taketake山旅日記

自閉的傾向を持つ重度知的障害者の長男と私の山歩きの記録

文久年間の石標を数えながら鐘ヶ嶽(東丹沢)10月29日

2006年10月31日 | 道志

 Pa290012

 家を八時過ぎに出発、小田急線本厚木駅からバスに乗って広沢寺温泉入口に着いたのは10時半だった。車道から住宅地を抜けるとやがて鳥居が現れ、石段の登りとなった。この山の頂上にはこの地域の村社である「七沢浅間神社」があり、その参道が登山道となっている。最初の鳥居が一丁目で神社下の二十八丁目まで、一丁目ごとに石標がある。石標に刻まれている年号を見ると江戸時代の文久4年となっていた。明治維新動乱初期に当時の村人が一つ一つ参道に石標を立てていたのだと思うと感慨も深くなる。二十六丁目からの急な石段を登ると神社だった。頂上は神社のすぐ上で、明治十五年と記された石仏が風化されながらひっそりとたたずんでいる。Pa290009_1

 頂上で昼食の後、南西へ延びる尾根を下った。この辺りの鹿の食害は深刻なもので、下層の草は食い尽くされれ地表がむき出しになっているところが多い、直接は出会わなかったが、いたるところに新しい糞があった。尾根から山腹の急な斜面を下るとそこは林道のトンネル入り口だ。takeが小学校三年のときはトンネルをくぐって、不動沢尻から谷太郎沢を下ったことがある。今回はこのまま広沢寺に戻ろうとしたのだがtakeは「お山行く」と行ってトンネルを突き進んでいった。しょうがないなと思いながら、トンネルを出たところで、takeに「バスはこっちだよ」と言うと、六年前に歩いたコースは林道歩きが長かった事を思い出したのか、こんどは「バス乗る」と言って通過したトンネルにまた戻っていった。ここから40分ほどでバス停に着いた。朝のうちは雨が降っていたがこの頃には雲も切れ、バス停に座り込むtakeに柔らかな秋の日差しがそそいでいた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早起きして奥多摩湖から御前山に(奥多摩)10月22日

2006年10月25日 | 奥多摩

 10月も半ばを過ぎ、日も短くなってきた。夕方5時ぐらいになると暗くなるので山中の行動も早めに切り上げならなく、例年11月~1月はコースタイムの短いルートを歩いている。出発時間も早めれば行動にも余裕が出るだろうと思ってはいるのだがtakeの起床を早めるのはなかなか難しい。この日のtakeは前日23時前に就寝したとのことで、朝5時に起こしにかかった。「電気消す‥」と言った後、外を様子を眺めに行き「お外、夜、真っ暗」とつぶやいてまた布団を被ってしまった。なだめすかして朝食の食卓の席に座らせたが、窓の外を眺めたまま食べようとしない。5時40分ぐらいになり、空が白々としてきたのを見届けてから初めて食事を始めた。8月富士山に行った時は、嫌がりながらも朝の3時半から朝飯を食べたのであるいはとも思ったが、所詮山小屋は非日常世界であり、日常世界の習慣は頑なに守ろうとしているのだ。Pa220014

 それでもこの日はいつもよりずいぶん早い6時15分に家を出発し、奥多摩の御前山に向かった。奥多摩駅着が8時48分で9時35分には奥多摩湖畔に着いた。空模様は曇りで時折雲が切れて日が差すような天気だった。ダムサイトを渡って取り付いた大ブナ尾根は急登で始まった。やがて940mのサス沢山のピークに着くと眼下に秋の奥多摩湖の湖面が広がっていた。Pa220018

 途中落ち葉のクッションが気持ちよい平坦地で昼食をとり、頂上に着いたのは12時50分だった。頂上周辺の道は有名なカタクリの保護のためいたるところにロープが張巡らされている。また思い出話になってしまうが、 私が初めて一人だけで山に行ったのがこの御前山だった。大岳山から縦走し小河内峠から奥多摩湖に降りるコースで、今のtakeと同じ高校一年の秋だった。このときの御前山頂上は樹林で周囲の展望はなかったが、北面は伐採され景色はよくなっている。帰路は都民の森から栃寄の集落に下った。道は途中から舗装路になり、駆け下るtakeに追いつくのがやっとの私だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北鎌倉から大仏へ(鎌倉)10月15日

2006年10月16日 | 鎌倉・三浦

 この日は中学生の次男とプロ野球ナイター観戦する約束があり、早め帰宅するため近場の鎌倉に行くことにした。コースは北鎌倉駅から葛原が岡に登り、鎌倉大仏にいたる通称「裏大仏コース」である。takeと私とが山歩きを始めた頃からよく歩いている。Pa150005

 北鎌倉駅に着いたのが9時頃で、まだ時間的に早いせいか人もそれほど多くなかった。いつものように浄智寺山門の前で休憩を取り、葛原が岡への登りにかかる。樹林の中の好ましい雰囲気の道で、野生のリスをよく見かけるが、この日リスは現れなかった。日野俊基を祭っている葛原が岡神社が現れるとそこはもう源氏山公園の一角である。公園の中を通過し、七里ガ浜を遠望しながら人家を通り過ぎると再び尾根道歩きになる。尾根道歩きといってもほとんど上り下りのない山道である。右手に人家が現れるようになると終点の大仏切通しで、ここを左手に下って5分ほどで鎌倉大仏のある高源院である。拝観券を買って中に入ったのが10時30分で、駅からここまでおおよそ一時間半だった。Pa150008

