言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

おじさん、おばさんって何歳から?

2006年08月25日 | 言葉
新聞に興味深い記事が載っていました。
「おじさん、おばさん」と呼ばれるのにふさわしい年齢は何歳くらいからか、というテーマです。

アンケート結果によると、女性は三十歳代、男性は四十歳代くらいというイメージが多数派だとか。
一方で、自分がそう呼ばれた時には抵抗があることが多い。
それは、自分の意識の中での年齢は、実年齢の比べて平均で七歳くらい若く思っているからだそうです。
つまり、例えば三十五歳の人は、実際には二十代後半くらいのつもりで暮らしているというわけです。

確かに、見ていると自分の年齢より若い人向けのブランドの洋服売り場に行ったり、若い人向けの雑誌を手にしたりしますが、その逆はあまりないですよね。

おじさん、おばさん、という言葉は、辞書によれば「年配の男性を親しんで呼ぶ語」とあります。
しかしたとえ親しみを込められていても、自分が若いと思っている人たちにとって「年配」と位置づけられることには抵抗があるんですね。


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惑星って何?

2006年08月24日 | 星の話し
チェコのプラハで開かれている国際天文学連合で議論されている惑星問題。
まもなく科学者の投票により決着がつくようです。

現段階で、少なくとも冥王星が正規の惑星とは認められないことになっています。

最終案で、太陽系惑星の定義が①自らの重力で球状となる②太陽を周回する③軌道周辺で圧倒的に支配的な天体である、の三点となりました。
冥王星にはカロンという同規模の天体が軌道上にあるため、惑星から外れることになるのです。
対案は、惑星ではないがそれに近い存在として、新たに「矮(わい)惑星」という言葉を作り、冥王星などを位置づけるというものです。

歴史的な投票だと報道されていますが、私が面白いと思ったのは言葉の問題です。

よく考えてみれば、冥王星は、「惑星」であろうがなかろうが、太陽の周りを回る星であることに変わりはないわけです。
その大きさも、その質量も、その成分も、軌道の長さも、公転周期も、全く変わりません。

それでも…
「冥王星は惑星ではない。今まで無名だった小天体・セレスと一緒。カロンと一緒。」
そう定義づけられた瞬間に、冥王星の存在は、人々の意識の中ではものすごく小さなものになってしまいます。

実体は何も変わっていなくても、言葉が変われば違う存在になるわけです。

言葉というのは不思議なものです。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/ae7592501d1e309a22e2fa457b87224e


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移りゆくセミの鳴き声

2006年08月24日 | 四季
暑い日が続き、相変わらず神社の境内を歩くと、セミの声が全身に降り注いできます。
しかし日が経つにつれ、セミの種類が少しずつ変わってきます。

東京だと、まずはアブラゼミ、少し遅れてミンミンゼミに変わります。
そのためジジジというアブラゼミの声を聞くと「夏が来たな」、ミーンミーンというミンミンゼミの声を聞くと「夏真っ盛り」と感じます。
そして秋の声が聞こえ始めると、ツクツクホウシ。
オーシツクツクツクと鳴くその声を聞くと、なぜか過ぎ行く夏を惜しむような感覚にとらわれます。

夏の音のシンボルとして何気なく聞いているセミの声も、実は少しずつ流れていく季節を感じさせてくれているものです。゜

一方大阪では、近年セミの声といえばもっぱらクマゼミです。
シャアシャアシャアと鳴きます。

他の虫と異なり、セミの名前はその多くが鳴き声の擬音語からつけられています。
ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクホウシなどなど。
セミの存在をもっとも感じるのが鳴き声だという証拠ですね。

秋の虫も風情がありますが、セミの季節感も捨てたものではありません。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/c2dc8aa07cf178ccac207f3433f15834

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/92fa5819db66663eac777cdf440055ad
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素人の作るケーキは怖い!?

2006年08月23日 | 心に残る言葉
あるベテランのケーキ職人がこんな言葉を残しています。

「一番手ごわいのは素人の作るケーキです」

長年プロとしてケーキを作り続けてきた職人が、素人のどこに恐れをなすのか。
この言葉には、プロフェッショナルの本質が表れていました。

素人は、効率を考えずに、今作っているたった一つのケーキに全精力と全費用をかけて作る。
たとえ熟練のテクニックがなくても、その一つに全てをかければ素晴らしいものができることはある。
しかしそれだけではプロとしての商売にはならない。
ケーキを作って利益を上げようとすれば、当然原価を切り詰め、短い時間で大量に作れる効率を考えなくてはならない。

だから「素人のケーキは怖い」というのです。

なるほどそうかもしれません。
プロというのは、多少悪い条件で何度作業を繰り返しても、あるレベルを確実にキープできることが必要とされるのでしょう。
そこが素人との違いです。

全精力を注入してたった一つ作ったケーキの味がどんなにおいしくても、それを短時間で百個作った時にがたがたに崩れてはプロとしては失格です。
それはケーキに限らず、料理でも、写真撮影でも、音楽や文章でも同じことかもしれません。

たまたま料理がうまくできた時に「店が開けるんじゃないか」などと悦に入っているのは、素人の大いなる錯覚。
でもその怖いもの知らずのところが、商売の厳しさを知るプロにとっては「手ごわい」ものなのでしょうね。

意味の深い言葉でした。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/0b487a66bb8816cfc8a97b627b7f88a6





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濃霧で飛ばなかった飛行機

2006年08月22日 | 旅の話し
青森への旅の最終日。
夜9時前の最終便に乗るべく空港に向かいました。
青森空港は市内から車で30分ほどかかる山中にあります。
車を走らせていくと、徐々に天気が怪しくなっていきます。
あれよあれよという間に、周りは霧で包まれてしまいました。

空港の近辺では百メートル先も見えないくらい。
不安に包まれたまま空港に到着すると、案の定、夕方から飛行機の欠航が相次いでいました。
しばらく待機していたのですが、天候は回復せず、最終便も欠航に。
やむなく青森市内でもう一泊することになりました。

ところで、この日は濃霧注意報が出ていましたが、気象庁によると、濃霧という言葉は「濃霧注意報と同一基準で用いる」となっています。
つまり、注意報の出ない「濃霧」というのはないんですね。

濃霧でなければ、単なる「霧」です。
霧は「微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態」を言うんだそうです。
1kmをこえて10km未満だと「もや」。
「霧」と「もや」は見通しのきく距離によって定義が分けられているんですね。

ちなみに「夜霧が出ると翌日は晴れ」という俗説があるとか。

でも翌日もしっかり霧でした。
おかげで翌朝の便も一時間遅れ。
後できいたのですが、青森空港は霧が多くて有名で、パイロット泣かせの空港の一つなんだそうです。

ずっと天気に恵まれた旅でしたが、最後の最後で思わぬハプニングでした。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/127e7693f704c6ce362dd43cf5d8c198
http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/0e6c52fa0ab8f620c528bade3266c88d


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