酒を呑む、酔うということは、少なからず現実逃避の一手段で、ある種
緩慢な自殺行為だと言える。自我を殺す、アルコールによって、自分か
ら遠ざかろうとする、自意識から逃れる、麻痺の悦び。
しかし太宰さんは、死ぬときは素面で死ぬんだと平生から言っていた
そうだ。『斜陽』直治の遺書にも「僕は素面で死ぬんです」とあったは
ず。
緩慢な自殺行為だと言える。自我を殺す、アルコールによって、自分か
ら遠ざかろうとする、自意識から逃れる、麻痺の悦び。
しかし太宰さんは、死ぬときは素面で死ぬんだと平生から言っていた
そうだ。『斜陽』直治の遺書にも「僕は素面で死ぬんです」とあったは
ず。
私は酔っている時にいつも死ねる、と信じて呑んでいます。
誰かと死のうと思ったことはありません。
まだ死ねないことがありますが・・。
酒を飲んでても素面でも構いませんが、
できれば、ありがとうと祈りながら死にたいと思います。
でもその場になったら突然目覚めて、
いい酒飲んで女と一緒にならないうちは死ねないと思うかもしれない。・・・
恐いですね、人生って・・・
男やもめはダメだよ。
雪に埋まって死ぬカモよ。
こちらはまた30cmぐらい積み足されたよ。誰かさんと一緒でなかなか”春”は来ない。(汗
炭を焼いては煙の中から出てくるんじゃないかと思い、
日々私も努力してはいるんです。
でもまあ、これは縁の問題だなと
気長に待つうちにどうにかなるだろうとは思ってますよ。
縁はある意味では紐がつくと言うことですからね。
間違うと自死に向かう時もあるかと(コワイ
agricoさん畑掘ったって変えるぐらいしか出てきませんよ。
来る時は来る、それでいいんじゃないの。
なるべく自然体でつきあえる女の方がいい。。。
変なオタクはイヤだっ!(笑
自死する心理はしらふなのかい?
ま、自死は自死、どちらの状態で死のうが、死にたいと思ったわけだよ。
死は他者にとっての在り様でしかないからな。
変える→かえる(蛙ちゃん)DEATH(笑
「しらふ」って寝てる時ぐらいしかないような気がするな。でも夢の中でゴジラと闘っているファンタジー的世界もあるので、年中酔っているのと同じみたいなものだよ。
えいっ!ってやる時はグビッと呑んでした方が爽快だぞ。
死は迎えに来るものだと思っているよ。
さて、今から呑み始めます、どちらの皆さんもゴメンなさって!
キリストも「殺され」ています。死に方に優劣や善悪はないんだと思うんです。
ただ一般的に言えば、人間の手にかかって死ぬ方が、残された人に対する影響は大きい場合が多い。死という最期の大きな機会を利用して、世界に自分の何かを残そうとする潜在意思が自殺や他殺という形をとらせたりもするかもしれません。
念のためですが、上のコメントで私の言う「死ねる」とは、自殺できるという意味じゃなくて死ぬことを受け容れられるかな、という程度の意味ですよ。
酔うのは酒によるだけじゃなくて、身の周りにも「酔った」ような人は、自分も含めて本当にたくさんいます。偏執的に何かに固執すること、ある方面のことをあえて無視し続けること、情報の海におぼれること・・・すべて、体や心の機能を部分的に麻痺させて「一部化」してしまう、酔うという状況に近いです。
すると、世の中には「酔ってない」人を探す方が難しいなんてことになるかもしれませんね。
醒めてこの世を歩きたい、とは思いますが、私自身に果たしてそんな日は来るのだろうかと疑問に思ったりもします。
その時こそ、酒にも女にも、積み上げて来た自分自身の思いにも酔わなくなるのかもしれませんね。
素面で死にたかった太宰さんは、死ぬときは明確な意思で死にたいというのがあったのでは?彼なりの美学なんでしょうか。
ちなみに私はオフのときはほとんど酔ってます。
最近特に。
いろいろなものに酔いっぱなしdeath。