音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

『ダーティ・ワーク』が齎した運命的出来事①

2009年10月07日 | インポート

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 ウォルドーフ・アストリア・ホテルで開催された「第16回ロックンロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)」の表彰式でキース・リチャーズは「サイドメン部門」のプレゼンターを務め、この時、この賞で殿堂入りを果たしたジェイムズ・バートン(g)とジョニー・ジョンソン(p)を紹介した。上の写真はその時のスリーショットである。 

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Rock & Roll Hall of Fame Greatest Moments: Keith Richards

 僕はローリング・ストーンズを介して彼らの名前を知った。特に、チャック・ベリーのバンドでピアノを弾いていたジョニー・ジョンソンというピアニストを知ったことは、その後の僕の音楽的志向を決定付けた。

 チャック・ベリーの映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で観た彼のプレイに圧倒された僕は、とにかく、このピアニストが何者か知りたくなった。その答えはじきに映画のなかでキース本人の口から語られることになったが、彼の本領をこの耳で始めて知ったのは、キャリア初のソロ作『ジョニー・B・バット』に於いてであった。  Johnnie_b_bad_2

 このアルバムには『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』でゲスト出演したエリック・クラプトンも参加している。勿論、キース・リチャーズも。現在この国内盤は廃盤となっているが、輸入盤でかろうじて入手可能である。

 プロデュースはキース・リチャーズとテリー・アダムス。レコーディングは1990年11月&12月、ニューオリンズにあるウルトラソニック・スタジオで行われ、キース・リチャーズが吹き込んだ「タングァレイ」と「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」だけが1991年1月、ニューヨークのソーサラー・サウンドでレコーディングされている。Dirty_work

 「タングァレイ」はジョニー・ジョンソンとキース・リチャーズの共作、「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」はマッキンリー・モーガンフィールド、つまりシカゴ・ブルースの巨人マディー・ウォーターズである。「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」といえば、ローリング・ストーンズの『ダーティ・ワーク』のラストで聴かれるストーンズのピアノ奏者、イアン・スチュワートのイントロ曲としても有名だが、スチュに捧げられたこの曲がジョニー・ジョンソンのソロでも聴けたことは嬉しかった。

 4歳で独学によりピアノを習い始めたジョニーの才能を周囲は天与のものと絶賛した。おそらく彼の知名度が出たのは『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』の成功によるものといわれているけれど、初期の成功に恵まれなかった理由のひとつに彼がヴォーカルに取り組むことを躊躇ったためだともいわれている。

 『ジョニー・B・バット』では彼の言葉を借りるなら「皆が寄ってたかって僕の腕を押さえつけ、歌わせたのさ」。ジョニー・ジョンソンのぶっきら棒な説教調の歌唱法は、この時、培われたものだろう。

 キース曰く、初めてチャック・ベリーのレコードを聴いたとき、「当時最初に知りたかったのは、“ジョニー・B・グッド”を歌っている男が誰か?ってこと。それにこのすげえピアノを弾いているのが誰か?ってことだった」と語っているように当時は、アルバム・ジャケットにパート別のクレジットなんて無かったのだ。

 けれど、イアン・スチュワートは1962年頃にそれがジョニー・ジョンソンだと確認してくれたそうだ。こんなこともあってキースはジョニー・ジョンソンのアルバムで「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」を歌ったのだろうか。(『ダーティ・ワーク』が齎した運命的出来事②につづく…)