マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

宣言解除… 再開に向けて

2020-05-25 18:01:00 | 教会の風景

首都圏も緊急事態宣言が解除されることになります。とは言いましても、実際の生活はこれから徐々に戻っていくことになるのでしょう。

 

今日の午前中は、牧師仲間とzoomでのミーティング。有意義な学びの時間になりました。もうしばらくはこのスタイルを継続することになりそうです。

午後は、銀行などに用事で外出。運動も兼ねて、そのままいつものウォーキングコースをまわりました。日差しは強くて汗ばむくらいでしたが、木陰に入ると心地よい風を感じました。



 

緊急事態宣言の解除を受けて、今後は日曜日の主日礼拝再開を視野に入れ、準備していくことになります。6月第一週を目標に検討中です。

マスク着用や座席間の距離、換気等の基本的な対策はもちろんのこと、礼拝プログラムの内容や進め方にも配慮したいと思います。

 

さて、月末を迎えていますので、5月のメッセージの要約を掲載しておきます。旧約聖書からの2回分です。

 

2020年5月 Ⅰサムエル記14-15章

聖書箇所:サムエル記第一14章47-52節

題:『王とされたサウルの生涯』

 聖書は『王とされたサウルの生涯』を、(14:47,48)「さてサウルは、イスラエルの王権を握ってから、周囲のすべての敵と戦った。モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを敗走させた。彼は勇気を奮って、アマレク人を討ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した」と要約している。ここではサウルの欠点や失敗については沈黙し、彼の勇姿を伝えている。この箇所の表現には、サウルを王に選び、その務めに召して用いていた、神のいつくしみと真実を覚えずにはいられない。一方、(14:52)「サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その人たちをみな、召しかかえることにしていた」には、王国の基盤を軍事力で築き上げていこうとするサウルの考え方が反映されている。主への信仰にまつわる記述がないことと、彼の生涯に平和が訪れなかったこととは無関係ではなかろう。主に頼ることが信仰者の最善である。(ローマ11:29)神の賜物と召命は、取り消されることがない」と言われている。私たちは求め続けよう。神が私たちを召しにふさわしい者とし、用いてくださるように(Ⅱテサ1:11)。(2020.5.10)

 

聖書箇所:サムエル記第一15章1-9節

題:『わたしは覚えている』

 神は公平な報いをもたらす(ローマ2:6-8)。サウルが王になって月日は流れ、主は預言者サムエルにより『わたしは覚えている』と語った(15:1,2)。神が「覚えている(訪れる)」という場合、祝福もしくはさばきをもたらすのを意味する。このとき主が「覚えている」としたのは、南方の遊牧民、アマレク人のことだ。かつてエジプトから約束の地に向かうイスラエルを妨害した。その出来事は、当時すでに400年余りも過去のことだ。しかし、その後もアマレクはイスラエルで略奪をくり返していた(士師記6:3,4他)。主とその民への悪行は、時至ってさばかれる。それで、主はサウルにアマレク討伐を命じた。(15:3)「今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。」人も家畜も生かしておかずに、すべての戦利品を処分せよ、という厳格な命令だ。主のさばきの厳しさを物語る。ところが、サウルは敵の王の命と戦利品のうちの良い物を惜しんで、残しておいた。このように振る舞うことで、彼らは神のさばきを歪めてしまった。私たちの自分勝手な判断と行動で、神のみこころを損なうことがないように。(2020.5.17)

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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