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taketake山旅日記

自閉的傾向を持つ重度知的障害者の長男と私の山歩きの記録

19年振りに雲取山を歩く(奥秩父) 6月1日2日

2025年06月04日 | 奥秩父・大菩薩
【通算1031回】
 久しぶりの東京都最高峰雲取山だ。しかも19年振りだ。前にtakeと登ったのは、takeが新設された特別支援学校高等部に入学したばかりの5月連休だった。三条の湯の個室に泊まり(雲取山荘は平日だけ個室扱いだった)三条ダルミから登って、鴨沢西に下っている。それ以降、何故か遠ざかってしまった。同じ石尾根にある鷹ノ巣山には通算10回、六つ石山には17回登っているのにである。私が雲取山に登ったのは17歳の12月単独が最初で、そのあと2回ほど登っているから今回が5回目だ。
 長いコースタイムを少しでも縮めるため奥多摩駅からタクシーで鴨沢西バス停の上にある村営駐車場まで行った。ここから七ツ石山に続く長く緩やかな尾根を歩くのだが、前日の雨で道が泥沼化している場所があり難儀した。takeはいつも慎重に歩くが、靴の汚れはあまり気にしないのでスパッツは泥まみれになってしまった。
 堂所と呼ばれる尾根上の平坦地で、昼食のお弁当を食べた。この日は日曜日だったので登る人は日帰り往復が多い。私達より1時間ほど後のバスに乗った人にどんどん追い抜かれていった。
 天気は晴れ時々曇りで過ごしやすかった。七ツ石山の巻き道あたりからヤシオツツジが咲いていた。七ツ石山を巻き終えたところがブナ平だ。takeは昼食の次の休憩時に飲むと決めているスポーツ飲料を飲んだ。takeは元気だが私は足をつりそうになったので、芍薬甘草湯を飲もうと探したが入っていなくがっかりした。
 石尾根の稜線は満開のツツジの花が続き気持ちよく歩けた。林の中の巻き道から開けた稜線歩きになり展望もよくなった。奥多摩小屋跡地あたりに今年オープンしたキャンプ場の脇を通って小雲取山への急登を登った。


 小雲取山から雲取山頂を越えて宿泊地の雲取山荘に行く予定だったが、明日も登ることだしと思い、日原川側の巻き道を進んだ。takeはいつものように「やまごや」を連呼するがなかなか到着しない。赤い屋根の雲取山荘が見えて「あったねー」と私がtakeに言った。小屋の少し手前に田部重治氏のレリーフがある。若いころに読んだ著書では明治時代の三頭山の紀行が印象的だった。
 小屋の受付は愛想がなく、takeの特性を話して食事場所について配慮して欲しいとお願いしたが、全く無視された。(昨年改正された民間事業者の合理的配慮の義務化は山奥には伝わっていないらしい)
     しかし小屋の設備は立派で、指定された部屋は広く、窓からは両神山がよく見えた。部屋の真ん中に置かれた豆炭の炬燵は暖かく、takeはすっかり気に入ったようだった。18時からの夕食を食べ終えるとtakeは18時半に電気を消すように言って布団に入った。
    朝4時半頃から窓が明るくなってきた。私も外に出て雲の上からの日の出を拝んだ。5時半から朝食だが、早立ちした人も多いようで昨夕より食堂の人数は減っていた。
 朝食を終え、あらかじめパッキングしておいたザックを手にして玄関前広場で靴を履いた。10時間睡眠したtakeは元気いっぱいだった。小屋の前に咲いているシャクナゲに見送られて雲取山頂に向かって出発した。

 深い森のなかの道を登るとだんだん視界が広がってきて、和名倉山の大きな山容も見えてきた。

 そして19年振りの雲取山頂に着いた。富士山も頂上付近が望まれた。下の写真は19年前若き日のtakeだ。山頂付近はそれほど変わっていなかったが、避難小屋が立派になっていた。
 小雲取山からは昨日登った道の下りだ。奥多摩小屋跡地にあるキャンプ場管理室には新しいトイレが設置されていた。


