは失われてしまいましたが、このタイミングで行けたのは幸運だったと共に、西濃鉄道の残存区間や赤坂の町並みなど、まだ魅力は残されているので、また行ってみたいものです。
(上:1994年9月4日 西濃鉄道昼飯線 美濃大久保駅)
(下:1994年8月10日 市橋線 市橋駅)