検印 2005-03-23 02:47:24 | 太宰 昭和三十五年発行の筑摩書房版 太宰治全集第二巻を三鷹の古 本屋で見つけた。300円也。安い・・・。しかも検印が・・・。 検印の価値というのはないらしいけれど、なんだかこの太宰印にはドキ ドキしてしまった。
酒と自殺 2005-03-11 02:46:19 | 太宰 酒を呑む、酔うということは、少なからず現実逃避の一手段で、ある種 緩慢な自殺行為だと言える。自我を殺す、アルコールによって、自分か ら遠ざかろうとする、自意識から逃れる、麻痺の悦び。 しかし太宰さんは、死ぬときは素面で死ぬんだと平生から言っていた そうだ。『斜陽』直治の遺書にも「僕は素面で死ぬんです」とあったは ず。
マタイ伝福音書 2005-03-10 14:50:58 | 太宰 太宰さんはクリスチャンではないけれど、かなり聖書を読みこんでいた。 中でも、マタイ伝がお気に入りだったようで、引用もダントツに多い。 引用個所にして42、同じ言葉を何度も作中に用いたりしているから きっと100近くになるかもしれない。 太宰さんの作品数は153編で、エッセイを加えると200位。 作品の半数に新約聖書マタイ伝福音書の言葉が散りばめられているこ とになる。 「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、 身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。」 晩年の太宰さんはこの言葉に取りつかれていたように思える。
死と生の中間地点 2005-03-10 11:53:51 | 太宰 国文学 解釈と鑑賞 特集「太宰治とその死生観」 とても興味深い特集だ。論者も一流。 去年の9月号。迂闊にも気付かなかった。ここしばらくバックナンバー を探していて、見つけた。 学者、評論家、作家、精神科医、自殺学の専門家、哲学者(いや哲学 研究者か?) 様々な角度から論じられていて面白い。 いちいち触れてゆくと長くなりそうなので何回かに分けて書こうと思う。 今年91歳になるという作家の青山光二さんは太宰と交友があったそう で、 「太宰さんは、襖を開けて隣の部屋へすっと入るように、いつでも死ね る人でした」 と語っている。 太宰が生きていたら、今年95歳か。 やっぱり晩年の井伏さんみたいに寡黙になってしまうのかな、なんて 想像してみた。
グッド・バイ 2005-03-04 02:17:57 | 太宰 まことに、出逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれ ども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きている といっても過言ではあるまい。 ~太宰治 なに、また逢えるさ。 でも、「惜別」っていい言葉だなぁ。
遺書 2005-01-24 14:56:41 | 太宰 そういえば、遺書のようなものを書いたことがある。 いつだったか・・・、10年くらい前にもなるだろうか。 なぜだろう? ・・・お、思い出した。 確か、中国に旅行する前に書いたんだ。 一人旅ならまだしも、大学の研修旅行なんだから、可笑しい。 不安だったんでしょうねぇ。 その、遺書らしきものの内容はボンヤリしているけれど、なんとなく 思い出せる。ただ、今までお世話になった人たちへの、感謝の言葉だ ったように思う。 自身のそんな小心を今は微笑ましくすら思うけれど、今、私が死んだ ら間違い無く、このブログに書いていることが、遺書になるのだろう。 いつこの世からおさらばするのかなんて、わからない。 そういえば、太宰さんの処女作品集『晩年』は遺書のつもりで書いたと いう。しかし、これを書き上げたら、仕上がりが気になってしまって、 死ぬに死ねなくなったという、笑い?話。 「永遠においでおいでの蟷螂の斧」 太宰さんは、このデモンに食われて、人であるより小説家という、ある 種奇妙な生き物であることを選んだ。 私は、というと、big bad bingoから抜け出せない。 いや、抜け出そうなんて思ってやしない。 というわけで、遺書は続く。
