マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

ひどい言葉だ!

2006-09-14 22:58:12 | 聖書通読
ヨハネ6:56,57
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」

この言葉を含むイエス様の説教を聞いた人々の中には「ひどい言葉だ。」(60節)という判断を下した者もいた。
その文字通りの意味で考えれば、そう思うのも無理はない。
特に彼らの重んじている律法(旧約聖書)では、動物の血でさえ飲むことは禁じられている。(レビ記17:10)
しかし、イエス様が伝えたかったのは、当然文字通りの意味ではない。

ここでイエス様が伝えたかったのは、ご自分の死のことである。
「食べる」とか「飲む」というのは、「信じること」に置き換えることができる。
イエス様が十字架で死ぬことによって、信じる者は神様の中にとどまり生きる。
イエス様がその体に受けた打ち傷と流された血のおかげで、その身代わりを信じる者は永遠のいのちを受けることができる。

聖書は一貫して、私たちと神様との関係を築き、保つのは信仰によると教えている。
その信仰の根底にあるのは、関係が始まり深まるのも、ただ神様の方でしてくださったこと(聖書の用語で「御業」)に基づいているという原則だ。
私たちの行いの入る余地が無いということだ。
これを受け入れるのでなければ、真の救いのすばらしさを味わうことはできない。
また自分のプライドを持ったまま神様の前に立つことができないとも言える。
神様から一方的な憐れみと助けの手を必要としているという自分の霊的な腐敗を認めなければならないからだ。

それができなければ、その人は「これはひどい言葉だ!」と言って、イエス様の言葉を退けるしかないだろう。
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