マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

一つ終わりました

2008-09-26 18:47:17 | 神学校・講座
今日、新約各書の講義が終了しました。
12回に分けてテサロニケの手紙Ⅰ・Ⅱを学びました。
毎回のレポートもちょっと大変でしたが、身になったと思います。
クラスでの先生の解説や質問の投げかけも、とても勉強になりました

今日も続きの原稿をUPします。
テサロニケⅠ 5:12-28
「教会における平和と聖」

いよいよ手紙の締めくくりとなる。
パウロは、これまでと同じように「兄弟たち」と呼びかける。
そして、教会内の人間関係についての簡潔な命令を述べている。
まず、指導者への尊敬(12,13)を「お願い」として伝えている。
何らかの理由で、指導者に対する理解を回復する必要があったのだろう。
指導者への尊敬を回復することで、教会内の平和を取り戻し、保つことを期待している。
兄弟愛において秀でた(4:9,10)テサロニケの教会ではあったが、それでも教会内の人間関係の成熟のためにはアドバイスが必要であった。
彼らは、訓戒や励ましや援助を寛容な心で適切に行なうことを期待された(14)。
また、主イエスの示された規準(マタイ5:43,44)で善行に励むようにと忠告を受けた。

教会内の人間関係の助言に続いて、神への信仰者としての態度が確認されている。
神のみこころとしての「喜び」と「祈り」と「感謝」が個々の生活に根ざすようにという勧め(16-18)である。
そして、信者は自らの信仰生活に注意を払いながらも、御霊を忘れてはならない(19)。
預言についての言及も出てくる(20)。
一部の信者の逸脱した振舞いのために、本来向けられるべき御霊への信頼が失われていたのではないか。
もちろん、御霊の現われと主張される現象でも、慎重に判別し、善し悪しを見極め、取捨選択は大切である(21,22)。

これらのことが命じられる究極的な理由は何か?
パウロは祈りとともに明らかにしている。
神が、平和の神であり、教会を聖とする(23)からである。
テサロニケの信者たちが熱心に待ち望む、主の再臨に向けて、主の真実のゆえに、それは果たされていく(24)。

私たちも、これらの数々の命令を心に留めたい。
主イエスの再臨を見据え、神の望む平和と聖が、私たちの間に保たれるように。
そして、私たちを召された方の真実に信頼し、私たちの間で働かれる御霊に期待していこう。
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