ルパンはお休み 2005-01-11 22:17:11 | 太宰 先日、有楽町に行ったついでに「ルパン」を見てきたんです。 えっと、「ルパン」とは、銀座のバーなんですが、太宰さんのこの写真 で有名ですね。ちなみに後姿は坂口安吾らしいです。 日曜だったから閉まってました。 どちらにしても、ひとりじゃ入れないんですけどね。小心者だから。 でも一回だけ行ったことあります。なんだか、昭和20年代でしたよ。 うーん、良くも悪くも、すごいトコでした。あはは・・・。
我執 2005-01-01 05:26:31 | 太宰 ああ、私の愛情は、私の盲目的な虫けらの愛情は、なんということだ、 そっくり我執の形である。~太宰治「思案の敗北」 先ほどの引用のすぐ続きです。 あれとこれは、離して考えたかったので・・・。 「何を言ったって、てめえがカワイイだけじゃねぇか」 という男が、私の中に、いる。 「いや、でもね・・・」 と気弱に反論を試みようとする子もいる。 僕は、愛情の氾濫を、コントロールできないんだ。 呑みこまれる・・・。
泣きべそ 2004-12-30 03:08:38 | 太宰 太宰さんも、時々気が緩んで、ポロリと本音を漏らすことがある。 以下は「服装に就いて」の引用。 私は自分に零落を感じ、敗者を意識する時、必ずヴェルレーヌの泣き べその顔を思い出し、救われるのが常である。生きていこうと思うの である。あの人の弱さが、かえって私に生きて行こうという希望を 与える。気弱い内省の究極からでなければ、真に崇厳な光明は発し得 ないと私は、頑固に信じている。とにかく私は、もっと生きてみたい。 謂わば、最高の誇りと最低の生活で、とにかく生きてみたい。 ヴェルレーヌを太宰さんと置き換えれば、そのまま、私の呟きになり かわる。 私が太宰さんに最も惹かれるのはここなのだと思う。 弱さを誤魔化さない。 弱さを見つめる勇気を持つ。 この他に、私のような小心者が誠実に生きて行く術はない。 弱さに対する、潔癖なまでの眼差し。 私は、弱さや、自信の無さを大事にして行きたいのだ。
ある告白 2004-12-29 03:11:58 | 太宰 私は、いやになった。それならば、現実というものは、いやだ! 愛し、切れないものがある。 ・・・・ この世にロマンチックは、無い。私ひとりが、変質者だ。そうして、私 もいまは堂々と、小市民生活を修養し、けちな世渡りをはじめている。 いやだ。私ひとりでもよい。もういちど、あの野望と献身の、ロマンス 地獄に飛びこんで、くたばりたい!できないことか。いけないことか。 「春の盗賊」 太宰治
聞える、聞える、なんだか聞える 2004-12-22 03:51:33 | 太宰 トカトントン・・・。 あ、それだけです。 いい気なもんですね・・・。 気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してないんですよ。 十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も 成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。 太宰さんに指摘されちゃいました・・・。
身体が寝坊する 2004-11-14 09:51:19 | 太宰 「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」 太宰治『女生徒』 あなたにとって、朝はすがすがしい?憂鬱? 休みの日の朝は気持ちいいだろうし、 月曜の朝はお腹が痛くなるくらい憂鬱かもしれない。 まあね、あとさきの事は考えず、朝というひとときのことだけ 考えましょうよ。 太宰さんの『女生徒』は朝の目が覚める時の感覚から始まる。 かくれんぼで、見つかったときの恥かしいような腹立たしいよ うな感覚。「箱をあけると、その中に、また小さい箱があって ・・・」結局カラッポ、という拍子抜けの感じ。 上澄みと澱にゆっくり分かれていく、そう、あの感じ。 