SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

もうひとつの夢

2004-10-31 03:41:41 | 太宰
「くやしいでしょうね。」
「馬鹿だ。みな馬鹿ばかりだ。」
 私は涙を流す。
 そのとき、眼が覚める。私は涙を流している。眠りの中の夢と、現実がつながっている。気持がそのまま、つながっている。だから、私にとってこの世の中の現実は、眠りの中の夢の連続でもあり、また、眠りの中の夢は、そのまま私の現実でもあると考えている。

『フォスフォレッセンス』


夢を、みた。
ふたつの内のひとつ。
なぜか憶えていない、くやしくて、くやしくて、夢で涙を流していた。
私は即ち、太宰さんだった。
まさに、この『フォスフォレッセンス』の場面の再現だった。


「ここでは泣いてもよろしいが、あの世界では、そんなことで泣くなよ。」

『同』

この世界では、そうそう泣いてはいられない。
いつまでも、悲嘆に暮れてはいられない。
やがて、美しい花は咲くのだから・・・。

裏切られた青年の姿

2004-10-29 12:45:15 | 太宰
どうだね、君も一緒に蟹田へ行かないか、と昔の私ならば、気軽に言へたのでもあらうが、私も流石にとしをとつて少しは遠慮といふ事を覚えて来たせゐか、それとも、いや、気持のややこしい説明はよさう。つまり、お互ひ、大人になつたのであらう。

大人といふものは侘しいものだ。愛し合つてゐても、用心して、他人行儀を守らなければならぬ。なぜ、用心深くしなければならぬのだらう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤恥をかいた事が多すぎたからである。人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。

私は黙つて歩いてゐた。突然、T君のはうから言ひ出した。
「私は、あした蟹田へ行きます。あしたの朝、一番のバスで行きます。Nさんの家で逢ひませう。」
「病院のはうは?」
「あしたは日曜です。」
「なあんだ、さうか。早く言へばいいのに。」
 私たちには、まだ、たわいない少年の部分も残つてゐた。

『津軽』


長い引用ですが、ここまで引用にないと、この文のいいところが見えてこないので・・・。
これは太宰さんの故郷、津軽の旅行記です。
大抵は、改行部の所だけ挙げられて、大人の侘しさだけがクローズアップされるのですが、ここでの「オチ」まで読まないと、太宰さんの本領はわからないと思います。
「大人って・・・」なんて言っていじけながらも、
「なあんだ、まだまだ子供ぢゃん」
と反転させる太宰さんのバランス感覚。
かわいい。
太宰さん、この時36歳。




如是我聞 3

2004-10-29 12:19:58 | 太宰
彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、

なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしい

『如是我聞』


ここでの「キリスト」を「太宰」に変えるてみると、そのまま現代の

太宰評になると思う。

最近は、そうでもないのかも知れないけれど、

「ああ、太宰ね。あれは、青春のハシカだよ」

という、安易な切り捨てに「大人」のつまらない虚栄をみる。

いいものは、いいと言えばいいじゃないか。

世評を気にして、「若い頃は、読みましたよね」なんて・・・。

太宰=暗い

という図式にも・・・。

ま、いいか。

太宰さんの昂ぶりにおされて、ちょっと興奮してしまいましたわ。


三十路

2004-10-28 12:03:04 | 
20代は、いろんなモノに惹かれて、憑かれたように集めて、

の繰り返しだった。

30代は、それを血肉化して生かしていく年代かも知れない。

キモチをカタチにしていく。

「30代は、おもろい」って、らもさんが言っていた。

さてさて、どうなることやら。

ビルエヴァンス曰く、

2004-10-28 11:49:33 | ビルエヴァンス
修練と自由は極めて繊細な方法でまじり合わなければならない。
音楽はすべてロマンティックだと僕は信じるが、
感傷的になり過ぎてはロマンティシズムも煩わしい。
その一方、
修練をもって処理されたロマンティシズムは最も美しい類の美だ。


エヴァンスを聴き始めのころ、この言葉に出会い、いたく感銘を受けた言葉です。
この修練こそ、芸術家の芸術家たる所以なんでしょう。
修練と自由の極めて繊細な錬金術。

「作家はロマンスを書かねばならない」の太宰さんだってそうです。
彼の感傷と巧みな物語構成術があのような傑作(例えば『斜陽』)
をうみだしたんでしょうね。
精進せな。

おはよう

2004-10-27 08:38:23 | 
夜型から朝型へ変わりつつある

特に思うところがあった訳ではなくて

5時頃起きたり、6時に目が覚めてしまったり

ひとりで夜明けを迎える

太陽を待ってる

恥かしそうに顔を出す

いつのまにか、変わっていたリズム



そして臆面もなく、甘ったるいことを書きつづる

キレイゴト?

でもね、そうでなきゃいけない、と思って書いている

世の中には、甘くておいしいものがある

苦くて、おいしくないものばかりじゃない

ぼくが持っていたカードに一枚だけプラスのカードがあって

いつのまにか、隣りのマイナスのカードが裏返って、プラスになった

一枚、また一枚

否定が肯定に裏返った

嘲笑は、微笑みに裏返った(気持ち悪いって言われるけどw)

夜明けがくる

光りが射す

はい、おはよう、おはよう

日常の革命

2004-10-26 08:21:48 | 太宰
「気の持ち方を、軽くくるりと変へるのが真の革命で、
それさへ出来たら、何の難しい問題もない筈です。」
                        太宰治

それさえできたら、ねぇ。
・・・なんて、卑屈な呟きはやめよう。

昨日は、身体が重かったけれど、
オレンジを半分にカットしたのを見たら、切り口の太陽は輝いていて瑞々しかったし、
かぼちゃのプリンはツヤツヤしてシトリンみたいに煌いてた。

「なんだか、見るものすべてが、輝いてみえるねぇ」
なんて言ったら、
「どうしたんですか、急に?」
って、訝しがられた。
笑ってくれたけど。
その子の笑顔も、やわらかくて、子供みたいで、よかった。
新しく採用したアルバイトちゃんも、
こっちが恥かしくなるような、純度の高い笑顔で、よかった。
笑顔は、小さな革命の後押しをしてくれそうだ。


BGM:Brian Wilson 「Wonderful」



犬が空を見上げてる

2004-10-22 15:19:36 | 
10月22日の空気を、吸いこむ。

何度も、深呼吸

「日常」の匂いがする

子供の頃の、普段の空気

懐かしさで、いっぱいになる

その懐かしい空気に包まれて、

ぼくは何度も深呼吸

すると、ぼくは、この風に溶けて、気化して、

放散一体してしまうような錯覚にとらわれるよ

子供たちが、帰ってゆく

隣は小学校なんだ

幼稚園のバスが、止まる

お母さんが迎えに来てる

帰っていく

小沢が歌う

小山田も歌う

ぼくは、深呼吸

エヴァンスの「CHILDREN'S PLAY SONG」を聴こう

物語の始まりは、どこにでもあるんだ

始めたときが、創めたときで、

泣いて、笑って、怒って、

握手する

くだらない冗談を言う

陽は傾く

君の影を見つめる

風が吹く

雑草が揺れる

なんてことはない

なんてことはない

そんな瞬間が、いとおしい

鈍ってしまった、ぼやけてしまった感覚ですら

そう思える

アダン。ちゃん、リンちゃん、ジューくん、娘っこちゃん

紫奈乃や龍之介は、この今を、どうのようにとらえているんだろう

かけがえのない今を

残酷なまでに、贅沢に、過ごしているのだろうか

なに、子供だけでない

あなたも・・・


あなたは?










如是我聞 2

2004-10-22 13:03:18 | 太宰
文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。
「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。
しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。
心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言っても、まだぴったりしない。
つまり、「心づくし」なのである。
作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、
文学の永遠性とか、或いは文学のありがたさとか、うれしさとか、
そういったようなものが始めて成立するのであると思う。


読みやすいように改行しちゃいました。
横書きの太宰さんには違和感があります。
短文なら大丈夫なんだけれども、長文は、辛い。

このくだりは、太宰さんが、小説家として一番大事にしてきたことだろうと思う。
もはやボロボロになった、ちくまの文庫版「太宰治全集10巻」を初期の頃から、通勤時間に、めくっていて、いくつかの共通する言葉に行き当たる。


生きていることへの感謝の念でいっぱいの小説こそ、不滅のものを持っている。
                             『もの思う葦(そのニ)』

やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るでしょう
                             『晩年について』

やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。こんなことを言っている、
おめでたさ、これも、ただものでない。
                             『一日の労苦』


頁をめくり、写していくと、また別なことを思ってしまってイケナイので、先に進むことにしましょう。
太宰さんの、このやさしさは、どこからきたのでしょうか?
それは、おそらく、人間として生きるよりも、作家として生きることを優先させるきっかけとなった、あの出来事からだと思うのです。
昭和11年28歳、パビナール中毒で、武蔵野病院に入院した、させられた、あの事件。
その時、太宰さんは、「人間失格」を書くための、「小説家という奇妙な生き物」に変身したのだと。
人間として大事なものを、捨ててしまったことによって得た、やさしさ。
小説を書く、読者に語りかけることに命を懸けたひと。


疑って失敗する事ほど醜い生きかたはありません。私たちは信じているのです。
一寸の虫にも、五分の赤心がありました。
苦笑なさっては,いけません。無邪気に信じている者だけが、のんきであります。
私は、文学をやめません。
私は信じて成功するのです。御安心下さい。
                                 『私信』


前世は?

2004-10-22 02:23:52 | 
前世。

信じる信じないという次元の話ではなくって、

この考え方はとても好きです。

だって、自分という存在が綿々とつながってきていて、そして

これからも「私」が永遠に存在を彩っていくって、ひとつの物語

になっているんですもの。

無二

2004-10-22 01:37:28 | 
矢野顕子さんが好きです。

彼女の、ピアノ弾き語りは、唯一無二ですよね。

あの人しか出来ない、

他の誰でもない、ヤノアキコ。

ユニコーンのカヴァー「素晴らしい日々」のせつなさったらない。



イッセー

2004-10-22 01:32:23 | 
イッセー尾形さん、好きです。

彼は、現代の落語家だと思います。

人のおかしみ、かなしみを、愛情持って表現してくれている。

談志師の言う

「落語は人間の業の肯定」

というのを体現している。