 境内裏手で早めの昼食を取り、記念撮影の後はここから七里ガ浜に向かった。途中、take好物の「紫いもソフトクリーム」一つ買い、二人で食べた。七里ガ浜海浜公園の遊具で遊んだ後は、鎌倉駅に徒歩で直行、自宅についたのは午後の一時半だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の北八ヶ岳はペンション泊まりで(縞枯山・蓼科山)10月8日9日

2006年10月12日 | 八ヶ岳・蓼科

 9月に予定し、台風で日程変更した北八ヶ岳に行く日がやってきた。この週末も台風が接近し天気が危ぶまれたがまずは大丈夫そうであった。(同じように思って北アルプスに行った人も多く、まれにみる大量遭難となった)今回は、北八ヶ岳縞枯山に登ってから麓のピラタスの丘にあるペンション「山ぼうし」に宿泊、翌日は諏訪側から蓼科山に登り佐久側に下山するプランだ。Pa080002

 8時32分八王子発スーパー特急あずさに乗り込み、茅野からバスに乗って麦草峠に着いたのは11時30分だった。天気は快晴だが、バスの車中から見る稜線はガス状の雲が流れており、降り立った麦草峠も時折強い風が流れていた。しらびその林の中で昼食をとり、takeは快調に登っていった。縞枯山に着いたのは14時でtakeのにこやか顔の記念撮影をとった。ここで先の予定を話さなくてはと思い、「やまをおりたら、ロープウェーに乗ってホテルに行きます」と伝えたところtakeの顔が曇り動きが止まってしまった。もともとtakeがロープウェーを怖がっているのは分かっていたが、昨年は箱根大涌谷ロープウェーや那須茶臼岳のロープウェーにも搭乗している。今年の夏に家族でリフトに乗ろうとしたところ、頑なに拒否して乗らなかったことがあったが、地に足の着いているロープウェーなら大丈夫だろうと思っていたのが間違いであった。雨山峠からピラタス山頂駅に着き、乗り場を覗き込んだだけで走り去ろうしている。そこで乗り場の人に下山道を聞き、ロープウェーに沿った山道を一時間かけて下っていった。Pa080011

 今日の宿「山ぼうし」はロープウェー麓駅から5分ぐらいのところにあるペンションだ。takeと宿泊するときは、部屋に入る、お菓子を食べてお茶を飲む、お風呂の準備をする、お風呂に入る、夕食を食堂で食べる、部屋に戻って布団を引くの順序で進めなくてはならず、夕食の前に布団を引いて横になろうものならたちまち布団をたたまれてしまうのだ。この日もこの手順通りに進み、布団を引き終わったのは19時30分であった。ペンション「山ぼうし」は東京都障害者休養ホーム事業に登録されている宿で数多くの障害者に利用されている。もてなしは温かく、食事もおいしいすばらしい宿である。Pa090026

 翌朝宿の奥様に登山口まで車で送っていただき、7時15分蓼科山へのアタックを開始した。広葉樹の森を抜け尾根に取り付くと、道はやがて針葉樹の急な尾根になり、ルンゼ状の岩ゴロの斜面を登ると、巨岩の堆積した山頂付近だった。いままでのtakeとの山歩きでは長い鎖場・岩場が連続するコースは避けてきていたが、岩場でのtakeの歩きを見ていると、そういうコースも行けるのではないかと思った。 野球場ぐらいの広さの山頂に着いたのは10時15分、天気は無風快晴、360度の展望はすばらしかった。前々日から数多くの人命を奪った北アルプスはまばゆいばかりの新雪に彩られていた。Pa090042

頂上で昼食の後、将軍平から蓼科牧場へと下った。途中現れたゴンドラリフトは当然「おやすみ」にし、スキー場の草原を駆け下って蓼科牧場に着いたのは13時30分、「ふれあい動物園」で羊ややぎとたわむれて山行の疲れを癒すtakeだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頂上手前で引返した明神ヶ岳(箱根)9月30日

2006年10月02日 | 箱根

 takeと山に行く時に注意しなければならないのは、前日からの体調である。takeは自ら疲れているとか具合が悪いとか言えないので、妻が前日から体温・機嫌・食欲を観察している。朝「熱はないが夕食も朝食もビーフシチューのお代わりをしなかったので、注意したほうが良いと」との妻の助言があり、「様子を見ながら行くから」と答えてtakeと家を出た。P9300017

 今日の目的地は箱根の明神ヶ岳である。箱根の外輪山で、金時山・明星ヶ岳・塔の峰は歩いているが明神ヶ岳だけはまだ歩いた事がなかった。プランは大雄山最乗寺から頂上を踏み、箱根の宮城野に降りるコースとした。小田原から伊豆箱根鉄道大雄山線に初めて乗り、終点大雄山駅に降り立ったのは10時であった。タクシーで最乗寺に行き、参拝してから山道を登っていった。道は最初杉林の中を進み、やがてススキの茂る草原の尾根になった。あと45分くらいで頂上という所で平坦地があり、時間も12時20分になっていたのでここで昼食とした。P9300020_1

 弁当箱をあけ、「いただきます」をした後のtakeの様子が変だ。いつもはぺろっと平らげパパの分まで要求するおにぎり4個(約1合)のうち一個半しか手をつけてなく、カップの豚汁にも口をつけようとしないのだ。takeの体調バロメーターの食欲緊急警報を受け、その場から家に電話したところ、「いままでは元気でも急にガクッとくるときもあるから気をつけて」との返事が妻からあった。そこで頂上をあきらめ急遽ここから往路を戻ることにした。takeは下りもしっかりとした足取りで歩き、帰りの車中も機嫌は良かったが、菓子等の食欲は控えめであった。家には17時頃着いた。幸にも翌日から食欲はもどり、多分あの日は一週間の疲れがたまり体調も悪かったんだろうという結論に落ち着いたのであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする