音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

毒にもなり薬にもなる

2008年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 彼岸花が咲いている。またの名を曼珠沙華とも呼ばれるこの花は、決して珍しい花という訳でもなく、秋も深まる頃、路傍や土手の斜面、日本全国、あらゆる場所で咲いている。コスモスやタンポポのように時期が来れば咲く、そんな有り触れた花なのだが、どういう訳か、僕はこの花が苦手だ。カメラを向けたが、その余りの毒々しさに、恐れ戦き、ついにシャッターを切れなかった。この花は、鱗茎にアルカロイド系の毒(リコリン)がある。猛毒というほどでもなく、食べても死ぬ事はないそうだが、おそらく子供や老人が飲めば吐き気、嘔吐を催すこと明確で、子供の頃はよく、その花には近づかぬよう母親に諭されたものだ。

 しかし同時にこの花にはリコリンが持つ神経毒が、鎮痛薬として用いられる事もあり、坐骨神経痛などの特効薬としても知られている。リコリンはこの花のすべてにあるが、特に鱗茎(地下茎、球根をさす)には多く含まれている。僕は30代の頃、坐骨神経痛を患い、針治療や接骨医院に通い、治療を行ったが、すこしも改善されず、暗澹たる思いで過ごしていたが、ついに烈しい痛みで歩けなくなると、そのまま寝たきりの状態になってしまった。会社を休んで数週間もすると、上司がその後の経過を聞きに電話をかけてくる。しかし最早立って歩ける状態になく、すべて母親が応対していた。

 ある時、何処からか彼岸花が神経痛に効くという噂を聞きつけた母親に、最後の望みを賭け、聞いてきた要領通りに、ちょうど彼岸花の花堕ちる頃、鱗茎を丁寧に摩り下ろし、ガーゼなどに湿布し、患部(というか足裏)にあてて看る事になった。すると、しばらくして刺すような痛痒感の後に、心地よい痺れが襲ってくると、不思議と傷みが和らいでいくような安堵感が湧いてくる。痛みで碌に睡眠も儘らなかった僕の体が、嘘のように安寧を取り戻す。

 翌朝、僕は元の状態とはいい難かったが、風呂にも便所にも一人で歩いて通えるようになった。それまでは両肩を支えられての歩行だった。そのとき、ひとりで何もかもが出来るようになる事がこんなに痛快だとは知らなかった。結局、足に残っていた違和感が消えたのは数年後の事。香住のすずかぜマラソンにも参加し、山歩きをして植物の観察が出来るようになったのはすべてこの花のお陰だし、献身的な母親の介護のお陰と感謝しても言い尽くせない。そんなこんなで月日が経ち、両親も老い、父親が病に臥せると、僕はあれ程好きだった釣りをやめてしまった。所詮釣りが、漁師とは違って、無闇に命を摘み取る行為に思えたからだ。

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 釣りはやめてしまったが、当時、釣りと同じくらい好きだった読書は今も僕の趣味のひとつである。このブログではすこしも触れたことはないが、僕には師と仰ぐ作家がいる。それは、開高健(カイコウケンとも読むが、正しくはカイコウタケシと読む)という作家だ。食道楽の話を書かせたら彼の右に出る作家は居ないと思っている。代表作の『輝ける闇』や『夏の闇』はよく読んだ。けれど僕はこうした小説よりも彼が書くルポやエッセイを好んで読んでいたような気がする。『オーパ』4部作や『開口閉口』は間違いなく僕の愛読書だった。僕は子供の頃から至って食い意地が強い方だった。そんな僕の趣味、嗜好がこの作家と相性が良かったのかも知れない。僕はこのブログで食い物について書くことがあるが、それはこの作家の影響が強いようだ。氏曰く、「高級な料理について書くことはとても難しいが、安くてしかも旨い料理について書くことは、それよりも更に難しい」。僕はこれに倣って安くて旨いものを褒め称えるようにしている。というか、もともと定食屋の飯が好きで、舌はかくべつも肥えてはいないのだが、食い物の話は、高かろうが安かろうがそれなりに興味はあるし、珍味だろうが、妙味だろうが、一通り試して評価したくなるのはこの作家と似ているところかもしれない。

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 僕は先日立ち寄った本屋で購入した開高健が著した『最後の晩餐』を読んでいる。ユダがキリストを裏切る事になる、最後の宴を描いたレオナルド・ダビンチの絵画から題名を取ったこの本は、全編食い物の話で構成されている。戦争時のエピソードも交え、余りのエグさに思わず身悶えし、眼を覆いたくなるような描写にも素直に享受し、僕は時に感銘し、時に狼狽し、時に感動しながらこの本を読み進めている。病院の待合室の棚に置いてあった『開口閉口』を手に取り、久し振りに読んだが、全部読みきれずに、名残惜しみながら、その場を離れた。けれど、その後続きが読みたい衝動に駆られると、僕の足は自然と本屋に向かっていた。読み出したらとまらない求心力のある作家を、僕は彼以外、他に知らない。