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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

十字架を愛する人は少ない(マタイ16;24)

2006-09-15 10:56:32 | マタイ
わたしについて来たい者は、
自分を捨て、
自分の十字架を背負って
わたしに従いなさい。(マタイ16;24)


『キリストにならう』バルバロ訳(ドン・ボスコ社1967年)


ある人からこの本を見せて貰った時、
最初にこのページが目に飛び込んで来た。
自分の事を言われていると思った。


 11.イエズスの十字架を愛する人は少ない

  イエズスの天の国を愛する人は多いが、
  その十字架をになおうとする人は少ない。
  慰めを望む人は多いが、
  苦しみをのぞむ人は少ない。
  イエズスと共に食卓につきたい人は多いが、
  イエズスと共に断食する人は少ない。
  キリストと共に楽しむことをのぞむが、
  キリストのために、
  何ごとかを忍ぼうとする人は、
  すくない。
  多くの人はその奇跡に驚嘆する、
  しかし十字架のはずかしめ迄つき従う人は、
  すくない。
  多くの人は不幸が来ない限りイエズスを愛し、
  慰めを受けている限り彼を祝する。
  しかしイエズスが姿をかくし、
  暫くの間でも、彼らから離されると、
  不平をいい、ひどく落胆する。
  しかし、
  イエズスから受ける慰めのためではなく、
  イエズスをイエズスとして愛している人は、
  患難や苦しみのときにも、
  慰めのときと同様に、かれを賛美する。
  そしてイエズスがいつまでも慰めを与えなくても、
  かれらはいつも、感謝と賛美を怠らない。
         (『キリストにならう』バルバロ訳
            ドン・ボスコ社 1967年より)


私自身とイエス・キリストについて考える。
今の私は、
目先の問題や日常の様々な問題、
足りない事、
不愉快な事、
我慢しなければならないならない事、
疲れた事、
解決できない問題について嫌気が差し、
今まだ生きている事自体に嫌気が差し、
生きろ生きろと急かされ追い立てられて仕方なく生きて、
しなければならない事を仕方なくしている、
そんな人間だ。
最近は祈り求める姿勢すら失っている。
牧師批判をして教会を立ち去った人のような、
祈って拝み倒すほどの熱意もない。
私という人間は困難や欠乏に直面して途方に暮れても、
祈る前から諦めて期待しない、待たない、そんな者だ。
それでも私はイエス・キリストが
こちらに手を差し伸べておられるのを感じている。
感じていながら御手が遠いと不満に思っている。


自分の魂の危機を感じる時、
私は立ち返るために昔の自分を思い出そうと試みる。
キリストについて何一つ知識がなく、
信じる事と祈る事を教えてくれる人も身近に無く、
聖書の文字を読む事すら出来ない子供だった時の自分を。
キリストを知るための手掛かり足掛かりもなかったのに、
キリストが何かしてくれるという認識すらなかったのに、
テレビの白黒画面の中の
十字架に架けられたイエス・キリストが
ただイエス・キリストだというだけで
追い求めていた頭の変な子供。
イエス・キリストが誰なのかも知らないのに追い求め、
御姿を思い描き、
英語教室のあった教会の
入り口の棚の聖書を内緒で開き盗み見て、
読めない文字を読もうとした、
不健康な子供らしくない子供。


今、キリスト者でありながら心を病み腐らせている私は、
あの飢えた子供の心理に立ち返りたいと思う。
無心にイエス・キリストを慕い、
追い求めていた子供の心理に。
そして、賛美歌の歌詞を反芻したりする。


  主は命を与えませり
  主は血潮を流しませり
  その死によりてぞ我は生きぬ
  我何をなして主に報いし

  主は御父の元を離れ
  侘しき世に住み給えり
  かくも我が為に栄えを捨つ
  我は主の為に何を捨てし
          (賛美歌332 日本基督教団出版局)


自分が慰めを得るためではなく、
イエス・キリストをイエス・キリストとして愛する。


あの時の子供は
イエス・キリストが自分に
何かしてくれるからという理由で
追い求めていたのではなかった。
ただ訳もわからずイエス・キリストが好きで
後を追いかけようとしていただけだった。
そんな
キリストについて何も知らなかった時の私の方が
今現在の私よりもキリストをもっとよく知っていて、
キリストともっと親しくて、
キリストをもっと愛していた。
だから私はそこに立ち返りたいと思う。

