マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

神の子どもとされる特権

2006-09-08 13:20:29 | 聖書通読
ヨハネ1:12,13
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

ちょうど今週は、ひとりの男の子の誕生で世間が賑わっている。
悲しいニュースの多い中、心がホッとするような知らせである。

さて、ちょうど聖書の通読箇所で、このよく知られた箇所を読むことになった。
今まで何度となく読んできたところであるが、あらためて神の子どもとされるということの大事さを心に留めた。

私たちが、この方と呼ばれているイエス様を受け入れ、信じるときに、私たちには大きな変化が生まれる。
それは外見上の事ではなく、立場、身分という点においてのことである。
もう少し説明を加えれば、神様の目から見た立場、身分のことだ。
イエス様を信じるとき、私たちは神の子どもとされると聖書は明言している。
しかも言うまでもなく、神の子どもとされることは特権である。

今週生まれたひとりの男の子も皇族に生まれたということで、注目され、その誕生が世界中に知らされている。
そして、多くの人がその誕生を祝い、喜んでいる。
その子自身は、特に何か大きな功績をあげたので皇族に生まれたというわけではないし、当然本人の意志で選んで生まれてきたわけでもない。
しかし、彼は皇族の一人として迎え入れられ、多くの人々の愛情と尊敬を受けて育っていくだろう。

それはちょうど神の子どもにも当てはまることだと言える。
私に関して言えば、神の子どもとされるような根拠となることは何もあげられない。
ただイエス様を信じ受け入れただけのことである。
聖書は、その信じたことでさえ、単なる私の意欲の結果ではないと教えている。
徹底して、神様の選びと恵みであるということだ。
それを思うと、神の子ども、クリスチャンであることは本当に「特権」だと思い知らされる。
「ひとりの人が悔い改めるなら、天に大きな喜びがある。」というのもうなづける。
神の子どもがひとり生まれるごとに、地上の人々の喜びに優る大きな喜びが天にはある。
神の子どもとされていることはすばらしい!
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