マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

大切にしたいものです

2008-07-08 00:15:18 | 教会の風景
今日は休日ということで、しっかり休みました。
午後、教会の事務的な仕事を少ししましたが。
充電の日になりました。
明日からまたがんばります


さて、昨日の一日を振り返ります。


朝は分級からスタート
集まった方々と賛美と祈りの時間。
そして、「神の国はあなたがたのもの」から学びも。
義に渇くという面と義に満ち足りるという面を併せ持つ私たちについて。

続いて礼拝です。
礼拝説教は、創世記49章の後半から50章の最初の辺りからです。
「ヤコブの死」を迎える場面です。
「死」について考えました。

日常では「死」について語ったり、考えることはあまり歓迎されることではありません。
誰にも必ず訪れることなのに。
でも、死を意識することで、今の生を大切にできるのではないでしょうか?

 時を大切に。
ヤコブは死を意識した時、子孫の祝福の祈りと自分の埋葬への指示という行動を取りました。
その時その時に自分が何をなすべきかを知り、行動できることは幸いなことです。

 別れを悲しむ。
「死」は、当然のことながら、信仰の有無に関係なく訪れます。
「死」は、別れの時です。
ヨセフは、自然な感情として父との別れを悲しみました。
この自然な態度が、実はもっともふさわしく、必要です。
悲しい時は、悲しむ。
周囲(エジプト全土)も喪に服しました。
エジプトで権力者になっていたヨセフのゆえだったのでしょうが。
はるか昔から、しかも異教社会においてさえ・・・
悲しむ者とともに悲しむことこそ、
人が本来大切にしてきた態度でした。

 故人への尊敬や感謝を示す。
ヨセフは、父ヤコブの遺言を実現するように行動します。
埋葬についての指示は、神様に対する父の信仰の表明でもありました。
ヨセフは、父の意向を大切に扱いました。
パロもヨセフの願いを尊重しました。
エジプト式の葬儀を故郷カナンで7日間行うことを許しました。
もちろん、この場合、表面上エジプト式だったのでしょうが、
偶像崇拝的な要素は行われなかったと考えるのが妥当でしょう。

以上、これらを踏まえて・・・
確かに「死」に対しての態度を考えることは大切です。


しかし・・・
これらのことは大切ではありますが、「死」に対する根本的な解決にはなりません。
読んでいて、気付かれたことでしょう。


聖餐式でイエス・キリストの十字架での「死」を心に留めました。
「死」対する根本的な解決は、イエス・キリストの十字架の死にあります。
イエスの十字架の死は、身代わりの「死」です。
主の死を自分のためだと信じる者には、「死」に対する根本的な解決が与えられます。


イエスの死によって・・・

「死」は、神の裁き・滅び・永遠の別れ から
       
神のみもとに、永遠のいのち、再会の希望 を伴うものとなりました。


改めて、主の救いの尊さを心に留めました。
「死」について真摯に向き合えるのは、この救いがあるからこそ
イエス様の御名がほめたたえられますように
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