肩甲骨

2006-08-22 00:33:27 | マタイ
マタイ3;16


背中と肩と頸が凝って痛い。
特に肩甲骨の内側が。
フラ・アンジェリコとかルカ・デラ・ロッピアとか
ルネサンス時代のキリスト教美術に描かれた天使には
肩甲骨から翼羽が生えている。
誰が考えたのか
何でこんな変な場所から
鳥類の翼羽が生えてるんだ?
飛び難そうだ。
こんな場所から鳥の翼羽なんか生えてきたら
どうやってマッサージするのだ?
さぞ不愉快だろうな。


聖霊の絵だって、
神の霊が鳩のように・・・と書いてあるのに
「鳩のように」というからには
鳩ではないじゃんか。
何で聖霊が鳩の絵なんだ?

木が育つのを見たい(マタイ13;31~32)

2006-08-09 04:06:54 | マタイ
天の御国は、からし種のようなものです。
それをとって、畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのですが、
成長すると、どの野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。
                   (マタイ13;31~32)


ラルフ・バックウォルター宣教師の詩に、
「木が育つのを見たい」がある。


木が育つのを見たい

木が育ち 空に伸び
 葉を一杯につけた腕を
大きく拡げるのを見たい、
 緑の天蓋の下で
休んでいる人々に
 木陰と涼しい喜びを与えるのを見たい。

木が育つのを見て
 手をたたいて
喜び、父なる神である
 創造主を賛美したい、
森に
 生ける美をまとわせてくれるから。

木が育つのを見たい、
 なぜなら創造主が
木の形を
 私の中に作ってくれるから―
それは緑の天蓋の下で
 休息する人々に
木陰と涼しい喜びを与えるためのもの。
 (ラルフ・バックウォルター著矢口以文訳
    『バイバイ、おじちゃん』1986年響文社より)


昔、小学校の夏休みに
科学館のプラネタリウムを見に行こうとして
バスを降りると、
当時まだ舗装されていなかった道路の奥に
可愛い教会があった。
バックウォルター宣教師が
メノナイトの福音伝道の活動拠点にした、
この地で最初の教会だった。
8年前に私がこの土地に戻って来た時、
その教会はまだそこにあった。
週日だったので扉には鍵が掛かっていた。
会堂は古い写真のままだった。
前庭の木立が大きく育って、
野鳥の群れが敷地を占領していた。
昔は英語教室もしていたという。
子供が大勢集まり過ぎて
教室を2つに分けたという話を
バス道路沿線の喫茶店の店主から聞いた。
彼も昔、そこに集まった少年の一人だった。
街の画家が描いたその教会の絵を、
彼は自分の店に飾っていた。
その絵は今、古い教会員が買い取って大切にしている。
バックさんは30年後の教会にどんな夢を持ち、
どんな想像をしていただろう。
小さな額縁の中の教会は、
画家の目を通して可愛らしく鎮座していた。


時代は変わって、
この街から札幌や東京へ人がどんどん流れ出て行った。
仕事を探して。
かつては天幕伝道や英語教室や
映画の上映会やクリスマスに
大勢の若者や子供達が詰め掛けた。
楽しい賑やかな時代が過ぎ去って、
彼らがこの街から姿を消しても
教会に残った人々は神を賛美し
聖書を開いて会の灯を絶やさず祈りを捧げ、
キリストの体を支え続けていた。
私は知っている。
通りすがりに見かける懐かしいあの教会もこの教会も、
その建物の内側には
生きたまま血を抜かれるような苦しい闘いをしながら
この土地でキリストの体を支え続ける信仰者達がいる。


あの可愛い教会は数年前この地上から消えた。
教会員達が天に帰り、或いは自ら立ち去り、
そして他の土地に仕事と住まいを探して
この地を去って行った。
教会に集まる人が減って
真夜中に若者が侵入して敷地内で悪さをし、
泥棒に灯油を抜かれても無防備なまま、
充分に対策して持ち堪えるだけの
力は残されていなかった。
最後にその扉を閉じた人達の気持ちを思うと
泣きたくなる。
自分が招かれ、祝福され、洗礼を受け、
聖書を分かち合い、賛美歌を歌い、
兄弟姉妹と話し、天幕伝道や街頭の募金活動をし、
大鍋で作ったカレーライスやうどんを共に食べ、
卓球をして遊び、
時に議論や衝突も苦い痛みも味わい、
結婚式をし、子供が生まれ、
たくさんの仲間を迎え、
先輩達を天に見送り、
そうやって苦楽を共にしてきた自分達の帰る家が
この地上から消える。
皆が貧しく物も金も充分なかった時代に
たくさんの仲間の手と熱意で、
まさに自分達の手で土台を据え、
力を合わせて建て上げた会堂の扉を、
最後に残った人達はどんな思いで閉めただろう。
自らの手で扉を閉めたその痛みは想像もつかない。


