後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

北国街道(芹田地区)史跡めぐり

2009年11月06日 | Weblog
10月31日芹田公民館主催の芹田地区内北国街道史跡めぐりが計画され、総勢70名の参加であった。姫塚~吹上地蔵堂~蓮信寺~木留神社~観音寺~御所天満宮~悪源太義平の墓と7カ所巡った。講師は「長野郷土史研究会会長 小林一郎先生」である。

講師の資料によると史跡の概要抜粋は次の通り。

1.北国街道  中山道追分宿から善光寺~越後に至る街道。

2.姫塚 善光寺七塚の一つ。熊谷直実の娘玉鶴姫の墓と言われる五輪塔・墓地
     真中に樹齢数百年?か巨大な欅の樹木が一本ある。周りは墓地。

3.吹上地蔵堂 延命地蔵尊をまつる堂。由緒不詳。境内に、本堂再建供養塔・奉巡礼西国坂東秩父当国供養塔・尖頭塚がある。

4.蓮心寺 一行山・浄土宗。1195年朝日入道蓮心坊が開いたと言う。

5.木留神社 善光寺七社の一つ。古くは諏訪大明神と呼ばれたが、木留神社と称した。犀川(昔はこの地を流れていた)の洪水で流出しそうな善光寺の用材を、
         この神が翁となって現れて木を留めた等、さまざまな伝えがある。

6.観音寺 明助山普門院・浄土宗。源頼朝守仏髻馬頭観音と、正子の守仏厄除生観音をまつる。源頼朝が1197年善光寺を参詣した時、この地に一泊し      
       観音のお告げを受けて、この寺を建立したという。

7.中御所守護館跡  室町時代初期、小笠原氏の信濃守護館があった所と言われ、現在八幡社と御所天満宮が一つの社にある。
              天満宮は昭和54年に亀戸から勧請した。

8.悪源太義平の墓 源義平は頼朝・義経兄弟の長兄。
             悪とは強いという意味・源はミナモト・太は長男という意味で、悪源太義平は「源の強い長男の義平」と言うことである。          
             平治の乱に敗れて殺された。その死後、愛妾が善光寺に来て墓を造ったという。長野駅東口一帯の字名を源太窪と言うのは、この墓があったため。

北国街道の存在はしっていたが、芹田地域に住んでいながら北国街道沿いに多数の史跡がある事は知らず、姫塚と中御所天満宮くらいしか知らなかった。姫塚の中心にある欅の大木は、学生時代たむろした所で懐かしく欅が巨大になっており驚いた。中御所天満宮は入学の神様でこの辺では知られていたが、昭和54年に亀戸から勧請されたとは知らなかった。しかも八幡社と同じ社に祭られている事は小さい祠で、珍しい事だろうと思う。

1時間30分の工程で地域住民の高齢者にとっては有り難い企画であった。公民館と小林先生に感謝申し上げます。11月3日の新聞(信毎)で、小林先生のご尊父で長野郷土史研究会名誉会長の小林計一郎先生が11月1日逝去されたことが報道された。。 ご冥福をお祈り致します。

              
  姫塚;真中に欅の大木        吹上地蔵堂;延命地蔵尊を祀る堂、この辺を吹上と呼ばれ蓮心寺・木留神社があり旅人の休憩場所であった。

               
      蓮心寺               木留神社;善光寺七社の一つ、境内の1角に行人塚がある。

                
      観音寺                     中御所守護館跡;左天満宮・右八満宮


悪源太義平の墓;木の右が義平墓、左が「相伝悪源太義平之墓」刻まれた碑


最所の画像と同じ姫塚の欅の大木

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