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SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

如是我聞 3

2004-10-29 12:19:58 | 太宰
彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、

なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしい

『如是我聞』


ここでの「キリスト」を「太宰」に変えるてみると、そのまま現代の

太宰評になると思う。

最近は、そうでもないのかも知れないけれど、

「ああ、太宰ね。あれは、青春のハシカだよ」

という、安易な切り捨てに「大人」のつまらない虚栄をみる。

いいものは、いいと言えばいいじゃないか。

世評を気にして、「若い頃は、読みましたよね」なんて・・・。

太宰=暗い

という図式にも・・・。

ま、いいか。

太宰さんの昂ぶりにおされて、ちょっと興奮してしまいましたわ。


日常の革命

2004-10-26 08:21:48 | 太宰
「気の持ち方を、軽くくるりと変へるのが真の革命で、
それさへ出来たら、何の難しい問題もない筈です。」
                        太宰治

それさえできたら、ねぇ。
・・・なんて、卑屈な呟きはやめよう。

昨日は、身体が重かったけれど、
オレンジを半分にカットしたのを見たら、切り口の太陽は輝いていて瑞々しかったし、
かぼちゃのプリンはツヤツヤしてシトリンみたいに煌いてた。

「なんだか、見るものすべてが、輝いてみえるねぇ」
なんて言ったら、
「どうしたんですか、急に?」
って、訝しがられた。
笑ってくれたけど。
その子の笑顔も、やわらかくて、子供みたいで、よかった。
新しく採用したアルバイトちゃんも、
こっちが恥かしくなるような、純度の高い笑顔で、よかった。
笑顔は、小さな革命の後押しをしてくれそうだ。


BGM:Brian Wilson 「Wonderful」



如是我聞 2

2004-10-22 13:03:18 | 太宰
文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。
「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。
しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。
心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。
つまり、「心づくし」なのである。
作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、
文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、
そういったようなものが始めて成立するのであると思う。


読みやすいように改行しちゃいました。
横書きの太宰さんには違和感があります。
短文なら大丈夫なんだけれども、長文は、辛い。

このくだりは、太宰さんが、小説家として一番大事にしてきたことだろうと思う。
もはやボロボロになった、ちくまの文庫版「太宰治全集10巻」を初期の頃から、通勤時間に、めくっていて、いくつかの共通する言葉に行き当たる。


生きていることへの感謝の念でいっぱいの小説こそ、不滅のものを持っている。
                             『もの思う葦(そのニ)』

やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るでしょう
                             『晩年について』

やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。こんなことを言っている、
おめでたさ、これも、ただものでない。
                             『一日の労苦』


頁をめくり、写していくと、また別なことを思ってしまってイケナイので、先に進むことにしましょう。
太宰さんの、このやさしさは、どこからきたのでしょうか?
それは、おそらく、人間として生きるよりも、作家として生きることを優先させるきっかけとなった、あの出来事からだと思うのです。
昭和11年28歳、パビナール中毒で、武蔵野病院に入院した、させられた、あの事件。
その時、太宰さんは、「人間失格」を書くための、「小説家という奇妙な生き物」に変身したのだと。
人間として大事なものを、捨ててしまったことによって得た、やさしさ。
小説を書く、読者に語りかけることに命を懸けたひと。


疑って失敗する事ほど醜い生きかたはありません。私たちは信じているのです。
一寸の虫にも、五分の赤心がありました。
苦笑なさっては,いけません。無邪気に信じている者だけが、のんきであります。
私は、文学をやめません。
私は信じて成功するのです。御安心下さい。
                                 『私信』


如是我聞 1

2004-10-20 08:01:59 | 太宰
ちょっと、いや、かなり後悔している。
最初の取り組みとしては、異質なエッセイだし、受け入れられにくい作品かな、と。
これは昭和24年、太宰さんの死ぬ年、3,5,6,7月発行の『新潮』に連載されたもの。
7月は勿論、太宰さんの死後、発表された。
これは、口述筆記だったらしい。
なるほど、内容も内容だから、この方法は太宰さんの罵詈雑言にかなり拍車がかかっているように感じる。
内容としては、かなり評価のわかれる作品。
どちらかといえば、悪評のほうが高いかもしれない。なんと言ったって、「小説の神様」に噛みついたんだから・・・。批評家も流石に腰が引けて、「太宰君、それは言い過ぎだよ」ということになるのかもしれない。
しかし、現代の読者は、違う。そんな文壇事情など、知らない。知ったことではない。
太宰さんが、本当に抗議したかったことを、そのまま受け取る。
太宰さんは、もう、死ぬ気で書いていた。捨て身。
戦後の日本人の変わり身の早さに幻滅した太宰さんは、死に向って加速してゆく。精神も、肉体も、翳りを見せ始める。年に200本も原稿の依頼が舞い込む超人気作家の、最後の雄叫びだ。
ここには、生の太宰さんの声が聞える。虚構と現実を巧みに操る作家のなりふり構わぬ真情の吐露。

(続)