街に住む人は
あの可愛い教会をよく憶えていて懐かしみ、
何とか残せなかったんだろうかと言う人もいた。
私の職場にいた看護助手のおばさんもその一人だった。


「バックさんの子供達が赤ん坊の頃から知ってるよ。
 あの会堂を建てた時、私は手伝ったんだ。
 寂しいねぇ。何とか残せなかったのかねぇ。」


あの建物を惜しんだ人はたくさんいる。
実際、
遠くから教会を眺めていた人や
かつて教会から自分の意志で立ち去った人や、
教会に足を踏み入れた事すらない人までが
あの会堂を惜しんだと聞いた。
通りすがりの小学生に過ぎなかった私でさえが
気に留めていたのだ。
あの会堂がどれ程人から愛されてきたか理解できる。
しかし
皆に惜しまれたあの建物の内側にいた人達、
キリストの体を支えるためあらゆる犠牲と
時間と祈りを捧げ続けていた人達の存在に
目を留めた人は
建物を惜しむ人々の中にいただろうか。
扉を閉じるもっと前に。


誰か一人でもその祈りと賛美の輪に加わるか、
それが出来なくても
中の人々の背負っていた重荷に心を留めて
励まし力づける事が出来なかったのは何故だろう。
無関係なその辺の人ではなく、
別の教会で信仰生活を営む信者でもなく、
かつてあの教会に直接関わりながら離れ、
会堂の建物を懐かしみ惜しむ人達の中から
再び教会に足を運ぶ者が起こったなら、
教会は今もそこに生き残っていたかも知れない。
何故なら、
本来は彼ら自身が教会だったのだから。
教会は建物ではなく生きたキリストの体だから。
会堂の内側で兄弟姉妹が主なる神に捧げる
生きて血の通った祈りの灯し火こそが教会だからだ。
それこそが教会だったのに、
何故皆、建物だけを惜しがったのだろう。
人が立ち去って灯し火が途絶えた時点で、
既に教会はこの地上から取り去られ、
消えて無くなっていたのに。
後に取り残された抜け殻の建造物を
外側から懐かしがり愛しんで教会と呼んでも、
拝んでいる相手は偶像。


私がまだ洗礼を受けた札幌の教会にいた頃、
青年会に集まっていた学生の一人が
雑談の中で言った言葉を思い出す。
私は思う。
当時やっと20歳になるかならないかだった学生。
彼の言っていた事は正しい。
キリスト教徒になって半世紀も経つ大人達の方が
全然解ってない。


「教会って、
 ボク達に与えられた信仰生活の場、
 帰るべき家として神様がボク達一人一人に
 与えて下さったものだと思う。
 誰でもみんな出会いを通して
 それぞれ自分の居場所を与えられてる。
 だからボク達は感謝して
 神様から与えられた居場所で忠実に働くべきなんだ。
 いつか別の場所に行って新しい仕事をしなさいと
 神様から新しい道を与えられるまで留まるべきだ。
 自分から好き嫌いで教会を選んで
 離れたり移り歩くのは、
 ボクはキリストの弟子の道とは違うと思う。」


(その通りだと思いませんか?)


