taketake山旅三百回目山行はtake十五歳夏でした。その時のブログには「五百回目の時はtakeも二十歳を超えているだろう」と書きましたが、今回二十歳を三ヶ月前にして到達しました。これを機会にこれまでのtaketake山旅の思い出を述べたいと思います。
takeと山歩きを始めたのはtake小学一年の二月でした。それまでの週末は自動車にtakeを乗せて、公園や遊園地に行くパターンで行動範囲も限られていました。そんなある日のことですが、横浜の「こどもの国」に行く予定の前日に外で飲み過ぎてしまい、朝も酒気帯び状態でした。車の運転ができないので、初めて行き帰りを電車に乗って「こどもの国」に行ったのです。それでtakeも電車で移動できることがわかりました。次のチャレンジとして行ったのがtaketake山旅第一回目の高尾山でした。第二回目は鎌倉の天園ハイキングコースと山旅は続いていきました。
それから宿泊を伴う山旅も初期の頃から始めています。第一回目の夏山は、小二年の野辺山飯盛山でした。その前に父子だけの宿泊練習ということで筑波山に行って父母宅に泊まっています。その後の主な夏山は小三年と小四年に唐松岳(いずれも敗退)小五年は尾瀬に行っています。私が椎間板ヘルニアを患ったことで中断もありましたが、中一年で天女山、中二年で再び飯盛山、中三年に燕岳、高一年に富士山、高二年に北岳、高三年に白馬岳、前年は御嶽山でした。
多くのtaketake山旅は日帰りなので行く山域も限られています。奥多摩山域が一番多く、五百回の内116回になります。以下、高尾山域88回、丹沢山域63回と続いています。ピークとしては高尾山が最多です。
それからこのブログですがtake中三年秋から始めました。第一回目は通算272回の時で日の出山の記録です。最初は継続するかどうか自分でも半信半疑でしたがなんとかここまで、欠かさず229回の山行記録を残すことができました。皆様のコメントに励まされたことも長続きした理由だと思います。文章は片道一時間の通勤時間に携帯電話で作成し、投稿後、自宅のパソコンで編集しています。ですから毎週月曜日の朝は電車の中でのメール打ちから始まります。
最後になりますが、このペースで山行を続ければtaketake山旅千回目は十二年後ぐらいになるだろうと思います。ちょうど私の職業引退年齢ぐらいかも知れません。職業引退後の遠征山行を考え、飛行機に乗るとか、簡単な岩場を歩けるようにする等のレベルアップもこれからは図りたいなと思っています。今後ともtaketake山旅日記をよろしくお願いします。
12月28日に熱を出したtakeは1月4日も40℃近い熱に苦しめられている。takeは当初12月29日から30日はtakeと二人で伊豆の天城に一泊二日で行き、31日は家で休養、1月1日から3日までは千葉の実家、4日は御岳山か高尾山に初詣に行く予定だった。ところが28日というもの、病院にいく以外は寝床を離れられない状態なのだ。いつも丈夫だけなのが取柄で、中学部3年次は一日も学校を休んだことのない。29日と3日に緊急医療機関に行くが、インフルエンザではないがオタフク風かもしれないし、そうでないかもしれないというようなはっきりしない診断であった。31日と1日は起き上がって家の中で過ごしていたが、それ以外はずっと布団の中にいた。りんごジュース・ヤクルト・ゼリーしか食べられない日々か4日続くとさすがにげっそりとしていた。5日にかかりつけの医院で受診した頃から熱は下がり始め7日には普段の食欲も出てきた。ただ体は弱っているのでtakeとの山歩きもしばらくは中断である。
週末から日本海側か゛大雪となっていたが、寒気は関東にも影響を及ぼし朝の天気予報では最高気温は5℃と言っている。外を見ると空は晴れているものの風は強くいかにも寒そうである。takeも前夜から鼻水を出している状態なので今日は家で停滞と決める。「今日はお山お休み、家でごろごろと」takeに伝えると布団の中で二度寝の体制に入った。遅い朝食後もまた布団に入り2度目の朝寝をしている。結局起きたのは昼食前となってしまった。その間私は、年賀状を書き始め、大体半分は書き終えることができた。