SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

桜桃忌記念 太宰の短編はこれだ!

2009-06-19 20:13:27 | 太宰
はい、今日は桜桃忌です
太宰さん100歳おめでとう
作家としてはまだバリバリ現役
漱石とツートップで頑張ってます

そんな彼を讃えて、私のお気に入りの短編を挙げてみましょう!

ちなみに太田光は、
魚服記、女生徒、駆け込み訴え、ろまん燈籠、富嶽百景、愛と美について、お伽草紙(瘤取り、浦島さん、カチカチ山、舌切り雀)、雪の夜の話
でした

満願
皮膚と心
春の盗賊
善蔵を思う
待つ

親友交歓
メリイクリスマス
フォスフォレッセンス

美男子と煙草

私も11編になっちゃった

太宰は「十五年間」でこう書いている

短篇小説には、独自の技法があるように思われる。短かければ短篇というものではない。外国でも遠くはデカメロンあたりから発して、近世では、メリメ、モオパスサン、ドオデエ、チェホフなんて、まあいろいろあるだろうが、日本では殊にこの技術が昔から発達していた国で、何々物語というもののほとんど全部がそれであったし、また近世では西鶴なんて大物も出て、明治では鴎外がうまかったし、大正では、直哉だの善蔵だの龍之介だの菊池寛だの、短篇小説の技法を知っている人も少くなかったが、昭和のはじめでは、井伏さんが抜群のように思われたくらいのもので、最近に到ってまるでもう駄目になった。皆ただ、枚数が短いというだけのものである。戦争が終って、こんどは好きなものを書いてもいいという事であったので、私は、この短篇小説のすたれた技法を復活させてやれと考えて、

日本の短編小説の正統な継承者を自認していた太宰
間違いのない名品を選んだつもり



金の卵を抱えた男

2009-06-14 04:00:08 | 太宰
太宰は、このことを
三度、自分の作品の中で強調している

下記で引用した「ひとつの約束」、「雪の夜の話」、「惜別」

誰も見ていない美しい事実を書く
そのために私は存在しているのだ
という
作家としての矜持と祈り


「金の卵を抱えた男」
太宰の妻、美智子さんは彼のことをこう思っていたという




難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死に
しがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒が滅茶々々になるのだ、と思ったら喉まで出かかった「助けて!」の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉し去った。
 もはや、たすかる道理は無い。
 この遭難者の美しい行為を、一体、誰が見ていたのだろう。誰も見てやしない。燈台守は何も知らずに一家団欒の食事を続けていたに違いないし、遭難者は怒濤にもまれて(或いは吹雪の夜であったかも知れぬ)ひとりで死んでいったのだ。月も星も、それを見ていなかった。しかも、その美しい行為は厳然たる事実として、語られている。
 言いかえれば、これは作者の一夜の幻想に端を発しているのである。
 けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。
 ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ、それをこそ書きたいというのが、作者の生甲斐になっている。
 第一線に於いて、戦って居られる諸君。意を安んじ給え。誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。日本の文学の歴史は、三千年来それを行い、今後もまた、変る事なく、その伝統を継承する。