でも大丈夫。
建物の扉を閉じて、
会堂がこの世から姿を消しても、
一つの仕事を忠実に果たし終えたのなら、
次の新しい家と仕事がまた与えられる。
そしてまた新しい働きをして、
木は枝を伸ばしていく。
私はそう信じる。

星(マタイ2;1~12)

2006-08-05 21:48:22 | マタイ
これを書いている8月5日は
真夏なので、
巨大な十字架の形をした白鳥座は私達の頭上にある。
空のぼんやり明るい街中でも目立つ。
今は天頂の天の川にあるこの十字架は
冬になると
西の地平線に直立する。
地平線に立つ十字架は天頂にあった時よりも
一際大きく見える。
大体11月半ばの午前0時には
デネブを上に、アルビレオを下にして
白鳥座の十字架が西の地平線に直立するのが見られる。


(時期は
 早くて10月半ば午前2時頃から、
 毎日少しずつ見える時刻が早くなっていって、
 遅くても2月半ばの夕方6時頃までは、
 上の絵と同じ光景が
 北西の地平線上に綺麗に見えるよ。)


私は毎年それを見て、
占星術の学者達が救い主の星だと
はるばる東の国から西に向かって
長い旅に出た気持ちを想像する。
あの十字架の所まで行くと救い主がいるかも・・・
そんな空想をさせる光景が
あと3ヶ月もすると毎晩見られる。
そして
西の地平に立った十字架は一度地平線に半分沈んで
3ヶ月間は他の星々と見分けがつかなくなる。
占星術の学者達が途中で目当ての星を見失ったのも
何だかわかる気がする。
この十字架は、
3月半ばには寝そべったまま東の地平線から
再び姿を現す。
その頃にはもう春になっている。
羊が子を産むのため羊飼い達が寝ずの番をしたのも
この季節ではないだろうか。
で、天使が彼らに言うのだ。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、
 どこにおられますか。
 わたしたちは東方でその方の星を見たので、
 拝みに来たのです。」(マタイ2;2)

占星術の学者達は一度見失った目当ての星が
再び東から天頂に昇ったのを見て大喜びしただろう。
そこで幼子とその母に出会った。
幼子は生まれて3ヶ月頃、
まだ抱っこされていただろう。
頭上には
占星術の学者達を遠い旅路に駆り立てた星が
天頂で輝いていた。

安息日(マタイ12;8)

2006-07-19 04:55:59 | マタイ
人の子は
安息日の主です。(マタイ12;8)


脳外科の看護学生になった頃から、
私は殆ど礼拝に出られなくなり、
受洗5年めにして教会の幽霊同然になった。
毎週日曜日は教会に行きたいけれど、
休日のシフトは他の数人の看護助手達と一緒に組まれていた。
私が日曜日に休みだと誰かが私の代わりに出勤する事になる。
自分は主日礼拝を犠牲にして日曜出勤するが、
看護助手達は日曜日に家族を置いて働くのだ。
私は日曜日に無理矢理働かされるような被害者意識を抱いて、
むきになって日曜日に休日希望を申請していた。
当然の権利と思って。
毎週のように日曜出勤する同僚達の子供が
母親のいない日曜日に作り置きのおかずで
ぽつんと食事する事も承知の上だった。
今となっては呆れ返る思いやりのなさだ。
自分の言い分を押し通したいだけで
安息日の本当の重さを考えた事すらなかったくせに。


私は普段患者さんに対して
自分からキリスト者だと名乗り出たりはしない。
患者さんの方から信者だと表わせば、私もですと名乗った。
病気で苦しみに追い詰められ逃げ場を失った人にとっての
「宗教」の持つ脅迫的で排他的な力を知っていたからだ。
患者さんの神経を逆撫でしたくなかった。
医療現場での最低限度の配慮と思う。
精神科外来の医師もキリスト者でカトリックの信徒だったが
自らをキリスト者だとはいちいち言葉で表明せずに、
自暴自棄と自殺企図に陥った人に
キリストの死生観を以て生きる事を説きながら、
キリストという言葉を使わずに福音を言い表わしていた。
私もその姿勢に習いたいと思った。
いや、今も思っている。


そんな日常の中でも、
私は何人かの患者さんと出会いを喜び合った。
学生の頃には、2人のキリスト者と出会った。


一人は、脳出血の手術後だった。
MRIのため身につけた物を全部取り外すと、
その人は小さな小銭入れを手に握っていた。
「検査中、お財布が心配ですか。」
その人は言いにくそうに答えた。
「小銭じゃないの。中に十字架が入っているんです。」
見ると中身は小さな木製のロザリオだった。
ロザリオにもケースにも磁性体金属は含まれていなかった。
「手に持っていていいですよ」
カトリックではないが私もキリストを信じており、
洗礼を受けた者だと名乗った。
その人は微笑んだ。
病状が安定せず安静臥床のまま動けない。
頭痛と嘔気の繰り返しで祈りもままならない。
聖書も読めない。
意識不明の人と24時間2人きりの病室。
それでもキリストを忘れないように、
キリストがそばにいて下さると信じて
その人は十字架を握っていた。


