昨夏富士山に登った時から次は北岳と決めていた。北岳は日本第二位の標高を誇る南アルプス北部の名峰だ。毎年十数万人が登り半観光地化した富士山とは違い登山者だけの領域だ。いつもながら最初に決めなければならないのが山小屋である。北岳中腹にある南アルプス市営白根御池小屋に問い合わせたところ、金曜日から日曜日を外してくれれば個室扱いにしていただけるとのだったので、ここをベースにして頂上を往復するプランを作った。
台風5号の発生を伝えるテレビニュースを見ながら出発の準備をし、takeと家を出た。長かった梅雨もようやく開けて、これから三日間の天気もまず大丈夫のようだった。甲府駅10時発のバスに乗った。バスが夜叉神トンネルを越えると間ノ岳の雄姿が車窓一杯に広がり、登行意欲がわいてきた。ところがtakeは乗り物酔いしたらしく元気がない。バスを降りたのが12時をまわっていたので広河原バス停ですぐお弁当をあけたが箸をつけようとしない。「お弁当はおかたずけして、後で食べようか」と問いかけるとtakeは「行く」といって立ち上がった。
12時40分、標高1500mの広河原を出発して歩き始めると北岳の頂上が見えた。吊橋で野呂川を渡り大樺沢に入っていった。takeも食欲はないが元気に歩いている。私自身が広河原から白根御池に向う今日のコースを歩くのは29年振りのことである。山岳部に入部した年とその翌年の夏合宿は白根御池に四日程全員で定着した後、二パーティーに分散して南アルプス南部の寸又峡まで歩く内容だった。リーダーの掛け声の下、50㎏ほどのキスリングザックを背負い這うようにして広河原を出発した当時を懐かしく思った。
大樺沢から尾根に取り付いたところで再度お弁当を広げると、今度はなんとかtakeも食べてくれた。単調な尾根の登りに耐え、山腹を左手に巻くように進み、早川尾根の山々が良く見えるようになると、程なく白根御池小屋に到着、15時45分だった。白根御池の標高は2230m。小屋は昨シーズンに改築したばかりで真新しい。受付後、八畳ぐらいの部屋に案内していただいた。混雑時は10人ぐらいは宿泊するであろうと思われる部屋を二人だけでゆったり使わせてもらった。部屋の布団は羽毛布団である。jまた建物や設備がすばらしいだけでなく、スタッフの方々も忙しい中、食事の順番や場所など何かと気遣っていただいた。スタッフの方々のご配慮のおかげで快適に三日間過ごせたことにあらためてお礼申し上げたい。
翌日は4時に起床して出発準備した。窓の外がまだ暗いのを確認して布団に戻ろうとするtakeを無理やり着替えさせ、4時20分から食堂で朝食だ。小屋の出発は5時、天気は快晴、白根御池から見る北岳の頂はアルペングリューエンに輝いている。道はいきなり「草すべり」の急登で始まった。takeは快調に一歩一歩ジグザグ道を進んでいった。
ここから頂上まであと200mの登りは岩稜で、頂上から下山する人とすれ違う事も多く時間がかかったが、8時15分ついに北岳の山頂に立つ事ができた。記念撮影をして、お菓子を食べながらゆっくりとすごした。富士山、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳、奥秩父、そして延々と続く南アルプス南部の嶺々‥360度の展望だ。
頂上を8時40分に出発、肩の小屋まで降りてお昼のお弁当を食べた。今日は白根御池小屋に戻るだけで時間も早いことから帰路は途中から大樺沢右俣にそった道を下り、大樺沢二股への道を進むことにした。 ここまでずっとニコニコしていたtakeだったが、ここで機嫌が悪くなってしまった。「お泊りいこうね」「お泊りこっち」をいらただしげに連発する。十分な説明なしに往路と違う道を進んだため不安になってしまったのだ。takeにごめんごめんと謝りつつ、高山植物が咲き乱れる右俣沿いの道を下っていく。北岳バットレスが往路よりも間近に見えた。二股に着き、大きな石の上に座って雪渓を見ながらお菓子を食べているうちにtakeの機嫌も直った。
12時45分に白根お池小屋に帰還、私はビールtakeにはジュースを買い求め二人で登頂祝いの乾杯をした。もう少し外でゆっくりしていたかったが、一度部屋に入ったら二度と外には出ようとしないのがtakeの習いである。夕食を食べるまでは布団も敷いてもtakeにお片付けされてしまうので、私は畳んだ布団の上に座って本を読んだりして過ごした。
最終日は、昨日よりもゆっくり起きた。登山者が出払ったあとの閑散とした食堂で朝食を食べてから入山したときと同じ道を下山した。九州に向った台風の影響か、天気は曇りで朝のうちは時折小雨が落ちていた。段差の大きい木の根が這った道を登りよりもゆっくりと降りていった。やがて大樺沢の沢音が響くようになり、広河原山荘に着いた。「バスに乗って家に帰ろうね」とtakeに声を掛けながら野呂川の吊橋を渡った。バス停にむかいながら最後にもう一度雲に覆われた北岳を振り返りこの三日間の山旅を終えた。