マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

8月後半

2015-08-29 00:03:22 | 教会の風景
8月後半、いくらか過ごしやすくなってきました。
体調を整えながら、教会の仕事と神学校の学びに取り組んでいます。

このところの学びは、現代神学のクラスのレポートのために本を取り寄せ、読書に励んでいるところです。
自分なりのテーマを設定するところまでもう少し。

さて、話は変わりますが、今度の日曜日は第5日曜日ですので、東京教会での合同礼拝です。
今回の礼拝奉仕は東村山教会の担当ですので、私が説教の奉仕となります。
ヨシュア記1章より準備を進めています。


最後に、月末を迎えましたので、8月の礼拝での旧約聖書の講解説教(申命記33章・34章)のあらすじを掲載しておきます。

 モーセは死を前にして、イスラエルの民を祝福した(33:1)。その祝福のことばでは、 主がエシュルン(イスラエル)の王となり(33:5)、力強い助けがあり(33:26)、「住む家」(33:27)だと述べられている。主が、民にとって安心できる身の置き所、永遠に 変わることのない支えとなっている幸いを思う。モーセは、「しあわせなイスラエルよ」 と呼びかけ、『だれがあなたのようであろうか』と続けた(33:29)。エジプトを出たイスラエルの歩みにも、多くの苦しみ、失敗と危機があった。それでも、主が救ってくださったという幸いはこの上ない。私たちは何をもって「幸せ」と考えているだろうか。
 ついに主のしもべモーセは最期を迎え(34:5)、務めはヨシュアに継承される(34:9)。 聖書は、「『モーセのような預言者』は、もう再びイスラエルには起こらなかった」 (34:10)とし、モーセを「顔と顔とを合わせて選び出された」特別な存在と伝える。それは奇蹟にも現れている(34:11,12)。しかし、(18:15)「私のようなひとりの預言者 をあなたのために起こされる」ともあるのは、どういうことか。(ヘブル3:1-6)では、忠実な主のしもべモーセに対比して、キリストが御子として忠実に神の家を治めると語られる。時代の変化を感じる昨今だが、イエスは今も変わらず忠実に神の家を治めている。私たちは、なおも主イエスに信頼し、望みを抱き続ける。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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