関東甲信越の記録的大雪と金メダルで、喜びと憂いが同居しているJAPANです。
見島もとにかく強い風に悩まされています。寒さはやわらいではいるみたいです。
さてと、定期船たちばな2に代わり「おにようず」が就航したのが、1998年(平成10年)4月のことです。
原一男映画監督と萩CINEMA塾のガッツある面々がこの年の夏集い、作品「わたしの見島」を制作発表されたのが翌年のことです。
見島人「80名」もの主役が登場して、15年の日々が過ぎました。
あれから何が変わったのでしょうか?
その当時と今、比較できる範囲で見てみたいと思います。
「わたしの見島」のVHSは鑑賞しましたが、所有はしていません。発行された本はあります。
着工中だった念願の「見島ダム ゆりや湖」建設、竣工したのが2002年(平成14年)3月のことでした。
定期船にダム、見島総合センターに道路など生活に必需のインフラ整備は、確かに充実してきています。
不便だった時代のことを忘れてしまって、この「恩恵」を「当たり前」にしてはいけないと考えます。
当時出演の将来を語る中学3年生だった生徒たちも、はや「三十路」を迎える年齢となりました。
PTAとして張り切っていたわれわれも年を取っている証拠ですよね。
当然この間には、出演の先輩方で残念にもなくなられた方も居られます。
が、本の中では、たんたんと見島を語る「元気な姿」のまま、今も生きて居られます。
1300人の人口から400人をこえる減少にも、後続のなさが伺えます。少なくとも1000人以上は、島に居て欲しい。
児童生徒、売りの第一次産業の衰退化や商店経営の減少は、仕方ないとはいえ活気やにぎわいが落ちてしまいます。
【くらす】【はたらく】【まなぶ】【あじわう】【たのしむ】からの活性は、静かな田舎「見島」を望んでいても必要なものです。
みなさんそれぞれの思いは高いのですが「いまさら何とも成らないんじゃ」と、半ば意気消沈の嘆息がほぼ占めています。
「夢や希望を想い掲げる。」それは良心的で他人様に迷惑かけるでもなく、いつか叶うかも知れない愉しみ、目標なのです。
見島の良さを今後も維持継続していく上には、わたしは何度も言いますが源は「温泉」から始まると思っています。
島全員が協同一致して「宝くじ」購入で資金確保するか、アラブの帝王に親戚の居られる方の、「ボーリングマシン」提供を、結論とします。
これが 『 見島温泉!?』 だったらいい~なぁ!
(資料映像)
◎ 熟熟余談(つらつらよだん- 本日の日めくり 四字熟語 )
「 活殺自在 」(かっさつじざい) : 自分の思い通りに扱うさま。生かすも殺すもこちらの思うがままである意から。
▽「活殺」は生かすことと殺すこと。「自在」は自分の思いのままである意。
おもいのまま!
(資料映像)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます