今日からまた
じじと一緒に福音書を読み始めた。
私がじじに話した説明を記録するべく、
7つめのブログを立ち上げた。
私、変な事たくさん喋ってるからなぁ。
今までの
ひまわりの壁紙のブログはじじの受洗まで。
マルコを読み終え洗礼式を無事終えて完結とした。
今日からは新しくマーガレットの壁紙。
こっちは当分長く使い続けるであるよ。
のんびり、ゆっくり、
じじと私が一緒に新約を読み終えるまで使う。
今はもう、
"洗礼式までに間に合うように"という期限がないので
ただ楽しく、
じじが惚れ込んだイエス・キリストに親しんで貰う、
そのために楽しんで読めるようにする。
ゆっくり行こうや。じじ。
一日一章も進まなくていいから、
福音書に親しみ、楽しんで味わおう。
そんな訳でまた珈琲を入れ、
主の祈りと使徒信条を唱え、
私が一言祈ってから聖書を開いた。
マタイ1章の系図。
カタカナの人名の羅列。
でもここは端折らないよ。
じじ、
ルーペで読みながら目を白黒させている。
「何だかさっぱりわかんないでしょう。」
「いやーこれは何が何だかさっぱり。。。。orz」
私も旧約聖書を最初から読み通すまでは
マタイのこの箇所は飛ばして2章から読んでいた。
作家の筒井康隆が
聖書をネタにして『バブリング創世記』を書いた、
まさにそのネタ。
私は筒井康隆に同属Bの匂いを嗅ぎ取って
『バブリング創世記』のカセットテープまでも買い、
今も後生大事に持っているであるよ。w
カセットテープを再生する器械がないので聞けないけど。
「♪ドンドンはドンドコを生み、
ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、
ドンドコドンはドンタタタを生めり・・・」(テキトー)
聖書に馴染んでない人が読んだら
訳の分からない箇所であるに違いない。
「昔、終戦後に伝道師の人達が
焼け出された人や人生に行き詰った人達を
訪ねて歩いて、
新約聖書を配って歩いたんだけどさ、
キリスト教に興味持ったり入信したいと思って
この新約を冒頭から読み始めたら
カタカナの名前ばかりズラズラ並んでて
聖書読むのを断念したとか挫折したとか、
そういう話を聞いたよ。」
「そりゃーそうだろう。
何だかさっぱりわからん。(`´)=3」
「これ、系図なんだよ。
日本人と同じでさ、
イスラエルの人達は自分の家系を
すごく大切にしていたのさ。
周辺の大国に何度も侵略されたから、
自分が誰の子孫で系図の何処にいるかは
大事な事だったんじゃないかな。」
「ほぉ。」
実は、
じじは井上家の一族の系図を大事に持っている。
じじの亡くなった叔母が一族の戸籍を辿って調べ上げ、
約150年ほども遡って徳島のご先祖まで辿り着いた、
手書きの家系図。
100年前に徳島から北海道の手塩に駆け落ちした、
ひいじいさんとひいばあさんの親とその親の親と・・・・
そして子孫はじじも私も妹も載っている。
「キリスト教は
イエス・キリストを信じれば救われるというのに
何でこの福音書の冒頭に
こんな系図が要るかというと、
このマタイの福音書は
ユダヤ人達を対象にして書かれたと言われてるのさ。
十字架で死んで甦ったナザレのイエスが救い主だと
宣べ伝えようとしても、
きっとユダヤ人達は突っ込み入れたのかも知れないよ。
"ナザレのイエスが救い主だぁ?
救い主はダビデの子孫に決まってるだろう。
ナザレのイエスとは何処の馬の骨だ?"
