マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

一雨降って

2013-08-27 10:23:35 | 教会の風景


暑さもいくらか落ち着いてきました。
昨晩一雨降って、風も涼しく感じます。
秋の訪れを感じます。

さて、月末を迎えますので、2013年8月の礼拝説教のあらすじを載せておきます。
旧約聖書講解の分(民数記27:12‐29:40)です。

人口調査の後、主はモーセに「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルに与えた地を見よ」と命じた(27:12)。これはモーセの最期の告知だった(27:13)。メリバでの主への不従順ゆえに、モーセは民と共にカナンに入れない(27:14)。そこで、モーセは主を「すべての肉なるもののいのちの神」(27:16)と呼び、民に先立つ後継者を求めた。自らの生命と使命の終わりを受け入れ、民がこの先『飼う者のいない羊のように』なることを案じた。神は、「神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュア」(27:18)を任命するよう命じた。彼は若い頃からモーセの従者だった(11:28)。神はすでにその使命に生きる者を備えていた。牧会継承は一大事。主の備えを信じて祈る。牧者により群れはまとまり、落ち着いて御国を目指す。
ささげ物について、主は改めてモーセに命じた(28:1,2)。それは祭司が民を代表してささげるものだが、イスラエルの新たな世代にも周知させる必要があったのだろう。主はその犠牲を『なだめのかおり』の火によるささげ物と呼ぶ。罪に対する御怒りをしずめるものだ。神は律法で動物の犠牲を定めたが、それはキリストを示す型だと言われる。新約聖書によれば、キリストこそ「なだめの供え物」(ローマ3:25,1ヨハネ4:10)である。神がキリストを与えてくださり、私たちを御怒りから救ってくださったのだ。また、律法には、ささげ物を毎日、毎週、毎月、毎年の「定められた時に」、しかも「気をつけて(他の訳では忠実に)」ささげるようにと命じられている(28:2,28:3-29:40も参照)。イエス・キリストにより贖われた私たちはなおさら、ふさわしい感謝を絶えず神にささげていこう。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スッキリ片付け | TOP | 招待状 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教会の風景