 昨日と同じコースだが空が青いと新緑も輝いて見える。
ツツジのアーケードを通ってブナ平に着いた。今日はここで休憩せず、そのまま七ツ石山への急な登りに挑んだ。
 七ツ石山の頂上で、雲取山を出発してから最初の休憩をした。麦茶を飲んでお菓子を食べたらtakeはすぐ出発だ。
 七ツ石山から少し下ったところに七ツ石小屋がある。私は40年以上前に宿泊した記憶があるが、当時とほとんど同じ雰囲気をとどめていた。
 少し早い時間だったが、この先ベンチもないので昼食をとることにした。いつも通り、アンパンとカレーパンとカップスープのメニューだ。
 七ツ石小屋から昨日通った巻き道に合流するとひたすら下った。傾斜が緩やかなのでどんどんピッチが上がった。
 前日も通った尾根上にある「マムシ岩」は、ちょうど鴨沢から雲取山への中間地点らしい。昨日はまだ半分かと思ったが、今日はもう半分来たかという感じだ。
 昨日の昼食場所の堂所から先は泥道になり休む場所もないので最後の休憩にした。takeは村営駐車場へと早いピッチで泥道を下って行った。昨日の出発点の丹波山村営駐車場を通り過ぎ更に降りると鴨沢集落に入り、急なコンクリート道を下った。気温は上がってきたが、奥多摩湖を渡って吹く風が心地よかった。
コースタイム
6/1 村営駐車場0828-堂所1033~56-七ツ石山分岐1154-ブナ坂1243~48-五十人平1326-小雲取山1405-雲取山荘1450
6/2 雲取山荘0557-雲取山0633~37-小雲取山0655-五十人平0718-ブナ坂0748-七ツ石山0808~13-七ツ石小屋0830~48-堂所0934~38-村営駐車場1046-鴨沢西バス停1105
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五月晴れの大菩薩峠を今年も越える(大菩薩) 5月3日4日

2025年05月05日 | 奥秩父・大菩薩
【通算1030回】
 takeが初めて大菩薩嶺に登ったのは今から24年前の10歳の秋だった。2010年位から毎年この季節に歩くようになった。定宿も上日川峠のロッジ長兵衛さんになり、2日目のコースも大菩薩峠から丹波山村に下るのが定番となっている。丹波山村が終着地点になった理由は奥多摩行バスの始発で、連休等のハイシーズンでも間違いなくバスに座れることだ。takeは山行帰り、座れない交通機関には乗車しない拘りがある。
 初日の予定は、大菩薩嶺をパスして裂石から上日川峠までの短いコースだ。11時ぐらいに塩山駅に着けばよいのだが、家から必ず座席の両端に座ろうと早い時間に高尾駅始発の甲府行に乗り塩山駅には8時15分に到着した。バス乗り場には列ができていて最後尾に並んだが着席はできないので1時間後のバスに乗って大菩薩登山口(裂石)に着いた。
 好天に恵まれ、暑くもなく良い日和だ。車道歩きで高度を上げると白根三山の白銀の頂が見えてきた。
 千石茶屋さん前のベンチを使用させてもらい昼食のお弁当を食べた。川のせせらぎを聞きながら、食後のインスタントコーヒーを飲んだら出発だ。
風薫る五月晴れの中、takeはゆっくりだが軽快に山道を歩いた。上日川峠は車やバスで人が多いが、この昔からの峠道は静かだ。
道にピンクの花びらが散りばめられているところで空を見上げれば山桜が満開だ。白根三山の借景がなんともよかった。
山道を登り始めて一時間ほどのところにあるベンチはtake指定の休憩場所だ。昔、第二見晴台と呼ばれていた場所だと思う。
ベンチからブナ林の緩な道を歩き今日の宿、ロッジ長兵衛さんに到着した。まだ13時半でロッジは昼食や売店利用者で混雑していた。
(5月4日)
 昨夜は19時頃就寝した。2時頃屋根を叩くような雨音で目を覚ました。takeも窓のカーテンを明けて暗闇の中をじっと見ていた。4時頃に雨音は止んだ。私は5時頃起きて主発準備を始め、5時40分にはtakeを起こして6時からの朝食に備えた。
 昨夜の雨で道は濡れていたが峠までは軽トラが走れる道なので問題ない。ロッジを出発して福ちゃん荘までは舗装路を歩いた。峠はまだ静かな感じで、天気は回復してたが大菩薩峠からの南アルプスは雲がかかっていた。takeは峠から急に大菩薩嶺に進路変更されるのが嫌なので、お菓子を食べたら「行く」と言って丹波山へと下って行った。
 峠付近ではまだ冬枯れの風景で枯葉の吹き溜まりでは落ち葉ラッセルをしながら歩いた。 
  峠を下って最初の休憩場所が「フルコンバ」だ。名前の由来は「古木場」等色々あるらしい。このあたりから山が新緑に覆われてきた。takeは麦茶を飲んで菓子を食べると再びザックを背負って歩き始めた。
 