なんて言う人がいたりしてさ、
イエスを救い主とする根拠を系図という形にしないと
ユダヤ人達は耳を貸さなかったんじゃないかな。」
「なるほどなぁ。」
「イスラエルの開祖アブラハムから
イスラエル統一国家の王ダビデまで14代。
ダビデの王国は繁栄したけど子のソロモンの代から
大勢の女を囲い込んでハーレム作って、
その女達が本来のイスラエルの紙への信仰とは別の
偶像崇拝を持ち込んで、神の怒りに触れて、
王国は南北に分裂して、
バビロン、アッシリア、ペルシャ、ローマなど
周辺の大国の侵略を受けたのさ。
バビロンへは捕囚と言って
生き残った人達がバビロンに連行されて
長い間戻って来れなかったんだよ。
そのダビデからバビロン捕囚までが14代、
バビロン捕囚からイエス・キリストまでが14代だって。
そうやって説明しないと
その先の福音に耳を傾けなかったユダヤ人達がいて、
そんな頑固な、
イエスを十字架に磔にして殺したユダヤ人達に
イエスの教えを広めようとして、
マタイは福音書をまとめたんだよ。
イエスの父ヨセフはダビデの系列の人だったのさ。」
「家系図を大事にするというのは、
日本人と似てるなぁ。」
「うん。
言えてるね。」
イエスの誕生の箇所。
信仰者ヨセフについて。
「お父さん、どう思う。
自分の婚約者である女がさ、
自分に心当たりもないのに結婚しないうちから
腹が大きくなってしまったら。」
「それは・・・どうって言われても・・・」
「この時代のイスラエルでは、
姦淫の罪を犯した女は
公衆の面前に引き摺り出して
石ぶつけて死刑にしたのさ。
それが規則だった。
でも、ヨセフは表沙汰にして
マリアが死刑になるのを望まなかったとある。」
「そうだな。」
「規則を守ってマリアを晒し者にして
死刑にする事をしないで
表沙汰にしないで密かに離縁しようとした、
そういうヨセフを
マタイは"正しい人だったので"と言ってる。
律法ではマリアを死刑にするのが正しいけど
憐れみ深い神様の前ではヨセフが正しいよね。」
「うん。そうだな。」
「ヨセフは悩んだと思うよ。
死刑にしなくたって、
結婚前に腹が大きくなって離縁されただけでも
一族から"お家の恥"とか言われて追い出されて
野垂れ死にする事になったと思うよ。」
「そうだろうな。」
「ヨセフは聖書の中では地味なんだけど
立派な信仰者だと思わない?」
「うん。そうだ。」
「自分がどうするべきか、
どうすれば神様の御心に適うか、
常に心を神に向けて祈っていたと思う。
その時だけでなくて、
常日頃からそういう信仰姿勢を持ってたと思う。
だから天使が夢に現れて神様の御旨を告げたら
言われた通りに実行出来たんだよ。」
「そうだな。」
「だって簡単な事じゃないと思わない?
自分のでない子供が腹にいる女を
妻として娶って、
この後凄い苦労を背負うんだよ。
住民登録の旅の途中で赤ん坊が生まれてしまって
ヘロデ王の刺客に命を狙われて
着の身着のまま外国に亡命して
食うや食わずの難民生活だよ。
身分保障もない、言葉も通じない。」
「うーん。」
「自分のでない子供のために
そこまで出来るかい?」
「そう言われてもなあ。。。
しかし神様からそうしろと言われたら
仕方ないだろう。」
「仕方なくではなかったと思うよ。
仕方なく引き取ったら
継子扱いして虐待したくなるでしょう、誰でも。
だって子のこのために自分が
こんな苦労を背負い込んだと思えば。」
じじ、
"継子扱い"という言葉にピクリと反応した。
じじ自身が子供の頃に継母から虐められて
自分の分だけ食事を作って貰えなかった経験がある。
「キリスト教では子供は親の所有物ではないんだよ。
子供は神様から預かったものとして考える。
子供を育てる事は、神様に対する責任なのさ。
ましてヨセフの立場だったら
神様に対する信仰が確固としてなかったら
マリアを嫁にする事もイエスを育てる事も
到底出来なかったんじゃないかな。」
「うん。
神様にそう言われて
その通りにしたんだな。」
「生まれて来る子供はこの世で使命があるからね。
神の御旨を果たすために
子供を大事に育てなければならないのさね。
ヨセフの場合、
生まれて来る子供が自分の子供でなくても、
天使が民を罪から救う救い主だと言ってるでしょ。
神様の御用を果たすために、
ヨセフは忠実に働いて、
マリアとイエスを養ったんだよ。」
「うーーーむ。( ̄・・ ̄)=3」
じじ、
やたら関心してるけど。どうよ。
ヨセフから見れば、
今の世の中ダメ親父だらけでしょ。
マリアの胎の子は
聖霊によって宿ったのである。(1;20)
「お父さん、
ここほら、さっき唱えた使徒信条に出てるよ。」
「そーだなぁ。」
「見よ、
おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」(1;23)
「これは、イザヤ書に書かれてるんだよ。
イエスが生まれる何百年も昔に
預言者イザヤが既に言っていたのさ。
イザヤは、
さっき系図に出て来たマナセ王に
首を刎ねられて殺された。
マナセ王は預言者達を皆殺しにしたのさ。」
「・・・・・(-"-)」
旧約のイザヤ書を開く。
じじ、ルーペで見ながら朗読した。
それゆえ、
わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、
おとめが身ごもって、男の子を産み、
その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7;14)
「おおー
出てるなぁ。」
「出てるっしょー。
おとめが身ごもって・・・・のおとめって、
結婚前の子供を産んだ事のない女だよ。
それと、旧約聖書では、
女が最初に産んだ第一子の男の子は神のもので
その子は神に捧げられるとされてる。
だから"おとめが"、というのは
この女の最初の妊娠で
初めて胎を開いた男の子だという事を指してる。
二回目の妊娠で出来た子でもないし、
女の子でもない、
神に捧げられるのは、
一回目の妊娠で生まれる男の子だからね。」
「へぇーそういうものか。」
「そーいうものなのさ。」
では、
この続きはまた次回。