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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

西濃鉄道点描1 市橋駅

2010-11-19 00:20:40 | 民鉄・3セク

 手前には廃車のホキ3500、バックの山にはホッパーの廃墟が大自然の中に呑み込まれつつあり…ホキ3100や3500は当時既にほとんど見られなくなっていた形式で、残っていたのを見て嬉しかったものです。

駅ヤード入口には模型的ホッパーが、こちらも草木に浸食されつつあり…

猿岩方面を望み…石灰工場の中を突っ切る草生した線路。当時は猿岩の清水工業ホッパーの所まで現役で、彼方に見える貨車はホキ5700そっくりの珍車ホキ7500。同社のセメントホキ車は肥料用ドロマイトタンカル積で篠ノ井線南松本まで行っていました。

(1994年8月10日 西濃鉄道市橋線 市橋駅)


ある夏の日の白昼夢

2010-11-17 00:32:33 | 民鉄・3セク

 長らく放置状態でしたが、2か月ぶりの更新です。と言うことで放置貨車ネタと言うか、後に貨車、貨物線趣味に深くのめり込むきっかけの一つとなった鉄道の話題でも。

 今から20年近く前の私がまだ高校生だった頃の夏休み、いつもの375M大垣行き165系に揺られて行ったのが、この鉄路との最初の出会いでした。西濃鉄道と言う社名は昔から知っていたけど、今の様にマイナーな鉄道や車輛まで情報が溢れる今とは違った当時の事、どのような鉄道かと言う予備知識もほとんど無く、僅かに当時から約5年前の「鉄道ファン」誌のレポート記事にダイヤや路線図、乙女坂から新日鐵名古屋への鉱石列車など数枚の写真が紹介されているのが、辛うじて手に入れられた近年の情報でした。

 往年の栃木県葛生の鉱山鉄軌道群が織りなす情景が素晴らしい事は古い写真で十分に窺い知ることが出来ても、当時既に日鉄羽鶴以外は壊滅状態にあり、この様な情景は絶対見ること叶わぬ憧れの情景でした。それだけに、山道をおっちら登って辿り着いた目の前に広がる昼飯線美濃大久保駅の情景を目にした時は、寝惚け眼を擦りながら、半ば信じられないような、夢にまで見た情景を前にシャッターを切りまくりました。草生した線路に崩れかけた木造のホッパーや貨物上屋、錆びた廃貨車・・・

 訪問の動機は、先述のF誌レポートの中にホキ3100形トップナンバーやタキ7150形が廃車留置されていると言う記述があったからですが、一形式一輌の珍車タキ7150形は残念ながら既にありませんでしたし、昼飯線自体も数年前から休止状態なのを現地で知った始末でしたが、まあ5年前の古いレポートだから仕方ないですね。ホキ3100トップには対面する事が出来ましたし、他にも山ほど新しい発見があったし、何よりこの想像を上回る素晴らしい情景に、そんなこともどうでも良くなったのでした。

 この素晴らしい枯れた鉄路の情景も、残念ながらその後の昼飯線廃止と前後して多くは失われてしまいましたが、このタイミングで行けたのは幸運だったと共に、西濃鉄道の残存区間や赤坂の町並みなど、まだ魅力は残されているので、また行ってみたいものです。

(上:1994年9月4日 西濃鉄道昼飯線 美濃大久保駅)
(下:1994年8月10日 市橋線 市橋駅)


紙専貨

2010-09-12 16:55:50 | 民鉄・3セク

 紙専貨と言うと、とび色のワム80000やらワキ5000やらのパレット有蓋車を延々と連ねた列車を思い浮かべるのは、2012年の完全コンテナ化を目前とした今となっては最早古い人、でしょうね。このワキ5000もとっくに消滅し、青いワム380000すら風前の灯とは。

 パワムを連ねた紙専貨は、走る音がこれまた良いですね。2軸車のジョイント音+ドアのガタガタ音がまた・・・津軽海峡線騒音対策でドア改造される前だったら(所謂「マル防」)もっと良かったですが、そう贅沢も言っていられないので、近々岳南に行って動画で記録しておこうかな。



 この頃は岳南線内でタキ車も目にすることが出来ました。紙専貨のワムの行列にポツンと挟まった化成品タンク車も懐かしい光景です。日曹二本木から苛性カリを運んで来たタキ2600の後ろにいるタキ35000は、ラテックス仮専用で安治川口から来ていたものです。

(P:1993年11月3日 岳南鉄道 上/比奈駅にて、下/岳南原田駅にて)


西長岡幻影(1)

2010-06-13 11:42:27 | 民鉄・3セク
 もうこの時から15年以上の歳月が流れたのですね…ついこの前の事だと思っていたけど。

 当時既にその存在が時代離れした物になりつつあった鉄路です。住宅地の真ん中に、かつての栄光の残渣と言える広大なヤードと立派な施設を擁し、一日10車に満たない貨車を運ぶだけの為に、日々電機が走る、そんな鉄路が平成の世まで存在していたこと自体不思議だったのでしょう。現役時代を知らない年少ファンも今や高校生以上、彼らがこんな写真を見て投げかける視線は、私が同じ年頃に「寿都のボールドウィン」「沼尻のガソ」或いは「大甕の院電」等々の写真に対し投げかけた眼差しと似たようなものなのでしょうか…