日曜日。
私はその人の口にお粥を運んでいた。
その人は私に話しかけてきた。
「今日は教会に行けなかったんですか。寂しいですね。」
「洗礼受けてても全然証しになってない、
私は教会の幽霊なんですよ。」
「きっとまた行けますよ。」
「そうですね。」
教会には今は行けないが、
私達は同じ唯一の神に救いの望みを置いている。
そんな人と仕事の現場で出会えた事が嬉しかった。


月曜日。
久しぶりに礼拝に出る事のできた日の翌朝に、
その人は声をかけてきた。
「昨日は教会に行かれたんですか。」
「はい。洗礼を受ける決心をした人がいました。」
その人は一緒に喜んでくれた。


人間の意識がいかに脆いかを私は知っている。
今は考えたり思い悩んだり、迷ったり祈ったりしていても、
何かちょっとした事で意識は湯の中の角砂糖のように崩壊し、
あまりにも簡単に消滅するのだ。
それが現実、それが人間なのだと思った。
いつか将来、故障し崩壊した自分を想像する。
その時私はキリストを忘れるだろうか。
ベッドの中で手に小さな十字架を握っていたその人は、
消え入りそうな意識の下でもキリストにしがみついていた。
キリストに望みを置く者は、自分自身を失いそうになっても
救いの確信を手放したりしないのだと姿に表わしていた。


土曜日。
帰りがけにその人が声をかけてきた。
「明日はお休み?じゃあ教会に行けるの。よかった。」
「お祈りします。」
「ありがとう。」
握手した。
教会の兄弟姉妹に祈られて患者さんの枕元に行き、
患者さんに祝福されて教会に行く。
そんな自分を幸せだとしみじみ思った。

握手(マタイ18;12~13)

2006-07-19 04:54:25 | マタイ
もし、だれかが百匹の羊を持っていて、
そのうちの一匹が迷い出たとしたら、
その人は99匹を山に残して、
迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。
                 (マタイ18;12~13)


脳外科の病棟で一人のキリスト者と出会った。


その日私は入浴介助の搬送係だった。
ストレッチャーの準備をしていると、
私を指差しておかしな事を言う人がいた。


「あんた、胸に何付けてんだ?
 卍のマークに見える。」


その人は意識障害があっていきなり興奮する事があると、
他の職員から聞かされていた。
私は黙々とその人のバスタオルを出していた。
その人はそれでも話しかけてきた。


「卍のマークなんか付けて、
 あんた何か宗教団体の人か。」


その人が卍のマークと指差していたのは、
私の白衣の胸ポケットのネーム刺繍だった。
その人は脳出血の後遺症で視覚障害があり、
物がブレたりボンヤリかすんで見えたりしていたのだ。
そうか。
井上の「井」はブレてかすめば「卍」に見えなくもない。


「宗教だ宗教だ。
 何か変な宗教の信者がいる。」


変な宗教って・・・。
その頃、ちょうど
オウム真理教がテレビや新聞を賑わしていた。
なおも指差して言い続けるその人を、
私達は思わず笑いながらストレッチャーに乗せた。


「これ私の名前。
 井上の井ですよ。
 ごめんね変な名前で。
 病院で働いてるのに
 卍のマークなんて胸に付けませんよ。
 それに私キリスト教徒だし。」


「あんたクリスチャンか。」


おお。その名称。


「はい。」


その人は急に表情が変わり、泣き出しそうな顔で言った。


「ああ。俺もだ。
 俺、昔カトリックで洗礼を受けた。
 教会にも行ってた。
 何十年も昔の事だ。」


そうだったのか。
この人は若い頃にキリストに出会っていたのか。
救いを求め、神に招かれて教会を訪ね、
望んで成人洗礼を受けていたのだ。
その道程にどんな試練があったのだろう。


そんな事を考えながらも私は同僚と共に
急いでその人の衣類を脱がせ、
二人掛かりでストレッチャーに寝かせた。


「井上さんか。あんた勇気あるな。
 人前でクリスチャンだと名乗れるなんて。
 俺はダメだ。
 自分からクリスチャンだとは名乗れないし、
 教会から離れてもう何十年だ。」


