見島人(Mishiman)


山口県最北端・・萩市見島の住人~ふるさと日記。

見島発 【ジーコンボ】の由来諸説 (?_?)

2014年11月05日 | 日記

いい天気です!!

【小春日和】以上のカラッとして....爽やかで半袖になっても大丈夫な様相です。

見島には、ジーコンボやイクラゲのほか、カタカナで漢字のあてはまらないような地名が有ります。

しかも、語源がはっきりしていないところに、不思議な何かが秘められているみたいですが。

そんな中で、この【ジーコンボ】の由来、五つの諸説ひもといてみましょう。

             

                      横浦海岸入り口のジーコンボ古墳群の案内板

 

          

 

 一、人類北上ルート説

    台湾以南~中国沿岸~沖縄~見島以北....と言う人類史上、北上の途上に見島があり、

     台湾本島南部では、溺死者の霊を祀る墓を【ジコーボ】(地公墓)と称すところからの説。

 

 二、熊野神社の僧の説

    現在のジーコンボ古墳群東に【権現様】を祀る小さな社がある。

    古くは【熊野神社】と呼ばれ、近接の山伏寺の僧侶を【慈光坊】といい、周辺一帯の墓を【ジコウボ】と言う説。

 

 三、魂を治めるに因んだ説

    積石古墳があることから、【治魂墓】(ジコンボ)と言うようになった。

    治魂墓とは、「魂を治める小高い堤の意」であることから、地形や古墳の群在を【ジコンボ】となった説。

 

 四、先祖の墓と言う説

    見島では、お爺さんのことを【ジイコウ】(爺公)と言い、お婆さんはバアコウと呼ぶ。

    爺・婆たち先祖の眠る墓を総称して、【ジイコウボ】(爺公墓)となった説。

    ジーコンボは【姥捨山】だったと言う話しに起因する。

 

 五、防人の墓と言う説

    7世紀後半から10世紀前半にかけて、見島防衛の任に就いていた地位のある【防人】がこの地に眠っている。

    霊(魂)が眠っているに因み、【ジコンボ】(地魂墓)と呼ぶようになったと言う説。

    横浦海岸の....本土に一番近い地に眠る...志半ばの、ひょっとしたら本土帰郷のままならぬ実情だったとか、

    少しでも【故郷】に近いところで眠らせて上げたい気持ちと、祀られた方たちの【魂】は如何ばかりかとおもんばかります。

 

   

                                    ( 資料映像 )

 

さてさて、諸説......みな、根拠があるみたいですが、【真相】 ...悠久のかなたからの問いかけになるやも知れません。

                      資料 【海道の秘境 前編】から引用

 

                   むかしのひとは、こんな荒れた海をどう見てたんでしょうか

          

                             ジーコンボ前の海岸線

           

                      ◎ 熟熟余談(つらつらよだん- 本日の日めくり 四字熟語 )

           

 

 

 

      「 知行合一 」(ちこうごういつ) : 知識と行為は一体であるということ。                                                 

                             本当の知は実践を伴わなければならないということ。                                     

                            ▽王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹しゅきの先知後行説に対したもの。

 

  

                              下宿の萩商の奴が言ってました、毎朝礼時、校長が「質実剛健、知行合一の精神...」ばっかだと。

                                    ( 資料映像 )

 


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