 次の休憩場所は「ノーメダワ」で、ここが昼食場所になっている。宿泊山行の二日目はパンと決まっているので(三日目は山小屋のお弁当)takeの「パン」コールが続いた。下写真の平坦地が「ノーメダワ」。
 「ノーメダワ」からは尾根の南側を巻いていく。倒木や沢筋のガレで苦労する時もあるが、今回はスムーズに歩くことができた。この峠道は水源林監視路なのでハイカーが歩かない割に道は整備されている。
 ヤシオツツジの薄いピンクが心を和ませる。 
 長い巻き道から稜線上に戻ったところが「追分」でtakeはここでスポドリタイムとなる。雲取山から続く石尾根の七ツ石山、鷹ノ巣山の眺めがよい。来月はtakeが15歳時に登って以来になる雲取山を計画している。 


 追分からは沢筋に下り、橋が流されたところを渡渉しながら進んだ。新緑がまぶしさを増してくる。

 沢から中腹の巻き道を延々と歩くと最後の休憩地の「藤ダワ」だ。名前の通り藤の花がここかしこに咲いていた。ここから丹波山村へは延長された林道を歩いた。

 そして丹波山に到着、丹波山に着いたらアイスと言うのがtakeの決まりだ。永らく「釣りセンター」というところにある売店で買っていたが、アイスを置かない時期もあり困っていた。2021年に丹波山村にもう一度灯りをともしたい、という思いで名づけられた灯里(あかり)食堂が開業し、昨年から利用するようになった。元は築80年の民家だったものを改装したようで、スタッフは若い方々がやっている。「昨年も今頃来られましたよね」と言われ嬉しかった。 
 丹波山バス停は2023年に完成した丹波山村新庁舎の前にある。人口500人の村役場としてはとても立派な建物だ。村は若い人の移住に力を入れているようだ。その為にモダンな建築になったのだろうか。takeはバス停の先頭で40分ほど待ってバスに乗った。5月の強い紫外線でtakeの耳はすっかり日焼けしてしまった。

コースタイム
5月3日
裂石1007-丸川峠分岐1037-千石茶屋1057~1123-ベンチ1232~40-上日川峠(ロッジ長兵衛)1328
5月4日
上日川峠0618-大菩薩峠0725~30-フルコンバ0725~30-ノーメダワ0848~0908-追分0956~1000-藤ダワ1056~1100-丹波山集落(灯里)1145~55-役場前バス停1200


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生藤山から和田峠を歩く(中央線沿線)2月9日

2025年02月10日 | 奥秩父・大菩薩
【通算1027回】
 生藤山にtakeが最初に登ったのはtake15歳の春で桜が見頃だった。その一か月後、OB会の大先輩方4名とコースを変えてまた歩いている。なにしろ18年前のことで、同行させていただたいた先輩のうち2人は物故されている。

 そんな思い出のある生藤山に、今回は上野原駅からバスで井戸に行き、軍刀利(グンダリ)神社から三国山に登り、生藤山を越えて和田峠、陣馬高原駅まで歩く計画だ。メンバーはいつもの吉村さんと吉村さんの奥様友人Oさんの四名だ。

 上野原駅は以前、北口の狭いスペースがバス発着場所で、富士急バス職員が行先別にハイカーを並ばせていた。その中に山好きな方がおられ自ら作成された山毎の概念図(注意ポイント明記)を求めに応じて配布されていた。混雑するシーズンでも何かしら人情を感じたものである。7年前に南口にバスターミナルができた後もおられたが、今回はお見かけしなかった。(閑散期だったからかもしれない)

 広いバスターミナルの日のあたる場所をtakeは嬉しそうに往き来していた。後の電車が到着しメンバー全員が合流し、バスに乗車した。

 バス終点、井戸バス停を少し歩くと富士山が見えてしばし佇んだ。軍刀利神社への急な参道をゆっくり歩くうちに、バス乗客の最後尾になった。神社から先に進むとカツラの大木のある奥の院だ。

奥の院から先は傾斜もややなだらかになる。杉林の中のジグザク道をゆっくりと進んだ。途中「道に迷った」と言って女性三人グループが下ってきた。二人がスマホで電子地図を一生懸命見ていた。山を見ないでスマホを見る登山は危険だ。この道で間違いありませんよと話して先に進んだ。

佐野川峠から続く尾根道と合流すると三国山は目の前だ。山頂のベンチにシートを敷いてtakeと二人で座り、お弁当箱を並べた。


お弁当箱をザックに仕舞って生藤山に向かった。三国山を下ってすぐ急な登りになる。途中手を使う岩場が一箇所あり、Oさんはこんな険しい所とは思わなかったとの感想だった。
その後、本日の最高地点の茅丸(1019m)と続く連行峰を越え醍醐丸を巻いて和田峠に着いた。ここから陣馬高原下までは車道だが山斜面の補強工事を行っていて車は通行止だった。
通算1000回で陣馬山から高尾山を歩いた時から約三年ぶりになる陣馬高原下に着いたtakeは締めのお茶を飲み登ってきたバスに乗り込み帰途についた。
帰宅後、2月3日に34歳の誕生日を迎えたtakeの誕生日会をいつもセットで行っている節分の豆まきと一緒に行った。
コースタイム
井戸バス停0910-軍刀利神社0935~40-三国山1100~1125-生藤山1135~40-和田峠1420-陣馬高原下1500

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年末山行で乙女峠から丸山を歩く(箱根)12月29日

2024年12月31日 | 奥秩父・大菩薩
【通算1025回】
 takeとの年末山行はtakeと山歩きを始めたころから行っている。最初は7歳の12月で天城峠から八丁池を歩き、湯ヶ島温泉に泊まっている。それから2019年12月までほぼ毎年のように行っている。15歳の時は三つ峠の山小屋で寒さに震えながら夜を過ごした。16歳の時は暖かいところをと思って大島の三原山に登った。翌日は強風で東京港行は欠航になったが熱海港行に乗ることができ島止を免れた。2011年頃からは次男を除く家族三人で行くようになった。2020年から22年まではコロナ禍で行けず、昨年は勝沼周辺を予定していたが、私が風邪にかかり中止となった。

 そして2024年もあと三日となった29日、小田原からバスで仙石まで行き、多くのハイカーが金時山へと向かう中、乙女峠へと歩き始めた。宿ありきのコース設定で、乙女峠から外輪山の丸山を経て長尾峠から湖尻水門に行くルートだ。
 takeが乙女峠に行くのは今回が二回目。一回目はtake8歳の冬に御殿場側から歩いている。通行量の多い国道沿いの道を行き、車道がトンネルに入るあたりから静かな山歩きになった。
 乙女峠に到着。見晴らしの良いテーブルにお弁当を並べた。峠は風もなく暖かな陽だまりで、のんびりとランチタイムを過ごした。
 御殿場側からの富士山は太平洋側に低気圧が通過しないせいか殆ど雪が着いていなかった。昔々、11月下旬に御殿場口で冬富士訓練合宿をしていたのがうそのような感じだ。
 昼食後は電波塔のある丸山を目指して歩いた。切り開かれた稜線の道で、両側はスズタケに覆われているが、時折展望が開ける道だった。途中、黄色の花が咲いている木があった。

 そして丸山の頂上で休憩。takeはスポドリを飲むとすぐ出発した。

 長尾峠から仙石原のゴルフ場に向かって下った。ゴルフ場のフェンス付近かで芦ノ湖に向かう道に合流したところに「耕牧舎跡」があり、明治時代初期に渋沢栄一が牧場 の経営に着手したとの碑があった。

 芦ノ湖の湖尻水門を目指して遊歩道を登って行った。途中ゴルフ場から離れ、沢沿いを歩いた。芦ノ湖の湖尻水門橋というところが遊歩道の終点だった。宿泊確認の電話があったとき、「バスから降りて電話いただければ迎えに行きます」と言われたので電話したら「桃源台バス停に迎えに行くとお話ししたと思いますが…」と言った後、少し間があり「今すぐ向かいますのでお待ちください」との返事があった。

 takeはホテルのお迎えの車が来ると知って、嬉しそうに車が来るのを待っていた。

コースタイム
仙石0955-乙女峠1125~1200-丸山1240~50-長尾峠1320-仙石原1355-湖尻水門1435

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5年振りに丸川峠から大菩薩嶺に登る(大菩薩)5月5日6日