そして、捨て台詞のように 「朝は、意地悪。」 いま、ふと思いついたんですが、これ、太宰版『枕草子』ですね。 ま、それは、いいとして、目覚めるときの感覚。 たまねぎをむくように、だんだん意識が現実に戻ってくる。 そして、意識として目は覚めているんだけど、身体がまだ起きて ない。呼吸が眠っている、「スゥ、スゥ」と一定のリズム。 変な感じ。 アタマは起きてるけど、カラダは眠ってるの。 奇妙なズレ。 これ、逆だったら、夢遊病か。 この感覚だけが書きたくて、太宰さんまで持ち出したんだけど 太宰さんがあまりに巧くって私の感覚ナンテ、どうでもいいや、 てな、投げやりになってしまったことですよ、はい。
太宰さんはいつの日にか、お札になるのか? 2004-11-04 04:08:33 | 太宰 なるわきゃないですよね・・・。 今日、初めて新札を見ましたが、 樋口さんは、あれは、どうなんでしょうか・・・。微妙。 野口さんは、いいと思います。 でもなんだか、きらきらしてて、おもちゃみたいですよね。 で、太宰さん。 お札になりますかね? 頬づえついたやつか、「ルパン」のやつか・・・。 個人的には、三鷹の自宅で撮ったやさしく微笑んでいる 写真がいいなあ。 10万円札とかどうでしょう? 裏には、月見草?岩木山? 彼の浪費癖にあやかって・・・。景気がよくなるかもしれない。 そのお札を手にすると、どうしても使いたくなちゃう、とか。 それとも、硬貨なんてどうかしら。 50円は? 穴が空いててスイマセン、とか。 1000円玉を作るとか。 硬貨だと、すぐ使っちゃいそう。 下らないですね。 調子に乗りすぎました・・・。
もうひとつの夢 2004-10-31 03:41:41 | 太宰 「くやしいでしょうね。」 「馬鹿だ。みな馬鹿ばかりだ。」 私は涙を流す。 そのとき、眼が覚める。私は涙を流している。眠りの中の夢と、現実がつながっている。気持がそのまま、つながっている。だから、私にとってこの世の中の現実は、眠りの中の夢の連続でもあり、また、眠りの中の夢は、そのまま私の現実でもあると考えている。 『フォスフォレッセンス』 夢を、みた。 ふたつの内のひとつ。 なぜか憶えていない、くやしくて、くやしくて、夢で涙を流していた。 私は即ち、太宰さんだった。 まさに、この『フォスフォレッセンス』の場面の再現だった。 「ここでは泣いてもよろしいが、あの世界では、そんなことで泣くなよ。」 『同』 この世界では、そうそう泣いてはいられない。 いつまでも、悲嘆に暮れてはいられない。 やがて、美しい花は咲くのだから・・・。
裏切られた青年の姿 2004-10-29 12:45:15 | 太宰 どうだね、君も一緒に蟹田へ行かないか、と昔の私ならば、気軽に言へたのでもあらうが、私も流石にとしをとつて少しは遠慮といふ事を覚えて来たせゐか、それとも、いや、気持のややこしい説明はよさう。つまり、お互ひ、大人になつたのであらう。 大人といふものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだらう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。 私は黙つて歩いてゐた。突然、T君のはうから言ひ出した。 「私は、あした蟹田へ行きます。あしたの朝、一番のバスで行きます。Nさんの家で逢ひませう。」 「病院のはうは?」 「あしたは日曜です。」 「なあんだ、さうか。早く言へばいいのに。」 私たちには、まだ、たわいない少年の部分も残つてゐた。 『津軽』 長い引用ですが、ここまで引用にないと、この文のいいところが見えてこないので・・・。 これは太宰さんの故郷、津軽の旅行記です。 大抵は、改行部の所だけ挙げられて、大人の侘しさだけがクローズアップされるのですが、ここでの「オチ」まで読まないと、太宰さんの本領はわからないと思います。 「大人って・・・」なんて言っていじけながらも、 「なあんだ、まだまだ子供ぢゃん」 と反転させる太宰さんのバランス感覚。 かわいい。 太宰さん、この時36歳。