SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

5月7日(土)のつぶやき

2011-05-08 01:06:50 | 
18:53 from Twitter for iPhone
RT @ikedanob: 「失敗の本質」は健在だね。戦略なき短期決戦、補給を考えない精神主義、そして無能な最高指揮官・・・
18:55 from Twitter for iPhone
RT @ikedanob: 浜岡の停止に拍手を送っているマスコミは、太平洋戦争の開戦のときと似ている。「補給は大丈夫なのか」という質問に、首相も「みんなで節約すれば何とかなる」としか答えない。大停電という「原爆」が落ちるまでわからない。
19:02 from Twitter for iPhone
RT @y_mizuno: 日本政府の特に我が首相の気まぐれで風見鶏、その場限りで空振り承知の対応策に、被災地も日本全体も振り回され続けるとするなら、いったいどういう問題が予測されるのか、じっくり考えてみることが必要ではないか、と思わざるを得ないのは残念だ。そういう低レベ ...
by takecafe on Twitter

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1 コメント

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no ability (noga)
2011-05-13 05:56:04
我が国には、初等教育はあっても、英米流の高等教育はない。
だから、日本人は、「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」の状態になっている。
目先・手先の問題は器用にこなすが、個人の世界観に基づいた国家百年の計は立てられない。

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、日本人の世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。主体性がない。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんのような煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中で、あくせくと現実生活にのみ専心している。
精神を集中すると、その刹那も永遠のように見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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