「さ、行きましょう。」


その人は私に手を差し出した。


「握手してくれ。」


その人の手は力が強くて痛かった。


数ヵ月後、その人とは廊下で再び行き会った。
車椅子で一面ガラス張りのデイルームで陽を浴びていたが
その人の方から気づいて私に声子をかけてきた。


「やあ、井上さんじゃないか。」


驚いた。
たった一度浴室に運んだだけの私を憶えていたなんて。
視覚がブレているのに私を見つけて声をかけてくれた。
また握手した。


次に会った時、その人は植物状態だった。
身内の人は見かけなかった。
やがて人工呼吸器は片付けられ、
病室の名札も外された。


握手を求めてきた時、
あの人はキリストと和解したかったのかも知れない。
若い頃の信仰生活から遠ざかったまま
見捨てられた気持ちでいたのだろうか。
あんな形で出会ったのは、
神様が迷い出た羊を探していたからだろうとか、
見放したりなんかしてないと示されたのだとか、
私は後になってしばらくあれこれ考えた。
病室の名札が外されたのを見てから。


あの人が握手を求めてきた時、
どうして私は言わなかったろう。
言うべきだった。


神様はあなたを忘れたりしていない。
あなたが忘れても、遠ざかって離れたつもりでも、
神様はあなたを忘れていない。

映画(マタイ21;12~16)

2006-07-01 16:13:56 | マタイ
マタイ21;12~16


5歳の時、
私はテレビで放映された洋画劇場をたまたま見た。
イエスが群集や兵隊達に捕まって殴られ、鞭で打たれ、
何も悪いことをしないのに殺される。
血まみれのイエスは自分の身長の倍もある十字架を背負う。
石段、石の壁、石塀、石畳、飛んでくる石…。
それでもイエスは十字架を背負って
よろよろと丘に向かって進んで行く。
群衆は興奮して殺せと叫び、
病人達は見えないから目を治せとか、
歩けないから足を治せとか要求ばかりする。
イエスは力尽きて倒れ、十字架の下敷きになる。


幼稚園児の目には何が何だかわからないまま、
「あの何も悪いことをしていない人」が
手のひらに太い釘を打ち込まれ、十字架にぶら下げられた。
納得がいかなかった。
私は後々まで母を追い回し、キリストの事を聞いた。
「あれは映画の中の話!」
母は私があまりしつこいので癇癪を起こし、
百科事典のキリストの頁を開いて放り投げた。
「これでも読んでなさいっ。」
私は漢字抜きでその記事を読み、
「鞭打たれるキリスト」の絵を見て考え込んだ。
宗教色のない家庭に生まれ育った私が
人生で初めて事典を開いた言葉は『キリスト』だった。
これははたして良いことなのか?


私は洗礼を受けたいと思い始めた頃から
その白黒映画を探していた。
探し始めて14年も経った今になって、
あの映画がパゾリーニの『奇跡の丘』だと判った。
音楽に聞き覚えがあって、すぐに思い出した。
(それにしてもこの映画、選曲がめちゃくちゃだ。
 好きだけど。)
キリストが黒髪黒眼で、
だだっ広い丘のシーンに見覚えがある。
泣き崩れるペテロの姿を覚えている。
映画の展開は最後の復活に至るまであまりにも淡々と、
そっけない。


この映画の中で
イエスが神殿に居座る商人達を追い払い、商品を蹴散らし、
パリサイ人や律法学者達と睨み合いになろうとした時、
杖をついたケガ人や病人達と共に大勢の子供達が
なだれ込んでイエスを取り囲む。
子供達はみんな貧しく汚い身なりで、歯の欠けた子もいて、
各々手にした樹の枝を振り、
わあわあとイエスへのエールを叫ぶ。
あまりに騒然となって、一同一瞬呆れ返る。
終始一貫して無愛想なイエスが唯一この時だけ笑った。
ちょっと呆れたような、慈しむような表情で。
私はイエスを取り巻いて大騒ぎするばばっちい子供達に
感情移入していたかも知れない。


結局、
あの映画を見てから25年も経って私は洗礼を受けたが、
自分の信仰告白に至るまでの道程を考えると、
最初にキリストの存在を認識したのはあの映画だったと思う。
イエスの十字架は、
私にとってこの世の不条理そのものだった。
たかが映画、されど映画。