 そんな越後の不思議な鉄道も、訪問後程無くして姿を消しました。伝え聞くところによると、西長岡駅の跡地は再開発されて住宅地やショッピングセンターに呑み込まれ、ここがそうであったという痕跡を探すこと自体困難になっている模様です。本当に幻の存在であったかのように…今でも平凡な住宅街の裏に回れば、そこにはこの不思議世界がまだ広がっている様な気がしてならないですが…

(1994年12月27日 越後交通長岡線 西長岡駅)

久々の貨鉄博

2009-05-04 11:00:44 | 民鉄・3セク

 伊賀鉄訪問のついでに、丹生川の貨物鉄道博物館も少しだけ。前回来た時はシキも無かったし、今は見違えるように綺麗に修復されたワ5490もカサカサでしたっけ。

 収蔵品の充実は良いことですが、補修のための入れ替え作業を考えると、もう置き場所的には限界になりつつあるようで。某研修センターに現役時代さながらの極上状態で保管されていると言うワム3500形とか、入れて欲しい車輛は沢山ありますが、現状でも正直これだけの数を屋外で管理する苦労も考えると簡単には…

 最後に本当にささやかな額ではありますが「お布施」をして帰途に就きました。


また行かなくちゃ

2009-05-04 10:53:32 | 民鉄・3セク
 これがあるのをすっかり忘れていました。伊賀鉄道依那古駅傍にある油槽所で据え置き油槽として使われている3軸タンク車のタンク体です。気付いた時には時間切れだったので、今回は車窓スナップだけです…

景気悪い話

2009-04-03 23:53:05 | 民鉄・3セク

 景気と言うものは、ほとんど「ムード」で成り立っているものだから、景気が悪い悪いと騒ぎ立てるのはマイナスにしかならない、と言うのも真理、なのでしょうが、現実に仕事が無くて臨時休暇になってしまった事実は如何ともしがたいので、ちょっと出かけてみるか、と岳南行って来ました。

 結果は、朝一番701レこそ貨車が付いたものの、次702レは単機で上って行ったと思ったら、703レはそのまま単機で下ってきてしまったのは何故??? 704レ、706レは順当に?まずまずの編成だったけど、705レはコキ1+パワム1のミニ編成、707、708と原田臨貨はウヤでした。土曜日はウヤが多いのは以前からなのですが、この不景気で金曜でも少ないのね…

 それにしても最近行くと来るのは赤いのばっか…最初は物珍しかったけど、やっぱりこのカマは茶色い方が好きかな…

(P:2009年4月3日 岳南鉄道線 吉原-ジヤトコ前にて)


米タンも今や38系だそうで…

2009-04-02 20:39:03 | 民鉄・3セク

 タキ35000が最後の活躍をする横田ルートの米タンですが、間も無くタキ38000に置き換えられようとしています。米タンは石油製品輸送用としては二線級となった古い車輛の寄せ集め、が相場でしたが、「新しい」と言うイメージの38系に代わるとは時代も流れたもので。とは言っても38系もう30年選手なんだよなぁ…

 と言うことで、在りし日の厚木ルート置き換え直前のタキ3000時代でも。このルートは永らく米軍輸送隊所有車の独壇場でしたが、晩年はNRS車が多数交るようになりました。新興住宅街が広がる典型的近郊路線の駅である相鉄線相模大塚駅、その長閑な昼下がりを打破する様に、重々しい釣り掛け駆動音と共に現れる「戦後」を象徴するような米タン列車、何とも場違いな雰囲気だったのが印象に残っています。

1996年10月15日 相模大塚駅 8491~902レ
機1 相模ED13
機2 相模ED14
1.タキ3188 銘板欠 米軍輸送隊 安善
2.タキ3155 27三原 米軍輸送隊 安善
3.タキ3166 27三原 米軍輸送隊 安善
4.タキ23351 銘板欠 NRS 神栖
5.タキ3162 27三原 米軍輸送隊 安善
6.タキ23057 35東急 NRS 安善
7.タキ13434 35汽車支 NRS 越中島貨物


コードナンバー4673(その3)

2009-03-14 22:58:33 | 民鉄・3セク

 さて、安比奈線探訪も終点が見えて参りました。道路橋で寸断された先もレールは残っています。こんなレールの上を今は近江鉄道にいるED14が走ったんですね…

最後の列車が来てから40年以上の歳月が流れ、駅構内は泥濘と藪に埋もれ、もう大自然に還りつつあります。傾いた架線柱と、所々覗くレールが辛うじて「まだ生きている」鉄路であることを主張しているようです。

40年前で時の流れが止まったような空間に暫し佇み、輸入電機がトムやトフの群れを入れ替えし、彼方で鉄連崩れの蒸機が煙を上げる光景に思いを馳せます…良い天気ですね…

これより先は線路があった痕跡は確認できません。安比奈線探訪の旅もここで終点です。