2004-10-19 03:47:30 | 太宰
偉人といわれるような人物の仕事は「物狂いの状態」から

生まれたものだ、と太宰さんは言った。

偏執的な衝動が、誰も為し得なかったことを果たしたのだろう。

歴史的人物=聖人君子

なんて思っている節が少なからずあるけれども、

彼らはみんな、変態だと思う。

まあ、私みたいなただの変態、ではないけれども・・・。

「旧津島家住宅主屋ほか」=

2004-10-17 08:19:13 | 太宰
太宰さんの生家。

今度、重要文化財に指定されることになるようです。

斜陽館として有名な「このただ大きいだけの」豪奢な建造物。

昭和25年から平成8年まで旅館でした。

何をかくそう、私、最後の最後、8年前泊まってきました。

確か、あの部屋は斜陽の掛け軸?のあった部屋。

太宰さんが使ってたらしいんですが。

夜、りんご酒を、太宰さんと酌み交わした記憶が、あります。

2月、とにかく寒かったのを憶えています。

かるみ

2004-10-06 01:18:30 | 太宰
太宰さんの「かるみ」について、以下長い引用します。


君、あたらしい時代は、たしかに来ている。それは羽衣のように

くて、しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のように

清冽なものだ。

(中略)

この『かるみ』は断じて軽薄と違うのである。慾と命を捨て

なければ、の心境はわからない。くるしく努力して汗を出し

切った後に来る一陣のそよ風だ。世界の大混乱の末の窮迫の

空気から生まれ出た、翼のすきとおるほどの身軽な鳥だ。

(中略)

君、理屈も何も無いのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者

の平安こそ、その『かるみ』だ。

                  『パンドラの匣』


あぁ、なんて素敵な文章なんでしょう。

写していて、うっとりしちゃいましたよ。

こんな描写が、瑞々しい「満願」にもあったなぁ。

「満願」は短いから、5分で読めますよ。

あなたも、是非!

で、かるみ。

同じような表現だと、「浦島さん」の

『聖諦』

だろうと思います。

悟り、じゃ、なんか堅苦しい、

かるみ、か、聖諦

自作自演の太宰さん、それでも人一倍苦しみました。

小説家という奇妙な生き物のひとつの境地

地獄に咲いた一輪の華かもしれないが、それでもなんだか、

いとおしく思えますよ。

こんな本を買った

2004-10-04 03:58:48 | 太宰
「太宰治 変身譚」飛鳥新社 出口裕弘


久し振りの太宰本、これは、きっと面白いぞ。

あとがきにこうある

「同国人なら三島由紀夫と太宰治、外国人ならランボーとボードレール、

これが気になる人間の代表格だった。」

評論?エッセイ?なんか、面白い本だ。

2004-08-25 23:30:16 | 太宰
Bill Evans & Monica Zetterlundの「Waltz For Debby」

が堪らなくイイ。

また、秋を迎えることができた。

次の秋をまた迎えることができるのだろうか、なんて、

考えたりする。

だって、いつ、消えるか、わからぬ命。

何度も引用するようだけれど、


「こうしてお互いに生きてるというのは、なんだか、なつかしいことで

もあるな。」

「人は誰でもみんな死ぬさ。」


~ダス・ゲマイネ

秋ハ夏ノ焼ケ残リサ

2004-08-19 03:37:22 | 太宰
秋ハ夏ト同時ニヤッテクル

・・・・・

秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに、全部身支度ととのえて、せせら笑っ

てしゃがんでいる。

~「ア、秋」


私のココロは、もうすっかり秋の気持ち。

あの雨の日から。

「秋味」も、来週には出るだろう。

5月と10月が一番好きな時期。

待ち遠しいから、先取り先取り。




太宰さんは、なにを見ていたのか?

2004-08-17 03:21:22 | 太宰
以下はkokoさんの「女は戦争の鍵を握っている」の私のコメントをです。なんだか、しどろもどろながらも言いたいことが言えた気がするので、記事としてアップさせていただきました。

コメントその1

ええー、これは、難しいですよ。
kokoさん、いぢめないで・・・。
女性から解くか、戦争から解くか・・・。

女性に関しては、憧憬と恐怖ですか・・・。
太宰さんにとっては、最も興味をそそる他者だったのでは。女性心理の洞察についてはかなり自信があったようです。女性を描く「秘法」に気付いたと言って、結局教えては呉れませんが。
皮膚感覚と残酷さ、母性、逞しい生命力を強く感じていたんだと思います。
戦争は、太宰さんにとって救いだったのでは、国家の非常時に個人は制限される。それが、太宰さんには有難かったのかもしれません。事実、戦後太宰さんは、死に向って下降していくので。

>女は戦争の鍵をにぎっている

この言葉についての回答は・・・。

「この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたはご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ、それはね、教えてあげますわ。女がよい子を生むためです」

~『斜陽』

これでいかが?

コメントその2

手招きを受けたる童子
いそいそと壇にのぼりつ ~「喝采」

太宰さんと離れるかもしれません。
すいません、独り言になるかも・・・。
女性のあの繊細な感覚は「子を生む」ということ起因しているんでしょうかね。
生むということ、これは男性にとって永遠に知り得ないことです。きっかけにしかなりえない、淋しさ。
男は、ゆえに社会を動かしたがり、勝ちたがり、意味もない価値を造りだしたがる。(ルサンチマンか・・・。)
そうやって無聊を慰めている。遊んでいる。そういう意味では、暇を潰している。
太宰さんは、そんな無自覚で馬鹿真面目な男を嫌い、「そうじゃないんじゃない?」といって女性独白体の作品群を書いたんじゃないでしょうか。
太宰さんは男でも女でもない(失格した?)ところから、人間というものを見ていたのでは。
これは、とても辛いですが、稀有の立場だと思います。
蝙蝠の嘆き、「私は、鳥でもありません、けものでもありません」こんなことも言っていました。

なんだか、結局、支離滅裂ではあるんですが、私なりに、言うことは言えた気がします。
kokoさん、agricoさんありがとうございます。


というような感じです。
まあ、kokoさんの所で見れば早いのですが・・・。
なんとなく、残しておきたかったので。
kokoさん、すいません!