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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

播磨の国から(3)別府鉄道

2008-09-09 00:07:12 | 民鉄・3セク

 最近こちらの更新をさぼり気味で申し訳ありません。また貨車とは話題が離れますが、一応「貨物列車」に関わるネタなので。播磨シリーズの最後は、播磨町郷土資料館の別府鉄道DC302とハフ5です。機関車のプレート類がレプリカになっていたりしますが、厳重な管理のお陰か、総じて素晴らしい保存状態です。

土山線の緩急車、もとい一応客車のハフ5も現役時代を彷彿とさせる良い保存状態です。

資料館の受付で鍵を借りて、車内に入ってみます。仄かに漂う油の匂い、この空間だけ時の流れが昭和59年1月31日で封印されてしまったかの如き。ビニール張りのシートに腰を掛け、しばし現役時代の訪問が叶わなかった「夢の鉄道」への思いを馳せ…

車端部のノスタルジックなブレーキハンドル、そう言えばこんなハンドルが付いた電車も見る機会はほとんど無くなりました。消火器も時代を感じさせる「四塩化炭素消火器」、まさか中身もそのままじゃないよね?経年で分解するとヤバイですぜ…


播磨の国から(2)北沢産業DB-2

2008-08-30 21:11:09 | 民鉄・3セク

 続いては、北沢産業2輌目の保存車、DB-2です。同鉄道の網干駅ヤード跡地に出来た、北沢産業直営駅前駐車場の片隅に保存されています。周囲はフェンスに囲まれていて、写真は撮りにくいですが、こちらも状態良好です。

 個性的なデザインの帝車製DB-1に対し、形態的にはニチユの規格型10t半キャブで、旧国鉄の貨車移動機と同等のものですが、ロッド式のは流石に動くものはほとんど無くなりましたね。何故か日通みたいなオレンジ色になっていますが、本来はDB-1の様に黄色でした。鉄道休止中も網干駅構内にポツンと置いてあったので、憶えている方も多いかと思います。

 駐車場事務所の表札は「網干鉄道事務所」…今は鉄道跡地を管理しているセクションらしいです。網干駅構内の線路は撤去済みですが、構内の外れの、JR網干電車区の脇あたりからは線路が残っています。但し、この日は余りの酷暑に訪問は断念…機会を改めて訪問したいところです。

(撮影:2008年8月13日 山陽本線 網干駅前にて)


播磨の国から(1)北沢産業DB-1

2008-08-28 21:55:27 | 民鉄・3セク

 北沢産業…この社名を初めて知ったのは小学生の頃、鉄道No.1大百科?だったかな? 最も保有車輌数の少ない私鉄(勿論、神戸高速鉄道は例外扱い)として紹介されていたのを読んだ時でしたっけ。DLをたった2輌しか持っていない貨物専業私鉄、どんな鉄道なんだろう?と好奇心を抱いても、余りにも地味な存在だっただけに、詳細が紹介された印刷物は非常に少なく、特に現役で走る同鉄道の列車の記録はほとんど見当たりません。1回だけ鉄ピクの記事で見た記憶がある位です。この様に極めてマイナーな私鉄であるにも拘らず、廃線時の在籍車輌が2輌共、しかも非常に良い状態で保存されているのは喜ばしい限りです。

高砂市某所で保存されているDB-1。国鉄の10t貨車移動機相当のスペックですが、デザインは帝車オリジナル。これと反対サイドのナンバープレート、社章が無い以外は欠品も無く、状態は良好。

反対側のボンネットにはラジエーターグリルが無いので、表情がまた違います。

帝国車輌の銘板。恐らく国内現存唯一の帝車製DLだと思われます。

解放テコの両脇に角の様に生えたレバーがユニークで、デッキの上からも解放操作が行えて機能的。

足回りはジャック軸駆動のロッド式。最近はなかなか見られなくなりました。

 因みにこの鉄道の前身は東芝姫路工場の専用鉄道で、同工場では終戦直後の一時期、鉄道車輌も製作していました。有名なところでは三井三池のコハ100形電車型客車があります。余談ですがこのコハ100、1輌だけ今年の1月まで三池港に残っていたそうです(しかも足付き!)…残念ながら今は姿を消しましたが、見たかったな…

(撮影:2008年8月13日 高砂市某所)


失われた鉄路への憧れ(その2)

