言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

春の美味・雑魚

2007年02月28日 | 食の話し
春先においしい小魚は数多くあります。
踊り食いやおすましにしておいしいシロウオもその一つ。
体長五センチほどで透き通った体のハゼ科の小魚です。
漢字で書くと「素魚」です。
川の下流域でのシロウオ漁は、早春の風物詩になっています。

ところで、女性の透き通るような白い手を魚に喩えて、「白魚のような指」と言います。
これは「シラウオのような指」と読みます。
このシラウオ、は文字通り「白魚」と書き、「素魚」とは違う種の魚です。
シラウオ科、体長十センチほどの半透明の小魚で、シロウオに比べると死後の味の低下が極端ではないため、天ぷらなどでも食されます。

ちなみに「白子=シラス」という言葉がありますが、これはシロウオの別称であると同時に、カタクチイワシ・アユなどの雑魚の総称でもあります。
生のまま、あるいは塩茹でにして干したものは「白子乾し」。

さらに言うと、「白子」という漢字は「シラコ」とも読み、魚類の精巣の俗称で、これもまた酒の肴としておいしい珍味です。

魚で食文化を育んできた日本。
言葉の発達も、複雑で深遠です。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/1e0ab133c4f716378933e909604f3b50

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菊池凛子の英語の先生

2007年02月27日 | 映画・芸能
菊池凛子さん、アカデミー助演女優賞を惜しくも逃す。
今日のワイドショーも凛子さんの話題で持ちきりです。

そんな中で、興味深い企画がありました。
オーディションで凛子さんを発掘し、そのまま彼女に英語を教えて指導していたのが、キャスティングディレクターの奈良橋陽子さんだというのです。
奈良橋さんは、渡辺謙さんのハリウッドデビューの時にも、彼につきっきりで英語を教えた人で、今の日本人のアメリカ映画進出の陰の立役者と言っても過言ではありません。

凛子さんには、賞をとった時のための英語のスピーチも指導していたそうです。
どんなスピーチだったのか興味津々です。

惜しくも賞を逃した後の、奈良橋さんの言葉もふるっていました。

「練習したスピーチは、次の機会に使ってほしい」。

落ちたそばから次のアカデミー賞の舞台のことを考えている。
何でも前向きに考える奈良橋さんらしいひとことでした。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/9339b36c93fbbfc7b3e4b3ec8508d5df
http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/11905904627182cfc6195e6ce4ba08c5



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アカデミー賞、菊池凛子に注目

2007年02月26日 | 映画・芸能
間もなくアカデミー賞の発表です。
「バベル」で助演女優賞にノミネートされた菊池凛子さん。
授賞式でプレゼンターを務めるという渡辺謙さん。
最近では、日本人がこのパーティーに参加することが多くなり、さらに関心が高まっているようで、テレビのワイドショーもアカデミー賞一色といった感じです。

菊池凛子さんが会場に行く直前に、インタビューを受けていました。
黒のドレスをまとった凛子さんは、「賞は取れそうですか」との質問に「ここは取りにいきたいです」と答えていました。

その理由が面白いものでした。
「監督もスタッフも頑張っていて、とてもよい作品に仕上がっているので、私がここで引いたコメントをする訳にはいかない。弱気なことを言うと、監督に怒られる」というのです。

日本人の感覚だと、たとえ自信があっても「参加できるだけで幸せ」「結果は気にしません」などと発言するところです。
自信があればあるほど、謙遜のコメントが似合うと言っても過言ではありません。

アメリカ人であれば、自信があれば「絶対に取ります」、たとえ自信がなくても「ぜひ取りたい」と言うのでしょう。
そうした力強い気持ちが、また結果を導くと信じている節もあります。

アメリカの映画現場で仕事をしてきた凛子さんが、アメリカ人の価値観に自分を合わせようと努力している様子が、インタビューの一言に垣間見えました。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/981c92353e8ec3c2636043c940b29ec7




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鈍感力と鈍感の違い

2007年02月25日 | ニュース
「鈍感力」という言葉が話題になっています。
小泉前総理の言葉です。
目先のことに一つ一つ敏感になりすぎると、大きなことが見えなくなる、という主旨だと思います。

小泉さんらしい卓見だと思います。

もともとは渡辺淳一の「鈍感力」というエッセイ集で使われた言葉です。
編集者から原稿を突き返され、ショックで文壇を去っていった才能ある作家。
一方で学生時代しかられてばかりいた医学生が、いつの間にか有名医大の学長に。
その違いは何か。

少々のことでくよくよせず、悪いことは忘れ、よく眠りよく食べる。
そのたくましさが才能を開花させるエネルギーとなる。
というわけです。

しかし今世間では、この言葉がちょっと勘違いされている気がします。

「鈍感になった方がいい」

そう捉える人がいます。
が「鈍感力」と「鈍感」とは全く違うものです。
「鈍感力」は敏感に様々なことを察知し理解しながらも、不要な心配をしない、という意味で、自らの意思でコントロールされた「鈍さ」なのだと思います。

何があっても気づかない真の「鈍感」な人も世の中にはいます。
そういう人は、目の前に起きたことが、「心配無用の小さいこと」なのか、「必ず対処すべき重要なこと」なのか、すら判断できない人です。
それでは、世の中を渡っていくことはできません。

鈍感力を身につけるのは、実はとても難しいことなのだと思います。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/c38ee13eafa013ec238e9f001f63b7e3
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梅は色より香にあり

2007年02月24日 | 四季
梅は、古くから和歌の世界では最も重要なモチーフの一つでした。

東風吹かば匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな

菅原道真が大宰府に左遷される時に、京の都の屋敷の庭に咲いている梅を見て詠んだ有名な歌です。

万葉の時代には「花」といえば梅を指していたといいます。
平安時代になり、古今和歌集の頃から「花」というと桜を指すようになったとも言いますが、実際に「古今」をひもとくと何の何の、梅もまだまだ大和歌の主役として健在だった様子が分かります。

折りつれば袖こそにほへ 梅の花ありとや ここに鶯の鳴く

色よりも香こそあはれとおもほゆれ たが袖ふれしやどの梅ぞも

梅の花立ちよるばかりありしより 人のとがむる香にぞしみぬる

春の夜のやみはあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる

幾つか詠んでいると、面白いことに気づきます。
梅は、色よりも香りが注目されている花のようです。

夜、梅の花の色は見えなくとも香りがたちこめている。
花の姿を見る前に、ただよう香りで梅の花と気づいてしまう。
そんな情景がよく描かれています。

梅といえば必ずついてくるのが鶯です。
鶯は何といっても鳴き声を聞くと春を感じます。

なるほど。
梅の香りをかいで、鶯の鳴き声を聞く。
五感をフルに働かせて春を感じるには、見事な取り合わせです。

http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/37f720841941f502f44c375e79605bd5
http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/87eaf37235000733a98113ab068ea92a


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