2024年05月08日 | 奥秩父・大菩薩
【通算1016回】
5月5日 こどもの日
 takeが大菩薩嶺に初めて登ったのは10歳の時で、一日目に福ちゃん荘に泊まり翌日、大菩薩峠から大菩薩嶺を経て丸川峠へと下っている。14歳の時が2回目でその時から今に至るまで宿泊は上日川峠のロッジ長兵衛となった。コースも基本的に最終日に大菩薩峠を越えて丹波山村に行くことが多い。上日川峠はバスで行くのが普通だが、バスでの上日川峠入りはまだしたことがない。
そしてこの連休に通算22回目のロッジ長兵衛泊で、大菩薩嶺を歩くことになった。
 天気は快晴、塩山駅からタクシーで丸川峠入口のゲートまで行き、新緑の山を歩き始めた。気温は高めだが乾いた風が吹き絶好のハイク日和だった。
 じりじりと高度を稼いでいくとトウゴクミツバツツジに出会った。あまり展望もない尾根歩きでは季節の花が心を休めてくれる。takeは黙々と歩いているが、いつものようにお弁当コールが多くなってきた。
 出発から2時間25分で草原上の丸川峠に着き、ベンチにお弁当を広げた。大菩薩嶺付近にヘリが飛んでいて丸川小屋の方が見上げていた。話では遭難者をヘリコプターでピックアップしたとのことだった。上日川峠-大菩薩峠-大菩薩嶺間は観光客風のハイカーが多く、なんでもないところでも遭難になるのかなと思った。
 お弁当を食べ終わりスープとインスタントコーヒーを飲んだtakeは靴を履きなおし「いこか」と言って大菩薩嶺へと歩き始めた。標高差はないが長い道が頂上まで続いている。苔むした斜面にスミレのような白い小さな花が群生している。一度名前を聞いたが忘れてしまった。
 丸川峠から約1時間半で大菩薩嶺に到着した。ここから途端に人が多くなる。takeは岩の上に腰を下ろし、スポドリを一気に飲んだ。頂上写真撮影も順番待ちだ。自撮り棒で記念写真を撮る人も多い。少し南側の雷岩は展望もよく大勢の人が思い思いに休憩していた。

 ここから唐松尾根を下った。最初は岩がゴロゴロした道だが、だんだん森の小路になってくる。福ちゃん山荘を過ぎ、takeの「山小屋」コールに応じているうちにロッジ長兵衛に到着した。takeはすぐ水場へ行き、おいしそうに喉をうるおしていた。私は後のピールに備えて我慢だ。
5月6日     振替休日
 昨夜のtakeは、夕食後の18時半頃就寝し、何度か目を覚ましたが、5時まで布団にいた。6時からの朝食を食べて6時半前に出発した。ロッジ長兵衛は私が最初に来た頃は「若旦那」と呼ばれていた三代目から子の四代目が仕切るよう替わったようだった。

 天気は高曇りで展望はあるが、強い風が吹いていた。大菩薩峠での休憩は介山荘の小屋陰でとった。峠を越えた頃から風も強まってきたのでレインウェアを着用した。
 ここから先は歩く人も少ない(下山まで誰にも会わなかった)ので、持参の熊鈴を時々手で鳴らしながら歩いた。フルコンバのベンチで一本とりノーメダワのベンチでパンと春雨スープの昼食を食べた。

 ノーメノダワから追分までは尾根上の今倉山(1541m)南面を大きく巻くが、いつも倒木や沢筋の崩壊で難儀するところだ。今回は風向きのせいか所々に落ち葉だまりがあって斜面の道が不明瞭になっていた。私が先頭に代わり、takeの手をとって落ち葉ラッセルをして進んだ。
 追分のベンチは最後の奥秩父展望ポイントだ。takeがスポーツドリンクを飲む間、雲取山から続く石尾根の山並みを眺めていた。
 追分から北面の沢筋に入いると新緑がより一層きれいになった。青空でないのが少し残念だ。何度か渡渉から山腹を巻いて最後の休憩地の藤ダワに着いた。takeはここで麦茶を飲み干すことにしている。
 藤ダワを出たのが11時5分、丹波山の始発は12時12分だから時間的には十分間に合うのだが、takeは丹波山に着いたらアイスを食べるという強いこだわりがある。昨年8月はいつも買っていた売店が取り扱わなくなり、たまたま近くの蕎麦屋に「かき氷」があったのでなんとかなった。今回無かったら道の駅まで歩いてアイスを食べて、次の14時34分発のバスに乗ろうと思っていたらバス停近くの食堂にソフトクリームの看板あるのをtakeが見つけた。出来上がるのに時間はかかったが、12時12分発のバスに余裕をもって乗り込むことができた。

コースタイム
5月5日 丸川峠入口0835-丸川峠1100~1125-大菩薩嶺1310-20-上日川峠1440
5月6日 上日川峠0625-大菩薩峠0730-フルコンバ0805-ノーメダワ0955~1015-追分1007-藤ダワ1105-丹波山バス停1205
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