2008-08-09 10:15:27 | 民鉄・3セク

 今度は日新興業のタキ75765、ただ1輌の「八森駅」常備車です。勿論JR五能線の駅で、路線も駅自体も現存しますが、今となっては、こんな駅に私有貨車が常備されていたこと自体ピンとこないでしょうね。常備場所の専用線自体、この写真を撮った15年前に廃止されており、現車標記と書類上残るだけの、実態の無い「置籍常備駅」となっていました。私有貨車の一覧表で、1輌だけ八森駅常備のタキ5750が存在することを発見し驚いた記憶があります。

 かつて八森には大日本鉱業の発盛鉱山があり、閉山後も長らく製錬所が稼動していたので、硫酸タンク車の出入りがありました。坑内用ナローTLを改軌した、電気機関車と呼ぶより電動屋台と呼ぶに相応しい様な奇怪なスタイルのロコが入換をしていたことで有名ですね。私も学童向け百科モノで(!)パワムに押されて?走るこいつの写真を見たときにはたまげました。とあるサイトによると、専用線の架線が低いため、ワラ1とか少しでも全高が高い貨車が入線すると、屋根が架線に接触してスパークを散らす(!!!)、とても先進国にあるまじき情景が展開されていたそうです。

 このゲテモノロコ、地元でも良く知られた存在で、専用線廃止後も近くの神社の境内で保存される予定だったそうです。それが直後に発生した日本海中部地震でこの地域は大きな被害を被り、保存話も水の泡となったのは余りに残念です…

 話題を戻しますが、タキ75765の現車は実際には長らく宮下の小名浜製錬に臨時常備され、晩年に小坂へ移り最期を迎えました。当時の小坂鉄道は、長らく同地で活躍してきた同和鉱業所有の汽車製タキ5750型の老朽化が著しく、それの代替に全国各地から少しでも状態の良い多数の5750型を集め運用していたので、苫小牧ケミカルや住商化学品など珍しい所有者のものも見られました。

 そういえばこれを撮影した小坂鉄道自体、硫酸輸送は3月で終了して休止状態です。小坂町、親会社DOWAホールディング共に今後活用したい意向はある様ですが、このまま「失われた鉄路」になっていくのでしょうか…広い構内を活かし、鉄道保存施設でも誘致できれば、とも思いますが、冬季は豪雪地帯なので丈夫な屋根必須な問題もありますね。

(撮影 1998年7月 小坂鉄道 小坂駅にて)


イリュージョン

2008-06-15 23:22:53 | 民鉄・3セク

 ちょっと本題から外れますが、一応これも「貨物列車」なので。

 B型電機や、2軸電動貨車の類、私の世代だと、車籍が残ってはいても滅多に動かないものと相場は決まっていました。現に本当の「現役」で動く姿を見ることが出来たのは三井三池のシーメンスコピーしかありません。銚子のデキ3も、豊鉄デワ11も、静鉄デワ1も、地元小田急のデキ1051ですらも、構内走行ですら一度も動く姿に遭遇したことがありませんでした。「本線走行」なんて夢のそのまた夢、でありました。銚子デキ3がたった1輌のハフを牽く客車列車、五城目軌道の元東急デワが牽くキハ改客車、京福テキ9が牽く味タム、北鉄の電車改造ED…全て古い写真を見て羨ましがることしか出来ませんでした。

 しかし、熱心なファンたちが鉄道事業者や関係当局を動かし、そんなファンの「夢」が現実として叶えられる日がやってきたのでありました。福井口工場の主として長年鎮座していた京福テキ6が、古典無蓋車ト68を従えて「ポー」と少し間抜けなホイッスルと共に現れ、目の前の本線上をトコトコと軽快に走り去っていく姿は、まさにイリュージョン、感動的、その夢のシーンを必死に追ってシャッターを切りました。

 その後も数回イベント走行しましたが、夢は夢でしかなかったということか長く続くことはありませんでした。2回に及ぶ衝突事故と京福電鉄福井鉄道部の解体、えちぜん鉄道への路線継承の一連の流れの中、福井口の主という元の鞘に収まり、一度は復活した車籍も抹消されて、国交省の方針として保安基準の強化もあり、もう本線走行は絶望的な状況にあるのは残念です。

 こんな素敵なイベントを企画した中心メンバーの中の一人、岸由一郎氏が昨日の東北を襲った地震による土石流に巻き込まれて亡くなられたとのことで、謹んでご冥福をお祈りします。鉄道保存のあり方について、彼の投げ掛けたものは非常に大きいと思います…

(撮影:1998年9月 京福電気鉄道三国芦原線 西長田駅付近)